負けヒロインだっていいじゃない。恋愛は勝ち負けじゃないんだよ。

五平

第1話:完璧な誓い、遠い眼差し

ひなた、もしあなたがこの手紙を読む日が来たなら、

ママは少しだけ、昔の話をしようと思う。

パパと、もう一人のママの、出会いの話。

それはね、パパが人生で一番輝いていた日。

そして、私が、一番泣きたかった日でもあったんだ。

ひなたはまだ小さいから、きっとピンと来ないかな。

でも、いつかこの気持ちがわかる日が来るかもしれない。

覚えていてほしい。

これは、私の、本当の始まりの物語だから。


手紙を書いている私は、あの日の光景を思い出す。

初夏のまばゆい光が、チャペルいっぱいに降り注いでいた。

窓からは、新緑の木々がキラキラと輝いて見えた。

白い百合の香りが、あたりを満たしていた。

甘く、少しだけ切ないその香りが、

私の胸の奥を締め付ける。

聖歌隊の歌声が、高く、美しく、

教会の高い天井に吸い込まれていく。

その荘厳な響きは、まるで天からの祝福のよう。

悠真と美咲の結婚式が、今、まさに執り行われている。

私は、友人として参列しながら、

少しだけ、いや、うんと離れた席から、

二人を、ただ、じっと見ていた。

悠真の隣で、ひときわ輝く美咲の姿。

そのウェディングドレスは、純白の光を纏っているよう。

長く伸びたトレーンが、純白の絨毯に優雅に映えていた。

美咲の笑顔は、絵に描いたように完璧で、

少しの隙もなかった。

ただ一つだけ、あの時の美咲の髪はほんの少し乱れていた。

でも、それすら完璧な花嫁の演出のように見えた。

まるで、最初からそこにいるべき存在のように。


幼い頃から、悠真にとって一番近い存在だった。

誰よりも彼のことを知っている、と信じていた。

彼の好きなもの、嫌いなもの、癖、夢。

全部、私が一番よく知っているはずだった。

そのはずの私が、今日、この場所で、

一番遠い場所にいるような感覚に陥っていた。

式場の窓から見える青い空は、どこまでも澄み渡り、

雲一つない。

私の心とは裏腹に、その空はどこまでも明るく、

どこか私を嘲笑っているように感じられた。

私の手は、祝福の拍手を送ろうと、

ドレスの裾を強く握りしめ、微かに震えていた。


牧師の荘厳な声が、チャペルに響き渡る。

悠真と美咲が、永遠の愛を誓い合う。

「健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も…」

その言葉一つ一つが、私の心臓を

鈍器で叩くように、ズン、ズンと響いた。

彼らの指には、お揃いのシンプルな指輪が光っている。

プラチナの輝きが、二人の絆を象徴しているようだった。

私は、ただ唇を強く噛み締め、その光景を見ていた。

指輪の輝きが、私の目に焼き付いて離れない。

息をするのも苦しいほどの、強い痛みだった。

視界が、じわじわとにじむのを感じた。

涙が溢れそうになるのを、必死でこらえた。


ブーケトスの瞬間が来た。

美咲は、その完璧な笑顔を崩さないまま、

悠真にそっと寄り添った。

二人の間に漂う揺るぎない幸福感は、

まるで厚いガラスの壁のように、私を隔てる。

私は、ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。

投げられたブーケは、ふわりと宙を舞い、

私の頭上をはるかに越えて、

別の友人の手の中に、ストンと収まった。

その瞬間、安堵と、かすかな絶望が混ざり合った、

複雑な感情が私を襲った。

ああ、これで、もう、完全に終わりなんだ、と。


過去が、走馬灯のように脳裏をよぎる。

高校の卒業間近のことだ。

私は、悠真に告白しようと、

何度も何度も書き直した手紙まで用意した。

便箋は、私の想いを吸い込んで、

少ししわくちゃになっていた。

放課後の教室で、彼を待っていた。

でも、その時、美咲という完璧な存在を知ってしまった。

彼女の聡明さ、美しさ、すべてが私には眩しすぎた。

まるで、私とは違う、別の世界の住人だと思った。

私の小さな勇気は、あっけなく打ち砕かれてしまったんだ。

手紙は、結局渡せずじまいだった。

今も、私の部屋の引き出しの奥に、

読まれることのないまま、静かに眠っている。

いつか、この手紙をもう一度、開く日が来るだろうか。

その時の悔しさが、今、

胸の奥でチリチリと燃えているようだった。

未練という名の炎が、まだ消えずに残っていた。

私は、あの日の自分に、何もしてあげられなかった。


式が終わりを告げようとしていた。

参列者たちが、出口へと向かい始める。

美咲が悠真の腕にそっと手を添え、

優しく、何かを話しかけていた。

「私、時々自信がなくなるの。

でも、悠真くんとひなたのためなら頑張れる。」

それは、参列者には聞こえない、本当に小さな声だった。

美咲は笑顔を崩さぬまま、グラスの縁を指でなぞっていた。

その細い指先が、ほんの少しだけ震えていた。

美咲にも、そんな弱さがあるのか。

その一瞬の陰りすら、完璧な美咲を見て、

私は自分の未熟さを痛感した。

私には、そんな風に弱さをさらけ出す強さも、

それを支えられる器もない、と。

私は、ただ、笑顔で拍手を送り続ける。

それが、私にできる全てだった。

手が、じんわりと熱くなるほど、

拍手を続けた。

心の中では、別の感情が渦巻いていたけれど。


披露宴の終盤だった。

美咲がシャンパンを片手に、

遠くから私を見つめていた。

そして、私にだけ、小さく、しかしはっきりと

「ありがとう」と口パクで伝えたように感じた。

それは祝福の言葉だったのだろうか。

それとも、別の意味があったのだろうか。

私には分からなかった。

だけど、その言葉が、まるで呪文のように、

私の胸の奥をざわつかせた。

美咲の瞳の奥に、何か深い意味が隠されているような。

彼女のその言葉の真意は、まだ知る由もなかった。

外は、もう夕焼けに染まり始めていた。

私の心だけが、凍りついているようだった。

これから、私の人生は、どうなっていくのだろう。

そんな漠然とした不安が、胸をよぎった。


悠真が、私の元へ歩み寄ってきた。

「葵、来てくれてありがとうな。

まさか、こんな日が来るなんてな。」

彼の声は、いつもと変わらない、優しい響きだった。

「うん、おめでとう、悠真。」

私は、精一杯の笑顔を作って答えた。

悠真は、私の肩をポンと叩き、

「また、ゆっくり話そうぜ」と言って、

美咲の元へと戻っていった。

彼の背中が、遠ざかる。

私は、その場に立ち尽くしたまま、

二人の後ろ姿を見送った。

もう、二度と、彼の一番近くにはいられない。

そんな寂しさが、胸いっぱいに広がった。

だけど、これでよかったんだ、と自分に言い聞かせた。

私の物語は、まだ始まったばかりだ。

そう、心の中で、小さく呟いた。

でもその声は、あの日の空の向こうまで届いていくような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る