神に選ばれた娘
雲乃琳雨
1、小蓮逃亡する
首都から離れた山間の質素な一軒家に、
小蓮は年頃の娘だが、手入れされてないぼさぼさの髪を束ねて、髪が落ちないように頭に布を巻いていた。着ているのは、動きやすい薄い色の作務で、一見少年のように見える。
師念は老人で、ほとんど白髪の波打った長い髪を横だけ後ろでお団子結びしている。口ひげも長くしていた。右頬に大きなシミが二つある。
朝食を片付けた後、師念は小蓮を座らせると、自分は立ったまま後ろ手を組んで話し始めた。
「今日は、お前の17歳の誕生日だ」
「はい」
先生は、いつもと様子が違う、と小蓮は思った。
「なぜお前を、8歳の時に両親から引き取ったのかを、話す時が来た」
「!」
それは小蓮も気になっていた。両親は、別れる時に何の説明もしなかった。ただ、
「お前を奉公に出すから、先生の言いつけを守るように」
と言われただけだった。
でも小蓮の記憶では、特に暮らしに困っていた様子もなかった。両親は悲しそうな顔をして、別れを惜しんでいた。
「今は誰も信じなくなった伝承がある。
昔、皇帝の圧政に苦慮していた時代。神殿に神のお告げがあり、たくさんの神官たちがそれを聞いた。
『今から317年後、娘を私の使者として遣わす。
その娘が17歳を迎えてから、伴侶に選んだ者が、不老不死を得て賢帝となるだろう。
目印は、7の月、17日、17時ごろに生まれた娘だ』
小蓮、それがお前だ」
「!」
「ほとんど知る者もいないが、お前が他の者に狙われる可能性があったので、私はお前を見つけて保護したのだ。伴侶に選ばれた者は、若返るとされているので、年齢は心配することはない──」
先生の話は続いていたが、小蓮はもう聞いていなかった。目線を下にして、先生を見なかった。
(
小蓮は、黙って立ち上がった。師念は話を止めて小蓮を見た。
「?」
(逃げなきゃ!)
小蓮は脱兎のごとく、家を飛び出した。
山道は使わない方がいいと思い、森の中に飛び込んだ。木々の間を走り抜ける。
(先生はこの辺に慣れてるし、杖を使っていても健脚だから、追いつかれるかもしれない)
『こっちよ』
急に声がした。ほわほわとした光の玉が大小三個、右の横に見える。光の玉が、前に出て先行した。
(とりあえず付いて行こう。今は、光が何か考える余裕はない。この先は急流の川が流れている)
川に出たところで、上から
しばらくすると難所を過ぎ、流れが緩やかになった。少し落ち着いて、考える余裕ができた。筏が流れてくるなんて出来過ぎだった。
(これも神の思し召しなんだろうか)
川の流れのように、小蓮の心は複雑だった。
山が終わり、開けた荒野に入った。川は首都の外周を流れる。首都の大門の近くまで来てから、岸に筏を近づけて飛び降りた。筏はそのまま下流に流れていった。川の水を飲んで一息つく。
家から出る時に持ってこれたのは、履いてる靴だけだった。
「はあ」
ここまで短時間で来れたのは、幸運だった。
小蓮は、大門に向かって歩き出した。
今日のことで、今までのいきさつが全て分かった。家族三人で幸せに暮らしていた頃を思い出す。先生は、恐らく両親をだまして、私を連れ去った。もし両親が、お告げの詳しい内容を知っていたら、絶対拒否するはずだ。
私は、先生と9年間暮らしていたが、先生を信用したことがなかった。先生が私を雑に扱うことはなかったけど、子供としてかわいがることもなく、あくまで奉公先の師匠と弟子の関係で、先生と居ても楽しいことは何一つなかった。そのため、心の底の不安が払拭されず、会った時の怪しい老人という印象が消えることはなかった。
私が着の身着のままで家を出たのは、薬師として一人前になっていたからだ。どこでも一人で生きていける。それについては、先生に感謝している。自分でも早く習得したいと思ったのは、早く独立して先生の家を出たかったのもあった。
でも、実家にはもう帰れない。
一人で薬の行商をさせてもらえるようになってから、こっそり実家の様子を見に行ったことがある。先生の家と同じような山の中の一軒家で、小さな畑がある。森の木に隠れて様子を見ていた。
外から見た住まいは、何も変わっていなかった。家のそばでは、小さな男の子と女の子がいて、楽しそうに遊んでいた。弟と妹が出来ていた。父と母も元気だった。何不自由なく暮らしている。
多分先生から、お金をたくさんもらったんだろう。もう自分の居場所はないと思って、その場を離れた。どうしようもないことだと思ったけど、なんだかとても寂しかった。
先生は実家を知っているから、家族に迷惑はかけられない。それに、先生以外にも私を探している人が、実家を訪ねてくるかもしれない。
先生は、私が実家に帰らないのを分かっているだろう。私の考えを読んで、この先の足取りも分かっていると思う。できるだけ早く首都に着かなければ。
そして、これからは一人で生きていかないといけない。今は、寂しいとか考えている暇はなかった。
大門を通って、昼が過ぎた。ここまで歩き続けた小蓮は、おなかがすいていた。最初に目指すのは、医師の
やっと先生の診療所に着いた。
「すいません」
戸を開けて小声で静かに入る。誰もいない。診療所で働いてる人たちは、遅い昼ご飯に入ったのだろう。奥の診察室から声がした。先生は診察中のようだ。障子戸の横で待つことにした。中の声は、はっきりとは聞こえない。
小蓮は、壁にもたれて休んだ。目線を落として考えた。
(疲れた。今日で人生がまた変わってしまった……)
(私は、本当に伝承の娘なんだろうか……)
伝承については、今まで他でも聞いたことがなかった。自分がそうだと言われても、半信半疑だった。今までそんな兆候は何もなかった。
光の玉のことを思い出した。その後、筏が流れて来たりした。尋常ならざることが起こったことを考えると、やはりそうなんだろう。
自分の伴侶が不老不死になって皇帝になるなら、自分はどうなるんだろう? 私の特典は何だろう? いい暮らしができることかな? 今までの苦労を考えると、おつりがくるのかな。よだれが。
もし、選ばなかったら、どうなるんだろう……、と様々なことを考えていた。
ガラッ 障子戸が開いた。
そちらに目を向けると、帯剣した黒い着衣の、体格のいい男が出てきた。短髪で整った顔立ちの若者で、鋭い目つきでこちらを見ている。無地だが良い着物を着ているので、高い身分の人に使える武人だろうと思った。
王先生が、診察室から出てきた。
「おや? 誰か来たかと思ったが、誰もいなかったか」
二人の姿は、そこにはなかった。
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