第9話:繋がる記憶、託された筆


春奈の家での生活は、賢一にとって、温かくもどこか落ち着かない日々だった。

佐久間光一との出会いを経て、自身の創作への迷いは薄らいだものの、古本屋の取り壊しと、住む場所を失うという現実が重くのしかかっていた。


そんな中、賢一は新たな配達依頼の手紙を手に取った。

差出人は相変わらず不明だが、今度は具体的な配達の指示が書いてあった。

それは佐久間光一から預かった絵を至急、届けて欲しいというものだった。


賢一は、いちかを春奈に預け、配達へと向かった。

指定された住所は古びた小さな一軒家だが、だいぶ手入れが行き届いていない様子だ。


賢一が呼び鈴を押すと、中から微かな咳の音が聞こえた。

戸惑いながらもドアを少し開けて覗いて、咳が聞こえてきた部屋を覗く。


そこにいたのは、賢一の父、啓介だった。

以前会った時よりもさらにやつれた顔に、覇気のない瞳。

部屋の中は質素だが整然としていて、壁一面には蔵書が並び、机の上には万年筆と、原稿用紙が積み重ねられていた。


病の影は色濃いが、彼から放たれる「作家」としての気高さは、未だ健在だった。


「…なぜ、ここに?」


賢一の問いに、啓介は弱々しくも、どこか淋しげな笑みを浮かべた。


「悪いな…。お前に本の配達を依頼していたのは私だ。結局、私は最後までお前を利用してしまった…」


賢一はその言葉に少し驚いたが、そんな予感は薄々感じていた。

しかし、まだその目的までは図れなかった。


「それは別に良いんだ。しかし何のために?」


啓介は机の上の原稿用紙の束を指差す。


「…アレを書くためだ。私の作家としての最期の一冊を。これを託せるのはお前しかいない…」


啓介の口から漏れる言葉は、ひどくかすれていたが、その瞳には強い意志が宿っていた。

賢一の視線が、その原稿に引き寄せられる。

そこには、びっしりと文字が書き込まれていた。


「佐久間先生の絵を背表紙に、そして夢乃さんの絵をこの小説の表紙にして欲しい。あとはお前に任せても良いか…」


啓介は初めて息子にする頼み事だった。


「ああ、それは構わないが、夢乃の絵って?」


賢一が尋ねると、啓介は傍らの小さな包みを指差した。

中には、夢乃が描いた小さな古本屋と店主の絵が収められていた。


「この絵は佐久間先生から以前に預かっていたものだ。この絵を見て、新しい作品を思いついたんだ…」


啓介の言葉に、賢一は衝撃を受けた。

夢乃が、この絵を描いていた?

そして、その絵が、父の新しい作品の表紙を飾るのか?

賢一は、夢乃の絵と、この原稿がたしかにつながるであろうことは読まずとも理解できた。


「どうして…今まで言わなかったんだ…!」


ここにきて、賢一はこれまでの色々な想いが込み上げてきた。

啓介は夢乃の絵のこと、本の配達のこと、そして病いのことを、なぜ隠していたのか。


啓介は、大きく息を吐いた。


「言えるわけ、ないだろう…! お前には、お前にだけは、知られたくなかった…」


啓介は、震える声でそう答えた。

啓介は夢乃の絵に応えるだけの作品にするまで、賢一には見せられないと思っていた。

それだけ、夢乃の絵に心惹かれていたのだ。

父親として不甲斐ない自分に、作家としても失望されたくない、その一心だった。


「だが…病に倒れて、もう時間が無いと悟った時、私は、ようやく己と向き合った。そして、夢乃さんの絵と共に、作品を世に出したいと心から思った。だから、その想いをお前に託したんだ。私の代わりに、この物語を、世界に届けてほしい…私の『本の配達人』になってほしいのだ」


啓介の言葉に、賢一は目を見開いた。

それは父の「贖罪」と「希望」、そして賢一自身の「使命」が込められた言葉だった。


賢一の心の中で、父に対する長年のわだかまりが、少しずつ溶けていくのを感じた。

父もまた、人間だった。

弱さも後悔も抱える、一人の人間だったのだ。


「父さん、病院に行こう。この原稿は責任持って俺が本にするから、もう心配いらない」


そう言って啓介の細くなった背中をさすった。


病院の手配を終えて古本屋に戻ると、春奈がいちか心配そうに待っていた。


「遅くなってすまない。でもやっと素直になれたよ」


賢一は、今日あったのことを春奈に話した。

啓介の変わり果てた姿、そして啓介の原稿、夢乃の表紙絵のこと…。

春奈は、賢一の言葉を静かに聞き入っていた。


「…きっとお父さんも、賢一なら、きっとお父さんの気持ちも、夢乃の願いも、全部受け止めて、愛される本にしてくれる。そう思ってたんじゃないかな」


春奈は賢一の手をそっと握った。

その温かさに、賢一の心は救われた。

春奈の支えがなければ、今日の現実を受け止めることはできなかっただろう。


その夜、いちかが眠りについた後、賢一は春奈の家のリビングでノートに向かった。

彼の頭の中には、啓介の原稿、夢乃の表紙絵、そして父の病いのことが交錯していた。


『筆の儚いちから』の構想は、新たな真実を飲み込み、より深いテーマへと昇華されようとしていた。


彼は、啓介から託された「本の配達人」としての使命を思い出しながら、新たな一文を書き加えた。


『筆は、真実を紡ぐ。それは、時に隠された記憶を呼び覚まし、心の奥底に秘められた愛憎をも、新たな物語へと昇華させる。そして、その筆は、誰かの願いを乗せて、世界へと届けられる』


賢一は、自身の物語が単なる創作ではなく、過去と向き合い、未来を切り開くための「筆」となることを確信していた。

彼は、固くペンを握りしめ、夜が明けるまで書き続けた。

古本屋の未来、自身の家族、そして春奈との関係…全てが、彼の筆の先に繋がり始めていた。


(第9話 終)

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