アハトとマルグリット
蒼井シフト
第1話:アハト
「わたしたちは、星のかけらで、できているの」――マルグリット
**
「あと10分で、軌道ステーションに到着します」
シャトルのアナウンスを聞いて、マルグリットは「ほふぅ」とため息をついた。
バイザーの右隅に目を向ける。今までは惑星クラワツムの映像と、駅との位置関係が示されていた。それが軌道ステーションの映像に切り替わった。平べったい四角い建造物。中央に円錐形のでっぱりがあって、紐みたいなテザーが伸びている。
駅もシャトルも無人だったが、ステーションには迎えの人が来ているはずだ。
どんな人なんだろう。怖い人じゃなければいいんだけど。でもきっと、すごく怖くて厳しい人なんだろうな。そう思うと泣きたくなる。ここまでの旅路で、もう何百回も繰り返してきた想像を、首を振って無理やり追い払う。
ええい、その答えがもうすぐ分かるんだ。向こうも、わたしが必要だから呼び寄せたわけで。取って食われるわけじゃない。
初めての環境にも、いずれ慣れるさ。早く慣れて、2年の兵役を務めあげよう。そしたら
そんなことを考えているうちに、船体に軽い衝撃が走った。前方で金属が触れ合う音がする。2分ほど待つと、シートベルト着用の表示が消えた。
「ゲート7に接続しました。お疲れ様でした」
それ以上のアナウンスはなかった。シートベルトを外して、立ち上がる。
シャトルにはマルグリットしか乗っていない。棚からスーツケースを取り出し、乗降口に向かう。スーツケースがやけに重く感じられる。でもそれは気持ちの問題で。人工重力は0.9Gで変わっていないようだ。
乗降口は、もう開いていた。
マルグリットと同じ宇宙服姿の人物が、待っていた。
「あの。初めまして。よろしくおねがいします」
頭を下げた。相手は直立したままだった。マルグリットはバイザーの遮光率を下げた。不安な気持ちを振り払って、笑顔を作る。
「マルグリットと申します。ブルディガラから来ました」
相手は頷いた。バイザーが透明になり、中の顔が浮かび上がった。
”あれ、意外にきれいな顔してるんだなぁ”
それが、率直な感想だった。
”『
あご細い。鼻の形もすっきりしている。おめめパッチリだな。
クルーカットじゃなくて、もっと伸ばした方が似合うと思うけど。
ていうか、わたしより身長低くない?”
マルグリットの表情は、驚きから安心、好奇心と目まぐるしく移り変わったが、相手は全くの無表情だった。敵意や嫌悪感はない。儀礼的な微笑みすらない。
「マルグリット。長旅お疲れ様でした。着任を心から歓迎します」
心から、と言われても、表情からは一切の感情が排除されている。
「では、案内します。ついて来て下さい」
踵を返すと、歩き出した。
「ちょっと待って。あなたの名前は?」
慌てて追いつくと、マルグリットは尋ねた。
少しの間、黒い瞳がマルグリットを見つめた。
「名前は、ない」
「は?」
「仲間からは、
どう返したらよいか分からず、マルグリットは困惑した。
名前がないなんて、何か特別な事情があるのかもしれない。
聞いていいのか分からないので、マルグリットは無言でついて行った。
格納庫のハッチをくぐり、通路を進む。
「この先は、日光が当たるから、バイザーを戻した方がいい」
バイザーを操作し、2人の顔が見えなくった。
ハッチの向こう側は、ボーディングブリッジだった。窓から外が見える。星空を遮るように、一隻の艦が係留されていた。
「あれが、わたしたちが乗る艦です。兵員輸送艦アイヤーカートゥン」
マルグリットは黙って頷いた。”船には名前があるんですね”というツッコミは、口にしなかった。
ボーディングブリッジを登る。
艦内に入ると、タンクトップにショートパンツという軽装の隊員が出迎えた。
「お帰り、アハト」
「ああ」
「あれっ?」
マルグリットは思わず声を上げた。
相手の顔が、アハトと瓜二つだったからだ。
「もう脱いでいいぞ」バイザーを外して、アハトが言った。
「手伝おう」双子(?)が手を貸してくれた。
首を振ると、プラチナブロンドがふわりと広がった。
大きく深呼吸する。そして。
のけぞった。
「
守るように、鼻を両手で覆った。
「この
**
アハトも大きく息を吸い込んだ。
「汗と垢。若干の排泄臭。オイルや樹脂の匂い。
危険を感じるような臭いはないぞ」
「危険って?」
「ショートした配線が燃える匂いとか、化学兵器とかだな」
「この臭さそのものが危険じゃないの!?」
アハトは、再びマルグリットの碧眼を、じっと見つめた。
「何が言いたいんだ?」
「何って・・・」
マルグリットが絶句していると、双子(?)が彼女の頬に手を伸ばした。ぎゅっとつまむ。
「あだっ」
悲鳴を聞いても、双子(?)は無表情のままだった。
もう片方の腕も伸ばし、両手でぐいぐいと頬を引っ張る。
「あのう、何を?」
痛みよりも、事態の意外さに呆然としていた。
「へえ。本当の顔なんだね」
「どういう意味ですかっ」
「お面じゃないんだ」
アハトが双子(?)の腕に手をかけた。彼女は手を離した。マルグリットの頬がびょーん、と元に戻る。
「行こう、マルグリット。師団長が待っている」
双子(?)をその場に残して、2人は歩き出した。
「アハトは、わたしの何なの?」
「マルグリットの生活全般をサポートする。
軍隊生活は、初めてなんだろう?」
「うん」
アハトは、会議室のドアをノックする。
「アハトです。連れてきました」
「入ってくれ」
髪の長い女性だった。
テーブルの上に展開したディスプレイから、顔を上げる。
”あれ、もしかして二人のお母さんなの?”
アハトが年を取ったらこうなるんじゃないか。そんな顔立ちだった。
「よく来てくれた。マルグリット。長旅ご苦労様」
立ち上がり、椅子を勧める。勧められるまま、マルグリットは着席した。
「わたしは、クラワツム師団の師団長だ」
「あの、お名前を伺ってよろしいですか?」
「名前か」
彼女はあごをさすった。表情に変化はない。
「我々の生活は、『内地』とは違いがある。
兵隊だった頃は、86や386と呼ばれることが多かった。
今は、師団長と呼んでくれれば良い」
マルグリットは、呆けたように口を軽く開けて、師団長を見た。
まさか、誰も名前を持ってないの!?
「惑星ブルディガラでは、どんな職種についていたのか」
「あ・・・わたしは農業担当でした。農業機械の管理を3年。それから栽培計画の立案に携わりました。あ、あと、宇宙に半年ほど滞在したことがあります」
「軍事訓練を受けたことは?」
「まったくありません!」
「そうか。では体力はどの程度かな。腹筋してくれ」
床を指差した。
戸惑ってアハトを見ると、頷いている。マルグリットは床に腰を下ろした。
「何回ですか?」
すると、師団長は再び、あごをさすった。
「何回できるか、見たいのだが」
”限界までかっ!” マルグリットは絶句した。
「60回か。よろしい。これから鍛えればよい。
兵士の鍛え方を、我々は熟知している。その点に何の不安もない」
マルグリットは、痙攣する腹筋をなでながら頷いた。
「だが今後、『内地』の市民が兵役に就くにあたって、生活習慣の違いがストレスを生むのではないか、と我々は懸念している」
「違い、とおっしゃるのは?」
「分からないのだ。
我々にとっては当たり前なことが、市民にとってはストレスになる、らしい。
君には、一人前の兵士になることに加えて、そうしたストレスの原因を調査し、報告して欲しい。
君の調査を補佐する者が、まもなく到着する」
「いつまでに報告すればよろしいのでしょうか?」
「まずは1か月後に会おう。この1か月は、生活に慣れるので精いっぱいだろう。感じたことを話してくれればよい。日誌はつけるように。君が感じた違和感を、追求できるようにしたい。
アハトには引き続き、君の生活をサポートしてもらう。必要なものがあれば、彼女に言ってくれ」
「わかりました」
**
「はあ~。疲れたよ」
マルグリットは、盛大にため息をついた。
「なんだか、大変そうな任務だな」
「まったくだよ。何が『ストレスを生むのではないか』だよ。ストレスばっかりだよ!」
”そうだよ。わたしたちは、食べ物を育てたり、駅を作るのが仕事なのに。
戦争なんて、『
そう心の中で呟いてから、マルグリットはちらり、とアハトを見た。
表情がないことを除けば、アハトは自分と変わらないように見えた。
”アハトは、戦争に行って・・・死んじゃうの?”
戦いは全く気が進まないが、アハトが戦場に向かうのも、ひどく間違っている気がした。
”『
化け物なら戦場で散っても良いのか、というツッコミは、聞こえなかった。
それが、マルグリットが生まれ育った社会と時代の、限界だった。
「そろそろ、食事の時間だ」
「食事! 待ってました!」
「少し早いが、許可はもらってある」
「食べることが唯一の楽しみだよ」
食堂は30人ほどが入れる広さだった。今は誰もいない。
「ここはどんな形式? カフェテリア形式?」
「軍艦でカフェテリア形式はないだろう」
「じゃー、トレイに盛れるだけ盛って良いタイプ?」
「トレイなんて使わないぞ」
「え?」
食堂の一角に、ボタンが一つあった。取出口もある。
アハトが2度押すと、箱が2個、出てきた。
「足りなければ追加していい。
慣れないうちはのどに詰まるかもしれない。そこに水がある」
「あの、アハトさん、これは何ですか?」
「食事だ」
「嘘だ~。嘘と言って!」
「混んでいる時は歩きながら食べたりするが、今日は座って食べれるな」
「有難いことのように言わないで!」
包装を破る。
マルグリットは、目頭を押さえた。
「わたしの鼻は、もう何も感じないと思っていたのに」
「匂いがどうかした?」
「長期保存用に乾燥させてあるのに、生魚のような臭いがするって、不思議。これは調理技術の究極の到達点なのかもしれないです。ああ、発酵すると、保存性や栄養価、風味が向上するらしいよね」
「立派な食べ物なんだな」
「皮肉が通じない!!」
手短な食事が終わると、隊舎に入った。艦内の居住区画。10人部屋である。
「わたしたちの小隊は、この辺の4部屋だ。君のベッドとロッカーはこれ」
ロッカーの使い方を聞いていると、他の隊員たちが入ってきた。
「あ、アハトいた!」
「あいつが新入りか」
あの声は双子(?)か。そう思って振り向いて、マルグリットはぎょっとなった。
双子が、3人に増えていたのだ。
いや、厳密にいえば、1人は年上だった。顔に縫い傷がある。
もう一人はまだ童顔。配属されてから2年ほどなのだろう。
3人はマルグリットの顔を覗き込んだ。無表情でほとんど同じ顔に囲まれる。マルグリットが硬直していると、まるで示し合わせたかのようなタイミングで、一斉に手が上がり、彼女の頬や耳を引っ張った。
「痛い痛い!」
悲鳴を上げて、彼女たちの手を振り払う。
「大袈裟だな」
「ちぎれるような力は入れてないぞ」
「ちぎれなきゃいいと思っているの? ぐわっ!?」
縫い傷が、マルグリットの金髪を掴んで、頭皮を覗き込んだ。
「根元まで金色だな。染めたのではないんだな」
「多少、薄い奴はいるけど、こういのは見たことがない」
「世の中には、違う色があるんだ」
後から入ってきた一人が、近づいてきた。
随分年上の「アハト」だった。髪に白いものが混じっている。
「色が違うのは良いが、長過ぎる。切るぞ」
「ええ、そんな! わたし、この長さが気に入っているんです」
「長さは規則がある」
「アハト、この人は?」
「下士官の89だ。規則だから、仕方がない」
マルグリットは、頭を抱えるように守りながら、身振りで抗議した。
89は、ゆっくりかぶりを振った。
「俺たちは普段、体罰を行わない。意味がないからだ。
だが俺は知っているぞ。
お前たち、痛覚を抑制できないな。それなら、意味がある」
そう言って、右の拳を握り締めた。
マルグリットは、恐怖の眼差して、拳を見つめる。
しかし彼女は、拳が振るわれる瞬間を、見ることができなかった。
気づいた時には、床に崩れ落ちていた。
左頬が、灼けるように熱かった。
89は、根元からプラチナブランドを刈り上げていく。
すっかり丸刈りになったマルグリットの頭を撫でた。
「さっぱりしたな。見事な丸刈りだ。
これからはマルガリータとでも名乗るがいい」
殴られた頬は痛いが、それ以上に、床に散らばった髪がショックだった。
それが、必死になって保ってきた、心の防波堤を崩してしまった。
涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「おい! 泣いてるぞ!」
縫い傷が大声を上げた。マルグリットは驚いてびくっと体を震わせた。
童顔が壁のパネルに取りついて、何か調べた。「異常なし!」
「ご苦労、40。落ち着け、37」
先ほどの下士官89が、ベッドに横たわりながら声をかけた。
「そいつは涙を流すんだ、刺激性のガスがなくてもな」
「紛らわしいなぁ」
双子(?)の、遠慮のない言葉を聞いて、一度は引っ込んだ涙が、再び盛大に流れ出した。
**
”わたし、なんでこんな
マルグリットは、膝を抱えて、泣き濡れていた。
ブルディガラからも兵士を出せと言われて、上の人たちはとても困っていた。
若くて、健康で、宇宙滞在のある人材は、限られてたからだ。
”そりゃね、才能があって、性格も良くて、どこに出しても恥ずかしくない子なんて、他にはいなかったかもしれないけど!”
故郷では、どんなに仕事がきつくても、家に帰れば母のステラがいて、美味しい晩御飯を一緒に食べられたのだ。
それが今では、光でも何千年もかかる距離で、隔たれている。
「お母さん。会いたいよ。お母さん」
隣に誰かが座った。
アハトだった。
「まだ涙が出るのか」
こくりと頷く。
アハトは、相変わらず心の読めない能面で、マルグリットを見つめていた。
それから。優しく頭に触れると。
自分の薄い胸に、掻き抱いた。
「ははっ。二十歳にもなって、お母さんが恋しくて泣くなんて。
子どもだよね。笑えるね。ううう。ぐすぐす」
アハトの両腕が、マルグリットの背中で交差した。
それから長いこと、アハトに抱きついて、泣き続けた。
「たくさん泣いたら、お腹が空いちゃった」
ようやくマルグリットが顔を上げた。
泣き腫らしてはいたが、瞳には力が戻っていた。
「13番なら手元にある」
「13番? 誰?」
「人じゃない。さっき食べたものだ」
「結構です」
きっぱり断ってから、マルグリットは訝しむような目でアハトを見た。
「なんで手元に置いてるのよ?」
「わたしだって、腹が空く時はある」
「そうじゃなくて。なんでよりによって、アレなのよ?」
アハトは、ゆっくりと首を傾げた。
「何を言っているのか、分からないな」
「・・・わたし、自分の言語能力に自信がなくなってきたよ」
今日何回目なのか分からないため息をついた。
「わたしも聞きたいことがある」
「何でもどうぞ」
「お母さんとは何だ」
マルグリットは目を瞬いた。
「ええと、これは言葉の問題なのかしら。
母親のことだよ、
それからハッとなった。
「ごめん。もしかしてアハト、お母さんは・・・」
「お母さん、は何をする人なんだ」
「何をって。赤ちゃんにおっぱいをあげたり」
今度はアハトが、目を瞬いた。
「それは食用なのか? 備蓄してるのか?」
「備蓄っていうな! 飲ませてるの見たことないの?」
「ない」
「あのね。そもそもお母さんっていうのは、赤ちゃんを産んだ人」
「体内から出てくるというのか?」
「そうだよ」
「君の出生時体重は?」
「3500」
アハトは、両手で大きさを示した。
「これが、どこから出てくると?」
「・・・ここからです」
「これが通ると思うか?」
「真顔で聞かれると自信がなくなって来るけど、でもそうなの!」
「俄かには信じられない話だ」
アハトは、首を振るような仕草をした。
「髪はみんな金色なのか?」
「金髪は少ない方かな。黒や茶色の人が多いよ。赤い人もたまにいるな」
「お母さんと同じなのか」
「そうとも限らない」
「顔も同じになるのか?」
「特徴は引き継ぐけど、同じじゃない」
アハトは首を傾げて、何か考えている様子だった。
「服は同じなのか?」
「違うよ。人によって似合う色とか違うでしょ。それに、みんな同じだったら、つまらないじゃない」
「食べるものも同じ?」
「それは職場にもよるよ。メニューが決まっている場合もある。でも、家ではそれぞれの料理があるんだよ」
それは、星の人がやがて失うことになる、伝統的な生活スタイルだった。
89が傍にやってきた。
「楽しそうに話している最中に、悪いが。
明日から、訓練が始まる。長旅で疲れているだろう。しっかり休め」
「あっ、はい。わかりました」
頭を下げる。89は頷いて、自分のベッドに戻った。
「先は長い。また、話を聞かせてくれ」
アハトは立ち上がると、隣のベッドに移った。
「アハトは他の人と違うんだね」
「どういう意味で?」
「わたしの話に興味を持ってくれる」
「みんな、知らないだけだ。これほど違うとは思わなかった。
それと、わたしたちは同じじゃない。みんな違うぞ。
話し方でも、足音でも分かる。一人一人、違うんだ」
「そうなの? そうか、アハトがそういうなら、そうなんだね。
でもね、わたし、アハトが一緒にいてくれて、良かったよ」
「役に立てたのなら、それは」
言葉を探すかのように、あごをさすった。
「それは、光栄なことだ」
マルグリットは微笑んだ。
「おやすみ、アハト」
「おやすみ、マルグリット。
起床は0500だ」
「5時!? 4時間しか寝れないじゃない!!」
マルグリットにとって初めての隊舎での夜は、こうして静かに、幕を閉じた。
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