【感謝】感謝しすぎると搾取される ――美徳の裏に潜む危険

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

感謝のし過ぎは相手との力関係を歪めてしまう

感謝は人として美しい行為である。誰かが何かをしてくれたとき、ありがとうと言える人間は、他人の善意や労力を軽んじない、誠実な心の持ち主だ。

だが、そんな「ありがとう」も、度が過ぎると、やがて自分を不利な立場に追い込む。

実は「感謝しすぎる人」ほど、最終的には軽んじられ、搾取され、時にはサービスの質すら下げられてしまうことがある。


たとえば、ある飲食店で出される無料の水。普通なら「ありがとう」と一言添える程度で済む。しかし、もしも客が、毎回感激したように「わざわざありがとうございます!感動しました!」と伝え続けたらどうなるか?

提供側はこう考え始める。「これほど喜ばれるなら、いずれ有料化しても受け入れられるだろう」と。

つまり、「過剰な感謝」が、当たり前だった無償サービスを「特別なもの」へと変質させてしまうのだ。

すると、本来なら当然のように無料で提供されていたものが、「有料」に姿を変える。誰も文句は言えない。なぜなら、自分たちが「ありがたいもの」としてそれを持ち上げてしまったからだ。


これは小さな例だが、あらゆる場面で似たことが起きている。

ネットサービスの無料機能、自治体の公共支援、学校や職場のサポート体制…。

それらに対し、人々が「ありがたい」「助かる」「感謝しかない」と過剰にリアクションを取れば取るほど、提供者側は「もっと対価を求めても許される」という空気を察知してくる。

そして、いつの間にか無料だったものが「月額制」になり、必要最低限だった手続きに「課金オプション」が加わり、やがて当たり前だった恩恵すら「特別待遇」に置き換えられていく。


このとき、「感謝していた側」は不満を言うことができない。なぜなら、自分たちがそれを「感謝すべきこと」として受け入れ、正当化してきたからだ。

皮肉な話だが、感謝し過ぎたがゆえに、自ら「搾取の構造」を正当化してしまったのである。


さらに怖いのは、「感謝が過剰な人」は、周囲からも軽んじられやすくなるということだ。

「この人は、少し優しくすれば何倍にも感謝してくる。だったら、ちょっとしたことでいい気分にさせて、もっと搾り取れる」

こうして、感謝の気持ちを素直に伝える人ほど、都合よく利用されやすいという逆説が生まれる。

もちろん、感謝すること自体が悪いわけではない。問題は「感謝を乱用してしまうこと」なのだ。


現代社会では、「感謝は美徳」とされる一方で、それを過剰に行う人が搾取され、馬鹿を見るという構造が密かに存在する。

それは、力関係の問題でもある。

たとえば、企業と顧客の関係において、顧客がひたすらへりくだって「本当にありがたいです!無料で使わせていただけて…!」と感謝し続ければ、企業は「じゃあ少し料金を上げても離れないだろう」と考えるようになる。

逆に、「これは当たり前のサービスですよね?」と毅然とした態度を取る顧客の方が、結果的に無料や低価格の恩恵を長く受けられる。


つまり、感謝は「控えめ」な方が得をする社会になってしまっている。

無理に無表情で冷たくする必要はない。しかし、「ありがとう」は、適切なタイミングで、短く、潔く伝える。それが一番効くし、自分を守ることにもつながる。

「ありがとうの言いすぎ」が、自分の立場を弱くするという事実を、私たちはもっと意識するべきだ。


善意の感謝が、逆に「従属」を生み、相手に主導権を渡してしまう。

それは、心のキレイさではなく、交渉の構造における「駆け引き」の問題なのだ。


だからこそ、感謝の言葉は少しだけにとどめる方が良い。

本当にありがたいと感じたなら、一言、静かに伝えればいい。それで充分だ。むしろ、その方が相手にも響くし、軽く見られずに済む。


人は誰かに感謝するとき、「自分は善良な人間だ」と思える。しかし、その善良さに甘えてくる相手もいる。

感謝されることに慣れた側は、それが当然になり、次第に傲慢になっていく。そしてその末路は、サービスの質の低下や、有料化といった形で表れてくる。


感謝は人間関係の潤滑油だ。だが、使い過ぎれば機械は逆に壊れる。

必要なときにだけ、必要な量を注す。

そうすることで、感謝は本来の価値を保ち、自分自身も守ることができる。


感謝は美徳であり、同時に武器でもある。

それを武器として使いこなすためには、感情だけに任せず、冷静に、戦略的に、感謝の仕方を選ぶ必要がある。


それが、現代社会における「生き残るための礼儀」なのだ。



以上

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