2. わたしはリゼ
「え、えっと、いや、あの、どうして……」
「……大丈夫? お兄ちゃん。心配した」
思いがけない再会に動転する俺をよそに、少女は感情の読めない淡々とした口調で「妹」を演じ始めた。
「可哀想にな。この前の転移障害で頭もやられてしまったみたいでな。街中を全裸でいたところを保護したんだ。こんな事例は初めてなんだが、女神様の登録も無くなっててな」
「そうなの。私と一緒に出掛けるはずだったのに兄だけ……でも安心して。私と女神様のところ、行こう」
「妹さんも大変だったな。ほら、兄ちゃん。早く女神様のところで登録を済ませて、ついでに頭も治してもらいな」
……なんか俺、本当に可哀想じゃね。
雑な扱いに地味に傷つきつつも、彼女が俺を助けようとしてくれていることだけは理解できた。
ここは話に乗っておくのが賢明だろう。
「あ、ああ……思い出した。妹の、確か名前は……」
「リゼ」
「そうそう、リゼ。心配かけてごめんな。兄ちゃん、もう大丈夫だから。」
――こうして、めでたく解放されることになった。
「それで、その女神様ってのはどこに?」
「そんなことも忘れちまったのか。ほら、あそこの尖った建物が見えるだろ。あれがこの街の聖堂だ」
「聖堂?」
「女神様と交信できる聖女様がいる場所さ。なんせ女神様は世界に1人しかいないからな。俺たちみたいな庶民の相手はいちいちしてられねえ。だから代わりに聖女様が話を聞いてくださるんだ」
どうやら、女神に用件を伝えるには、聖女を介する必要があるらしい。
世話になったお巡りさんに礼を言い、俺とリゼは聖堂へ向かった。
「……ありがとう。助かったよ」
聖堂へ向かう道すがら、俺はまず礼を口にした。
聞きたいことは、山ほどある。
なぜ、あの研究所にいたのか。
俺をここに連れてきたのは彼女なのか。
だとしたら、ここはどんな世界なのか。
だが、焦る気持ちをぐっとこらえた。
リゼは黙ったまま、前を向いて歩き続けていた。
「えーと、でもどうして俺が捕まってるって分かったの?」
沈黙に耐えきれず、問いかける。
「……全裸の変態が出たって、街が騒ぎになってたから」
……なるほど。
この話題はもうやめよう。
次の言葉を探していると、リゼがぽつりと呟いた。
「服、間に合わなかった。転移の直前に、燃えてしまったから」
……今、転移って言ったよな。
やっぱり、俺をこの世界に飛ばしたのは彼女で間違いない。
「燃えてしまった?」
「うん。研究所の自爆、思ったより凄かった。一瞬だったから、本体だけで精一杯だった」
「自爆……。あの時、ピカって光って、何も見えなくなったやつ?」
「そう」
「まさか、君がやったの?」
リゼは、静かに首を横に振った。
……ということは、あの研究所は、もうこの世に存在しない?
俺という従業員がまだ残っているのに、容赦なく爆破したっていうのか。
警備員の、俺の命なんて、虫ケラ以下だと。
リゼの言葉が全て真実とは限らない。
けれど、妙に納得できてしまう自分がいた。
元職場への怒りが、じわじわと込み上げてくる。
「……帰りたい?」
リゼの声で、はっと我に返った。
顔を上げると、彼女は心配そうに俺を見ていた。
「もちろん、帰りたいよ」
彼女が俺をここに連れてきたことに、負い目を感じているのかもしれない。
だからこそ、正直に答えるべきだと思った。
どれだけ理不尽で、残酷で、クソみたいな世界でも――俺には、帰りを待ってくれている家族がいる。
「でも……助けてくれて、本当にありがとうな」
感謝も、本心だった。
しばらく、二人の間に沈黙が落ちる。
リゼは何かを深く考え込んでいるようだった。
「ま、せっかく異世界に来たんだし? しばらく観光でも満喫してから帰ろうかな」
すぐに帰りたいと言えば、リゼが余計に責任を感じるかもしれない。
それに、異世界という響きに、心のどこかでワクワクしているのも事実だった。
その時、リゼがぴたりと足を止めた。
「どうした?」
リゼは俯いている。
胸の奥が、ざわっとした。
「……帰れない、かも」
「……え?」
聞き返したくなかった。
でも、尋ねずにはいられない。
「どういうこと?」
「この世界では、魔法が使えない。だから、帰せないかも」
……嘘だと言ってよ。
「使えないって、なんでだよ」
「わからない。でも、使えない」
「じゃあなんで異世界なんだ! 爆発から逃げるだけなら、普通のヨーロッパでもよかっただろ!」
正論を交えた八つ当たり。
言ったそばから、罪悪感がこみ上げてくる。
「あなたは研究所と一緒に死ぬことになっていた。もし生きていることが分かったら、探し出されて、始末される。家族も、無事でいられないかもしれない」
これまで淡々としていたリゼの声に、必死さが滲んでいた。
「あの自爆は、研究所だけじゃなく、俺もまとめて消すためだったってこと? ……無茶苦茶だ。そもそも何でそんなことまで分かるんだよ」
少しの間を置いて、リゼがかすかに呟いた。
「……ごめんなさい」
それは、異世界に連れてきたことへの謝罪か。
質問に答えられないことへのものか。
おそらく、その両方だろう。
気まずい沈黙が流れる。
こういうの、本当にダメなんだよな……
結局、俺が先に折れて話題を変えることにした。
「そういえば、自己紹介がまだだったよな。俺は秋月颯太、18歳。颯太って呼んでくれると嬉しいな」
空気を変えたくて、いつもの軽いノリで付け加える。
「ちなみに彼女募集中!」
すぐに帰れないってことは、長い付き合いになるかもしれない。
だったら、いつまでも気まずいままじゃいられない。
リゼはまだ俯いていたが、ふと、口元がわずかに緩んだ気がした。
「わたしはリゼ」
「知ってる」
顔を上げたリゼの瞳が、真っすぐにこちらを見ていた。
その目には、何かを決意したような強い意志が宿っていた。
「――わたしは颯太を、必ず帰す」
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