第14話 幸せな悩み

 カン、カン、と二人でアパートの鉄骨の階段を上る音を響かせる。夏とはいえ、少し冷え切っていて脚を露出している麻衣が寒そうに見えた。


「今日はすみませんでした」


 麻衣はつむじを見せるように頭を下げた。


「いいんだよ。鬱憤が無くなったならそれでいい」


 顔を上げたが、麻衣は目線を合わせてくれない。そして胸の前で手を組み、その手を唇に近づけた。


「良かったら、家に入りませんか?」


 誘っているのだろうか。だが俺はついさっき優里から釘を刺されたから、麻衣という絶世の美女の誘いには乗らなかった。だがもし性欲の話を数分前にされたら、どうなっていたか分からない。


 俺が断る意思表示をすると、「ですよね」と無理やり笑みをつくっていた。


「あ、でしたら、流渓橋の冠番組が五分後くらいに放送されると思うので、ぜひご覧になってください。確か五周年の総集編だったと思うので」


「あぁ、見るよ」


 麻衣は一礼をして家の中に入っていった。しっかりドアが閉まったことを確認すると、俺も鍵を開けて家の中に入る。


 あ、そういえばあのとき言いかけていた、隠していること、ってなんだろう。


 何かを思い出すとき、大抵遅いんだよな、俺。


 少しモヤモヤが残ってしまったが、また今度訊いてみよう。


普段ならシャワーを浴びて寝るのだが、ついさっき用事が出来たため、子どものようにテレビの前に張り付き、その番組を待った。局まで言われなかったが、調べればすぐに分かることだ。


 番組が始まった。内容は麻衣が言っていた通り、総集編だ。過去の人気企画をもう一度見よう、みたいな企画だ。振り返る企画は、以前に店長が話していたこととほぼ同じだ。バレンタイン企画で後輩に振られまくる先輩にフォーカスが当たり、運動音痴企画で走り高跳び七十メートルを飛べない人にフォーカスが当たり、学力テスト企画で偉人にとんでもない名前を付けた人にフォーカスが当たり、家族アンケート企画では母や父の爆弾タレコミをされた人にフォーカスが当たり、お絵描き企画でこの世のものとは思えない怪物を描いた人にフォーカスが当たる。


 正直、腹が悲鳴を上げるくらい笑った。隣にまで笑い声が届いているんじゃないかっていうくらい笑った。アイドルの番組だから、とハードルを下げていたのもあるが、MCをする芸人が秀逸で、奇想天外なアイドルの発言にも的確にツッコミを入れるのが、純粋にバラエティ番組として面白かった。


 充実のある三十分番組だったが、思い返してみると、麻衣はほとんど映っていなかった。だがそれもそのはずだ。今日、放送された企画でフォーカスが当たっていたのは、今となっては人気あるメンバーばかりだったから。出演機会の少ない【じゃない方アイドル】にはスポットライトが当たりづらいのは見る前から分かっていたつもりだった。


 家族アンケートは無理だし、学力企画で目立つのは頭の悪い方、バレンタイン企画は人気先輩メンバーと後輩だけ、他の企画ではチラッと映った程度でインパクトは無かった。というより、出来る人としてフリに使われているのだと思う。実際にこの目で見るまで、ここまで差があるとは思っていなかった。


だがそれと同じように思えるのは西野奈々未もそうだった。彼女もまた、インパクトがあるかと言われるとそうではなかった。バレンタイン企画では告白されまくったくらいで、他は頭が良くて運動神経も良い、絵画センスは普通で家族アンケートは全カットとバラエティ番組としては印象が薄かった。でも、ただならぬ雰囲気を放つ彼女に目が留まらない人はいない、とも思えた。何故だろうな、そう思うのは。


 研究すればするほど、人気とは何かが分からない。


 ツイッターを見てみると、この番組はトレンドに上がるほど盛り上がっている。各々が推しのツイートをしたり、番組全体のことをツイートしている。ただ今日のニュースもあってか、西野奈々未に関するツイートは多く溢れていた。このツイートをする人たちに訊きたい。どうして彼女を好きになったの? 何が他の人と違うの?


 番組を見たよ、と感想を電話で伝えようと思ったが、もう夜は遅い。麻衣は明日、仕事があると言っていたはずだ。また今度、伝えることにしよう。


 シャワーを浴び、水を一杯飲むと、嫌な予定を思い出した。明日、後輩とデートをしなければいけない。むわっとした憂鬱が襲いかかり、筋肉の働きを抑制されたみたいに体が怠くなる。熱でも出たのかと思いたいが、残念なことに平熱だった。熱が出たと嘘の連絡をいれようと行動に移そうとしたそのとき、麻衣がかけてくれた言葉が甦る。


――幸せな悩みだと思います。


 もしかしたら、あいつの周りにある嫌悪をはがせば、何かが見つかるかもしれない。麻衣の言葉を今一度頭で咀嚼すると、そう捉えることができた。

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