ルール

Ash

 

 その日、何の予兆もなく、巨大な円盤が国の真上に現れた。金属の鈍い光沢を放ち、一切の音を立てずに天空に静止するその物体に、国中の人々が息を呑み、空を見上げた。

 刹那、全ての国民の脳裏に、直接響く声があった。


「Trick or Treat!」


 その言葉を残し、UFOは忽然と姿を消した。


 残された言葉は、この国の古い祭りで子供たちが口にするものだった。その意味は「ご馳走をくれなきゃ、いたずらするよ」となる。その意図を測りかね、国は即座に主要な権力者たちを集め、緊急対策会議を開いた。


「トリック・オア・トリート」


 祭りでは、子供たちは菓子やちょっとした料理をもらえば満足する。いたずらといっても高が知れており、忙しい子供たちに悪質な真似をする暇はない。

 しかし、相手が自分たちを遥かに凌駕する科学技術の持ち主ともなれば話は別だ。

 何を『ご馳走』として用意すべきか。どれくらい用意すれば良いのか。そして、『いたずら』とは一体何をされるのか。想像もつかない恐怖が、会議室を満たした。

 それでいて、単なる悪ふざけとは思えなかった。祭りの日を二日後に控えているというタイミング。そして何よりも、国民全員で『ご馳走』か『いたずら』か、どちらかを選び、多数決を取るという意思が、言葉とは別に直接伝わってきたのだ。集まった権力者たちは、戦々恐々としていた。

 そう、集まった権力者たちは……


 この国は建前として民主制を謳ってはいたが、実際には酷いものだった。

 一部の支配階級が富を独占し、政治や法律を意のままに操る。国民には高い税率と過酷な義務が課され、逆らう者には容赦なく警察や軍隊の力が向けられた。その結果、国民の大半は明日の食事にも事欠く有様で、誰かに何かを差し出す余裕など皆無だった。

 UFOからの要求に、最初は権力者と同じく恐怖した国民だが、すぐに悟った。『ご馳走』などない。差し出せるものは命か、それに準ずる重要なものしかない。彼らに『ご馳走』という選択肢はあり得ないのだ。ならば、未知の『いたずら』の方がまだマシかもしれない。恐ろしくないわけではない。しかし、誰もが諦念とともに、『いたずら』に一縷の望みを託すしかなかった。


 しかし、権力者たちはそうはいかない。

 『ご馳走』も嫌だが、正体の分からない『いたずら』は、さらに彼らの恐怖を煽った。彼らは、何としても国民の半数が『ご馳走』を望むよう、策を練ることにした。

 

 まず、何を用意するかが議題にあがった。しかし、なかなか意見は出ない。誰だって宇宙人が望むものなんてわからないし、想像すら叶わない。

 結局、具体的な案も出ないまま一日目の夜が更けた。とりあえず、祭りの習慣に倣い、各家庭で可能な限りの豪華なご馳走を用意することだけを決め、その日は解散となった。


  ◇


 翌日、再び同じ顔ぶれが揃った。

 一日の猶予があったせいか、その日は朝から活発に意見が交わされた。


「我々がご馳走を用意することで恩を着せ、国民に『ご馳走』を望むよう通達すれば良い」


 ある男性が提案した。


「ご馳走の元は国民が作った作物や穀物ですよ。それで恩を着せるのは難しいんじゃない」


 別の女性が反論する。


「ならば、『ご馳走』を選んだ国民には特別手当を支給しよう。費用は私が負担する」


 さらに別の男性が声を上げた。


「どうせ事が済んだら特別税と称して、いつものように上乗せして徴収するつもりだろう。それなら俺にも金を出させろ!」


 これまた別の男性が噛みつき、口論が始まった。しまいには年配の男性に窘められ、二人とも黙り込んだ。


 誰もが腐りきっていた。親から譲り受けた権力を手に、ぬるま湯に浸かり、弱者を虐げることしか知らない彼らにとって、UFOの出現はあまりにも想定外の出来事だった。その後も、「投票で細工しろ」「軍隊で脅せ」といった浅はかな意見が散発的に上がったが、すぐに打ち砕かれた。脳裏に直接語りかける相手が、細工できるような投票を行うとは思えない。心を読まれて多数決が決まるのなら、脅迫は逆効果にしかならないといった次第だ。

 気がつけば、参加者の口数は極端に減り、沈黙の中、時間だけが無為に過ぎていった。


 夜半に近付いた頃、一人の女性が「所用がある」と言って退席した。

 するとそれを皮切りに、「ご馳走の準備がまだだ」と言って一人、また一人と帰っていく。中には、「トイレ」と言って席を外したまま戻ってこない者もいた。

 気がつけば、会議室には人影は一つもなかった。大したことも決まらぬまま、祭りの前日は静かに終わりを告げた。


  ◇


 祭りの当日。国中は奇妙な静寂に満たされていた。

 それもそのはず。国民だって差し出すものが命しかないから『いたずら』を選んだだけで、恐ろしくないわけではない。『ご馳走』を選ばなかったからといって、命の保証があるわけではないのだ。心穏やかに過ごせるはずもなかった。

 誰もが家の中に閉じこもり、家族と身を寄せ合って震えていた。

 そして、そのまま一日が過ぎ、祭りの日もあと一時間ほどを残すばかりとなった頃。誰もがこのまま何事もなく、無事に一日が終わるかと希望を抱き始めた、その時だった。


「すごーい!」


 最初に響いたのは、小さな子供の、純粋な感嘆の声だった。

 その声に反応するように、近所の子供たちが大人の制止を振り切り、次々と外へ飛び出していく。そして、あちこちから子供たちの驚きの声が上がる。不思議に思った大人たちも、一人、また一人と屋外へ出てきた。


 そして、彼らは言葉を失った。


 夜空一面に広がる、奇跡のような輝き。花火ともオーロラとも異なるその光は、幻想的で、筆舌に尽くしがたい芸術だった。言葉では表現しきれないほどの美しさと感動に満ちており、見る者すべてを虜にした。

 大人たちが呆然と立ち尽くす中、子供たちの飾らない歓声だけが響き渡る。その声は連鎖するように周囲へ、そして国中へと広がっていった。

 初冬の夜半、肌寒さも忘れ、すべての国民がただひたすらに夜空を見上げたまま、祭りの日を過ごしたのだった。


  ◇


 翌朝、この国は変わっていた。

 昨日の静寂とは打って変わって、国民は活気に満ち溢れていた。対照的に、権力者たちは沈黙していた。

 そう、彼らは逃げ出したのだ。

 想像を絶する『いたずら』への恐怖。今の地位と富を失うことへの怯え。そして、立場ゆえの責任を負わされるかもしれないという重圧。それらに耐えきれなくなった彼らは、最終的に国を捨て、持ち得る限りの財産を持って、遠いどこかへと旅立っていってしまったのだ。

 残されたのは、広大な土地と建物。容易には持ち運べない、今年収穫されたばかりの作物や穀物。

 そして、大量の『ご馳走』だった。

 国民は久しぶりの贅沢を心ゆくまで楽しみ、残された土地や財産を平等に分配すると、新たな国作りを目指して歩み始めた。この国に、新しい時代が訪れたのだ。


  ◇


 星から離れていくUFOの中で、見たこともないような種族たちが、穏やかな声で話し合っていた。


「それにしても、こんな辺境の星に、我々の故郷と同じ風習があるとは驚きだね」


「まったくだ。年に一度、『美しい仕掛け』か『素晴らしい贈り物』か、好きな方を選ばせて隣人に『贈る』この風習がね」


「我々も大好きな素晴らしい風習だからね。巡り巡って、どこかから伝わったのかもしれない」


「しかし、私は『贈り物』を選ぶと思っていたのだが、『仕掛け』の方を選んだのは予想外だった。我々の技術力を欲しなかったのだろうか?」


「きっと、慎ましい種族が住んでいるのだろう。度を過ぎた技術は、時に身を滅ぼすこともあるからね」


「何にせよ、彼らが喜んでくれたのなら良かった。我々も調査を終えて、早く故郷へ帰ろう」


 UFOは、何処とも知れぬ宇宙の彼方へと、静かに飛び去っていった。




   おしまい

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ルール Ash @AshTapir

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