楽しいモーニング

望月おと

楽しいモーニング

 陰鬱なことばかり考えていると、ほんとうに陰鬱な人間になるらしい。誰かがそう言っていた。私は、その典型といって差し支えない。図鑑の一ページに載っていそうな顔で、今日も生きている。けれども、そういう陰気を、人に押しつけて歩くほど、私の面の皮は厚くない。


誰にも迷惑をかけたくない。それだけで、なんとかここまでやってこられた。目立たず、騒がず、波風立てず。愛想よく、無難に、なるべく当たり障りのないように。そうすれば、嫌われることもないし、誰かを傷つけることも、きっとない。なるべく隠して、取り繕って、明るいふりをして。心の中のごみ溜めみたいなものは、文章にして排出すればいい。ときどきこうして、文字のなかに私の醜さをそっと埋めておけば、現実の私は、かろうじて、普通の顔でいられる。


 けれど、彼の前では、そううまくはいかない。うっかり、ぽろりと本音が落ちる。憂いを含んだ汚いものが、じわりと滲んでしまう。あれは、不注意。あるいは、甘え。やめたい、と思っているのだ。思っているのに、やめられない。彼が笑って受け止めてくれるものだから、つい、倒れ込んでしまう。いけないと思いながらも、膝の上にうずくまりたくなる。これは不誠実だ。どうでもいい人にはちゃんと我慢できるのに、優しくしてくれる人には、平気で甘えてしまう。つくづく、性根が悪い。


彼は、いい人だ。まっすぐで、明るくて、健康的で、まるで太陽が人のかたちをして歩いているような、そんな人だ。そういう人に限って、私のような、光を羨む月の裏側みたいな存在に、なぜか好かれる。彼は本来、私のような人間と同じ世界にいてはいけない人なのだ。こんな私が隣にいていいのかと、ときどき、本気で怯える。怯えながらも、私は平然と、今日も彼と肩を並べて歩いている。やはり、性根が悪い。


「もっと楽しい話を書いてみたら?」


 彼が言った。私は「うん」と笑った。笑いながら、泣きたくなった。楽しい話が、この世にあることくらい、知っている。知っているけれど、それがどうにも書けない。書こうとすると、なぜか頭の奥からじめっとした気配が立ちのぼってきて、言葉がみんな湿気を帯びてしまう。軽やかに綴るつもりが、気づけば湿度は九十五パーセント。別に、重たくするつもりなんて、さらさらなかったのに、なぜか、こうなる。不思議ですね、私って。きっと、生まれつき、楽しい人間では――と、また沈みそうになったので、やめにした。今日は、沈まないと決めたのだ。せめて、今日くらいは。


 最近よく見かける、あの手の物語。なぜか凡人が異世界へ飛ばされ、なぜか最強になり、なぜか人々を救う話。あるいは、なぜか無口な美少女が転校してきて、なぜか隣の平凡な男子を一目で好きになり、なぜか両想いになる話。そういうのを書く人は、すごいと思う。「こうだったらいいな」という願望だけで世界をこしらえてしまうなんて、神と紙一重ではないか。


私はといえば、「こうでしかない」現実に押し潰されて、のたうちながら、文字を並べている。必死に地を這って、にじり寄って、それでもどこかへ行こうとあがいている。その姿が滑稽で、みっともなくて、だからこそ私は、少しだけ愛してやりたいとも思っている。


 とにかく、「やってみる」と、私はうっかり口走ってしまったのだ。律儀にも、それを守る。このへんの律儀さだけは、どうぞ評価していただきたい。陰鬱脱出、第一歩。もしかすると、彼は、世界一腕のいいカウンセラーになれるかもしれない。きっと、私のような患者が、たぶん山ほどいる。私のカウンセラーときたら、私がメソメソと、つらつらと、孤独や虚無感や希死念慮を語っても、ただ頷くだけ。何を言うでもなく、何か変わるでもなく、事務的に薬を出して終わり。その薬も、効いてるのか効いてないのか、よくわからない。プラシーボすら怪しい。それに比べれば、彼の一言の方が、ずいぶんマシな処方だと思う。副作用もない。たぶん。


 さて、実話を書くとしよう。嘘はつかない。つけない。ついても、すぐバレる。私は嘘の演技が下手なのだ。こんな私でも、たまには笑える日はある。とりあえず、今朝の話をさせてほしい。


 恋人と喫茶店に行きました。モーニングを食べに。昔の私なら、正午を過ぎても眠っていました。猫と同じです。でも、最近、人間になりました。彼と暮らし始めてから、午前八時半くらいには目を覚めまします。えらい。五億点。人類史上でもなかなかの偉業だと思いませんか。誰も褒めてくれないから、自分で拍手をしておきました。パチパチパチ。


せっかく早起きしてしまったのだから、せめて報われたい。というわけで、私たちは最近、よく喫茶店を巡っています。朝の喫茶店は、どこも割引が効いていて、良心的です。なんだかんだ言って、こんなことで癒やされる自分は安い人間だなと思います。でも、まあ、悪くはないでしょう。


 今日行ったのは、昭和の匂いのする古びた喫茶店。ここに来るのは今回で二回目です。夫婦で切り盛りしていて、常連さんも多い。いい店とは、こういうところを言うのだと思います。彼はモーニング限定のたまごサンドのセットを注文しました。私はというと、ケーキのセット。モーニングの趣旨は、完全に無視です。


「また、朝からケーキ?」


彼は笑いました。ええ、朝からケーキですとも。だって、それしか食べられないのですから。朝の私の胃は、繊細で、怠惰で、甘やかされることを欲している。柔らかくて、甘くて、咀嚼の必要がないものしか、受け付けません。つまりケーキ。ケーキは、私の敗北であり、救済なのです。ケーキが食べられると思うと、少し嬉しくなりました。つまり、勝ちの選択でしょう。


 店のおばさんは、せかせかと立ち働き、おじさんは、にこにことコーヒーを淹れています。にこにこと、です。あの笑顔には、長い年月の労苦と、それを超えた静かな幸福が表情の端々に宿っていて、そよ風のように、そっとこちらまで届いてきました。それは午後の陽だまりみたいに、じんわりと温かい。私にはまだ、それを真似るほどの顔の筋肉も、心の柔らかさもないようです。


 おばさんは、先にアイスコーヒーを持ってきました。透明で丸っこい、可愛らしいグラス。ストローに口をつけると、苦味がすっと喉を通って、微かな酸味が余韻のように鼻に広がりました。ああ、なんだか、ちゃんとした朝だな、と思いました。


「こういう喫茶店、将来、私たちもやりたい」


私は軽く言ったつもりでした。ただの世間話のようなもの。ところが、その言葉を口にした瞬間、しまった、と思いました。まるで「年老いてもずっと二人でいましょう」と、誓ったかのようで、胸の奥がざわつきました。赤面です。心の中で床を転げ回りました。そんなつもりは毛頭なかったのに――いや、もしかすると、少しはあったかもしれません。


彼はそれを当然のことのように受け流して、「いいね」と微笑みました。その瞳を見て、ほんの一瞬、未来の景色が揺らめいた気がしました。


「でも、早起きしなきゃいけないよ」


そう返す彼の言葉は、妙に現実的で、思わず笑ってしまいました。確かにそれは、私には無理かもしれない。私は未来の話をするのが苦手でした。形もなく、頼りなくて、少し怖い。でも、彼となら、また話してみたい。そう、思いました。


 彼のグラスにシロップが何周も注がれました。「甘い方が好き」。何度も聞いた台詞。私はブラックの苦みを口に含みながら、シロップが溶けていく様子を、じっと見つめていました。あの甘さが、私の心の奥にあるざらついた渋みを、少しでも和らげてくれているのだろうかと、ふと思いました。甘い彼と、苦い私。ゆっくりと溶け合い、いつかひとつになれるのでしょうか。でもきっと、それは運命でも奇跡でもなく、ただの、ぬるい飲みもの。けれど、そのぬるさを分け合える人がいるなら、それはそれで、案外悪くないのかもしれません。


 店内を見回すと、ここだけ時間が止まっているようでした。昭和そのもの。レトロ、という言葉があるけれど、それは要するに、今がつまらない人たちの夢想なのかもしれません。私も例外ではなく、レトロに心惹かれるタイプです。ポロライドカメラ、黒電話、ジュークボックス、髪のサイドを外巻きにして白いワンピースで微笑む少女、ワンレングスの髪をかきあげ、スカーフを首に巻く女性、ナポリタン、クリームソーダ、プリンアラモード……そういうものに、なぜだか、心が揺さぶられるのです。


甘く、美しく、懐かしい。そして、たとえ再現できたとしても、決してもう戻れないという事実。それがいっそう、私たちの憧れを掻き立てているのでしょう。私たちはレトロを夢見ながらも、決してなりきれない今を生きている。


「今流行ってる韓国カフェとかも、そのうちレトロって言われるのかな」


彼はストローをくるくるしながら言いました。そのとき私は、言葉にできない、どこかやるせなくて、けれど、どこか微笑ましい奇妙な感情に包まれました。そうか、レトロにも旬があるんだなあ。


 しばらくして、たまごサンドとサラダが彼の前に、チョコレートケーキが私の前に運ばれてきました。前回は抹茶のケーキを選んだので、今回は気分を変えてみたのです。ホイップクリームがたっぷり挟まれた、見るからに濃厚そうなケーキでした。


そっと口に運ぶと、ミルクチョコレートの香りがふわりと広がり、生クリームのまろやかな脂が舌にまとわりつく。甘さというよりは密度。あるいは、甘さの“重さ”と言ったほうが近いかもしれません。それをアイスコーヒーでさらりと洗い流すたび、口の中がすっとリセットされ、また自然とフォークが伸びる。その繰り返しが、静かに、そして確かに、私の心を満たしていきました。


「ひとくち食べる?」と彼がたまごサンドを差し出してくれたので、素直にひとくち。甘さの余韻を追いかけるように、たまごの塩気がそっと舌ににじんできました。やけに心地よくて、おいしくて……思わず目を細めて、小さく頷きました。


 彼と話したことは、ほとんど覚えていません。というのも、大体がくだらなくて、取るに足らない話ばかりだったからです。けれど、「君は耳が遠いな」とからかわれたことだけは、はっきりと覚えています。許せません。私の耳が遠いのではなく、彼の声が、ただ静かすぎて、低すぎるのです。でも、彼があまりにも楽しそうに笑うものだから、私もつられて笑ってしまいました。結局、何を言っていたのかは、最後までよく聞き取れませんでした。


 二人とも皿を空にして、お腹はすっかり満たされました。最後に残ったのは、カランと音を立てる氷だけでした。そろそろ、と席を立ち、お会計へと向かうと、おじさんが「千円です」と言いました。実際は千三百円。慌てて訂正すると、おじさんは申し訳なさそうに笑みを浮かべ、「すみません」と頭を下げました。前回は二百円、多く請求されました。つまり、こちらが沈黙していれば、毎度、どこかしらの数字が間違っているのです。


「伝票をつけてないもんで……」と、照れくさそうに笑うおじさんの顔が、私は好きでした。どんな不器用さも、その笑顔一つで、つい許したくなってしまう。正確さよりも、そういう温もりが、たまらなく愛おしかったのだと思います。だからきっと、私たちはまたここに来るのでしょう。帰り道、「伝票、絶対つけた方がいいのにね」と言って、私たちは笑いました。


 ああいう人になりたい、と心のどこかで思いました。けれど、それはきっと叶わない、とも思いました。私はまだ、自分を許せていないからです。それなのに、こうして文章を書いているのは、誰かに許されたいと願っているからかもしれません。本当に、図々しいですね。自覚はあります。


たぶん彼は、将来、「昔はよかったなあ」なんて笑って、あの喫茶店のおじさんみたいに、注文を間違えたりしながら、それでも、誰かに愛されているのだと思います。きっと、ああいう人が“レトロ”になっていくのでしょう。


私は、その未来にいないかもしれません。ほら、そんなことを考えてしまうので、やっぱり、未来の話は苦手なのです。でも、そうなるのは、ほんの少し……いや、かなり残念だと思えるくらいには、今日の朝が、ちゃんと楽しかったのです。


もし、あなたが嫌じゃなければ、居てもいいなら、私は、まだもう少しだけ。いえ、できるだけ長く、できればずっと、ここに居座りたいのです。迷惑なら、どうぞ遠慮なく蹴り出してください。だけど、それでも、できれば――


そんな願いが、自分のなかにひそかに、でも確かに傲慢に息づいていたことを、今朝が、柔らかな光とともに、静かに教えてくれたのでした。


おしまい。


――それが、今日の、ささやかな物語。


 楽しい話を書けたかどうかはわからない。けれど、少なくとも不幸な話ではなかった。私はケーキをおいしく食べたし、彼は笑っていた。それで一日が終わるのなら、もう、それでいいじゃないか。


とにかく、これは楽しいモーニングの話だ。そうでなければ、明日からまたケーキが食べられなくなってしまう。


でも、ねえ。

本当に楽しい人というのは、きっと、わざわざ「楽しい話をする」なんて、言わないのでしょうね。

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