第3話:青春の輝き


古本屋「月虹堂」の店内は、梅雨の湿気でしっとりとしていた。

雨雲が近づき、薄暗い店内がさらにじっとりと暗くなる。

店内の蛍光灯がジッというノイズとともに点滅を始めていた。


「上の階の雨漏りのせいかな。さすがに屋根を治さないとダメか…」


先日の恐竜図鑑の配達以降、賢一の心には、かすかな光が灯っていた。

しかし、店の売上は相変わらずで、その光もこの雨ですぐに遮られてしまいそうだ。


「さて気を取り直して、例のアレを掘り出して来るか」


そう言って賢一は埃をかぶった段ボール箱の中から、古い雑誌の山を引っ張り出してきた。

それは、学生時代、古本屋で偶然見つけては集めていた、1970年代から80年代にかけての雑誌だった。

表紙には、今は大御所となった歌手や俳優たちが、若かりし頃の眩しい笑顔で写っている。


「この人、ママがテレビで見てた人だ!」


いちかが指さすのは、往年の人気アイドルだった。

賢一は、懐かしさ半分、気恥ずかしさ半分で呟く。


「…そうか、ママも見てたか」


雑誌を手に取ると、紙の匂いと共に、当時の熱狂や、過ぎ去った青春の輝きが蘇るようだ。

ページをめくると、特別付録のシールが挟まっていた。


「わぁ、シールだ!これ貼って遊んでもいい?」


いちかは目を輝かせ、シールを手に取った。


「ああ、良いよ。でも店内や本に貼ったらダメだよ。パパ、また配達に行くから、春奈お姉ちゃんが来てからにしてね」


そう、今回もまた配達の依頼が届いていたのだ。

今回の本はこの雑誌の中から選ぶと決めていた。


配達先は、市街地から少し離れた場所にある老人ホーム「やすらぎの家」だった。

年代的に懐かしいであろう数冊を選んで配達に訪れる。

明るく清潔なロビーには、何人かの高齢者が談話している。

賢一が雑誌を差し出すと、受付の職員が笑顔で迎えてくれた。


「ああ、お待ちしておりました。ちょうど皆さんで昔の話をされていたところなんです」


賢一は雑誌を抱え、談話室へと案内された。

そこには、数人の高齢者が集まっていた。

賢一が雑誌を差し出すと、一人の老婦人が目を大きく見開いた。


「あらまあ、懐かしい!この間、テレビでこの方が亡くなったって聞いて、みんなで寂しいねって話してたところだったのよ」


老婦人たちは賢一の手から雑誌を受け取ると、思い思いにゆっくりとページをめくり始めた。

彼女たちの指先が、色褪せたアイドルたちの写真の上をなぞる。


「この歌、よく歌ったわね」

「コンサートにも行ったわよ」


口々に思い出を語り合う中、一人の老人が、部屋の隅にあった古いアップライトピアノの前に座った。

ゆっくりと指を鍵盤に置くと、少しぎこちないけれど、どこか懐かしいメロディーが流れ出す。


それは、賢一もよく知る、あの頃のヒットソングだった。

ピアノに合わせて誰かがぽつりと歌い出すと、一人、また一人と、口ずさむ声が重なり、やがて全員で合唱になった。


歌声は決して上手ではなかったが、そこには確かに、過ぎ去った青春の輝きと、共に生きた絆が宿っていた。

そして、亡くなったアイドルへの、温かい追悼の念も。


賢一は、その光景をただじっと見つめていた。

古い雑誌という「記録」が、人々の「記憶」の扉を開き、失われたものへの惜別の念と、今ここにある繋がりを呼び覚ます。そして、それぞれの「時代」が、人生にどれほど深く刻み込まれるのかを賢一は感じた。

それは、賢一自身が筆を握り、物語を紡ぐ上でも決して無視できないものなのだと強く感じ取っていた。


老人ホームからの帰り道、賢一は大家さんの家へと足を向けた。

大家さんに2階の雨漏りの件を伝えるためだ。

賢一は格安でお借りしておきながら恐縮すら気持ちもありつつ、インターホンを押した。


「大家さん、実は2階の雨漏りがひどくなってきまして…」


賢一は、申し訳なさそうに切り出した。


「申し訳ないね。一応応急処置は大工さんにお願いしてあるんだけど、この前の大雨で大工さんも忙しいらしくてね」


大家さんは賢一の気持ちを察するかのように、さらに申し訳なさそうに続ける。


「なんとか手は尽くしてみるけど、もう長く住むのは正直難しいかもしれないね。このままでは倒壊の危険もあるし、店を続けるのは厳しいかもしれん…」


賢一は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

古本屋の経営が厳しいことは分かっていたが、まさか住む場所も失うことになるかもしれないとは…。

目の前が真っ暗になるような絶望感が賢一を襲った。


「私に甲斐性があれば大家さんにご迷惑をお掛けせずに済むのですが…」


賢一は半分の本音を口にしたが、もう半分の本音は心にしまっておいた。

それすら察した大家さんは、賢一の肩にそっと手を置き、沈痛な面持ちで続けた。


「本当に申し訳ない。まずはとにかく家族とも相談して考えてみてもらえるかね…」


暗い気持ちはとりあえず胸にしまい、古本屋に戻る。

春奈がいちかと、雑誌から見つかったシールで遊んでいた。

いちかの手元にはお気に入りのノートがあり、そこにシールが綺麗に貼られていた。


春奈は賢一が持ってきた雑誌を手に、懐かしそうに眺めている。

そして雑誌の中のアイドルを指差し、ニヤニヤしながら賢一に問いかける。


「賢一もさ、昔、この人たちのコンサート行ったんでしょ?」


賢一は一瞬たじろいだが、ちょっとだけ救われた気分になり、苦笑した。


「ああ、まあな。あの頃は何もかもが輝いて見えたもんだ」


「そうだよね。時代って、その時を生きてる人の記憶の中で、特別な色になるんだよね」


春奈は、賢一の顔を見上げて感慨深げにこう続けた。


「夢乃もよく言ってたよ。『絵は、その時代の空気も描くんだ』って」


春奈の言葉に、賢一はハッとした。

夢乃の絵もまた、その時代の空気を吸い込み、記憶を呼び覚ます力を持っていた。


自分の創作もまた、個人的な物語だけでなく、時代や社会が持つ普遍的な感情を描き出すことで、より多くの人々の心に届くのではないか。

そんなことをぼんやりと考えていた。

しかし、やはり頭の中では相変わらず大家さんの言葉が重くのしかかっていた。


その夜、いちかが眠りについた後、賢一は帳場でノートに向かった。

『筆の儚いちから』の構想は、さらに具体的な形を帯び始めていた。


彼は、老人たちの合唱と、亡くなった芸能人への思い、そして夢乃の視点を思い出しながら、新たな一文を書き加えた。


『筆は、時間の流れを掬い取る。それは、時に忘れ去られた記憶を呼び覚まし、過ぎ去りし青春の輝きを再び放つ。そして、失われた光を悼みながらも、今を生きる人々をそっと繋ぐのだ』


賢一の頭の中には、登場人物たちがそれぞれの時代の中でどのように生き、その記憶がどのように次の世代へと受け継がれていくのか、という物語の骨格が、はっきりと見え始めていた。

だが、その物語の背景には、古本屋の未来と、自分といちかの生活への不安が、暗い影を落としていた。


(第3話 終)

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