ケルベロスと魔女 〜グローアの話〜

織音めぐ

第1話





「二度と恋なんかできない身体にしてやる――」





 悔し紛れに最後に叫んだ言葉を聞いたシャロンのあの表情が、頭の奥にこびりついて離れない。慟哭の叫びは、押し迫る後悔を掻き消すためだった。

 でもそれだけじゃ足りず、これで良かったのだと自分に暗示をかけた。この狂事を正論で固めなければ、心が保てない。とはいえ必死にあげつらうそれは、彼女に対して散々感じてきた呪詛そのものだ。

 

 そう、あんまり優秀で何でも持っているのに、優等生なわけでもないのが鼻についていた。普通の顔をして、普通じゃないことをさも簡単にやり遂げるのも気に入らない。優しいふりをして、実力差を見せつけているのも知っている。


 何ひとつ敵わない。容姿も能力もなにもかも、努力では埋められない才能の差は残酷だ。私が手に入れたかったものを、すべて攫っていく。日々の積み重ねを軽やかに無視するその姿勢は、羨ましくて憎たらしい。


 そうやってあらゆる理由じゅもんを並べ立てて下した鉄槌はあまりにも重かったが、それに見合う結果はこの手に得られた――はずなのに。


 恨めしそうな目が、自分の名前を呼びながら毒が回る身体の異変に困惑する瞳に変わって、変色する肌に絶望する瞳になった。荒い呼吸が絶え絶えになったのは、訴えかけるにも喉がうまく機能しなくて声が出ないからだ。


 森の奥に消えていくシャロンを哀れに思う優越に浸っているのに、思っていたほど手答えを感じない。望んでいた結末を迎えたのに、心が晴れない。これであの人が手に入るわけではないからだと気付くも、正直なところ、あの人はこの凶行の為の理由でしかない事に気付く。

 

 シャロンがもっと自分を責めてくれたなら。醜く罵り、痛みを訴え、運命に抗ってくれたなら。あのシャロンでさえ、心の底には自分と同じように汚いものを持っているのだと確認できたなら。


 でも、自分がシャロンを憧れ、憎んできたのと同じだけの思いは、殺したって返ってこなかった――。失意に暮れて佇んでいると、どこでばれたのか大勢の仲間に捕まった。




 同族殺しに魔女は厳しい。寄って集って押さえつけられ、抵抗すれば蹴られた。手を縛られ、文言を唱えられないように口を塞がれ、罵られ、そこでやっと少し正気に戻ったのを覚えている。引きずられながら戻った村の外れのくたびれた塔、沙汰が出るまでは、と一切魔法の使えない牢獄に入れられた。


 切れた口の中は、始終血の味がしていた。舌を抜かれなかっただけまだましだと考えたが、それでは血に溺れて死ぬからだと気付いて、これからの拷問に身を震わせる。

 

 擦り傷も打ち身も酷いが、ここでは自分で手当てができない。それも含めて罰なのだということはわかっていた。同族を殺め、作ってはならない毒沼の毒を精製するという禁忌を二つも犯したのだから当然だ。ましてや手をかけたのが親友では、かける温情なんてあるはずがない。


 落ち着く間も無く、高い窓からは水や蛇が落とされる。毒蜘蛛に噛まれることもあった。でも、毒に当たったところで次の日には看守が気付いて手当てを施すから、延々と苦しいだけだった。

 



 大魔女は眠りの時期だから、こんな日がいつまで続くかわからない。見つからずに逃げるには好都合だと思ったが、思わぬところで打算が裏目に出た。これでは嫌がらせに終わりがないし、村のみんなからは白い目で見られる。自分のやったことを棚に上げて、ものの一年も耐えられずに許しを請うた。


 早くここから出たい。どうせ下されるのは極刑だ。なら、今殺してくれと毎日頼み続けた。だから、大魔女が目覚めたと聞いた時は嬉しくて仕方なかった。もう終われる、とにかくこの状況が変わるならなんでも構わなかった。


「グローアは、私と一緒に暮らすこと」

 

 待ちに待った沙汰を聞いた時は、愕然として足元から崩れ落ちた。周囲がどよめく中で、なぜ毒沼に落ちろと言ってくれないのかと食って掛かる自分に、大魔女は笑う。

「そんなずるいことは許しませんよ」

 優しい笑顔のその奥に、悪魔を見た気がした。



 それから、一切魔法が使えないよう処置されて、本当に大魔女の所で暮らすようになった。

 村の目はまだ厳しく、外出は一切出来なかった。大魔女の家だから小さな嫌がらせはなくなったけれど、沙汰に納得しない者は多く、外に出れば間違いなく殺されてしまう。窓から外を見ることは許されず、実際、いつも誰かに見られているようで窓際が怖かった。


 それでも投獄されていた時に比べればずっとまともな生活を送れるようになり、食事も取れる。大魔女の侍女として仕えるのも苦ではなかった。

 一日の半分は専門ではなかった薬学の勉強をすることになり、それも毒薬について学べと指示された時は辛かったが、毒蜘蛛や蛇に噛まれてのたうち回る夜には勝てない。そのうち五十年、六十年と過ぎて、風の噂にあの人が亡くなったことを聞いた。なにも思わなかった。




 毒がどのように身体を蝕み、痛みを与え、死へと導いていくのか。学ぶほどに、シャロンを思い出さずにはいられない。最強の毒は、どんな苦しみを与えるのかわかった夜は、眠ることができなかった。


 たかが嫉妬で、なんて浅はかなことをしたのだろう。彼女が一体なにをして、そんな目に遭わなければならなかったのか、あの時は色々とあげつらったが、今となってはそのうちのひとつだって理解できない。


 あまりにも非情で理不尽な仕打ちに、彼女は一体なにを考えただろう。あの眼差しから思い起こすことは、十にも百にも増えて、夜毎に前非を悔悟する。そんなある日、シャロンがまだ生きていることを知った。心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。



 あの日からとうに百年は過ぎているのに、シャロンは対抗魔法をまだ唱え続けているらしい。そんな馬鹿な、と思うよりも前に、聞いた時はなぜかほっとしてへたりこんだ。それは、まだ許される余地があるかもしれないという期待――ではなく、純粋にシャロンを助けられるかもしれない光明が差した瞬間であった。

 

 なぜそう思ったのか、今はもう定かではない。けれど、聞いたその場で大魔女に頼み込んで、解毒法を探す許しを乞うた。意外にも許しは早く出たため、それからは恐れず外へ出て薬学の権威に学び、意見を聞き、解毒剤を作ることに夢中になる。大魔女の引き立てもあって昔のように蔑まれることも減り、有難いことに声をかけてくれる者まで現れた。

 


 毒沼の解毒剤を作ることが、シャロンへの償いになると信じるようになったのはこの頃だ。大魔女に助けられながら生きていくことを選び、侍女として働く傍ら、薬学にひたすら勤しんだ。

 大魔法典の解毒法を知り、月に一度は復活の実を探しに出かける。闇市に赴くのは日課だった。でも、シャロンに会いには行けないまま、また百年が経ち――シャロンは知らないうちに密かに目覚め、ひっそりと村を出て行ったと聞いた。

 

 出ていく時には、大魔女に会って自分がここにいると知ったようだけれど、一目会うことは叶わなかった。当然だろう、文句はない。助けようとも助けられなかった以上、いや、それ以前に自分はシャロンに手をかけた張本人で、憎まれる要素の他にはなにもないのだ。

 なぜ裁かれていないのか不満に思うことはあっても、会いたい気持ちなんて微塵も湧くはずがない。そう納得するとともに、烏滸おこがましくも随分と淋しい気持ちになったのは忘れないだろう。



 シャロンが目覚めて出て行った以上、それからは大魔女の元で慎ましく懸命に働くことが罪を償うことに値すると信じた。そして今、幾年ぶりにあった親友は――また眠っている。

 


「もう十分でしょう」

 


 大魔女の囁きに、心が動く。だけど、薬匙をとったのは自分の為だった。 

 この償いに私から勝手に終止符を打つことはできない。グローアは、ただひとつ心に秘めた思いを新たにする。





 ――私は、いつかタルタロスに堕ちて、目覚めたシャロンに会って詫びたいのです。







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ケルベロスと魔女 〜グローアの話〜 織音めぐ @meg_orine

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