【第7章 第十六話「いざ、御伽山」】



── 第三幕 ──



── 御伽山


那月の国北西にあり、昼でも深い霧に包まれ

人はほとんど寄りつかない。


かつてこの地には、**“御伽衆(おとぎしゅう)”**と呼ばれる、旅の語り部や薬草師、呪術に通じた者たちが住んでいた。


彼らの知識と話術を上方の大名が重用したことから、**「御伽の山」→「御伽山」**と呼ばれるようになったという俗説がある。


しかしその一方で、

「異形の者が封じられた山」「人ならざる何かが棲まう」という伝承も各地に残っていた──



──


「準備の具合は?」



「概ね順調にございます」



暗闇の奥に立つ影は、静かに頷いた。



「祖先の時代から、数百年……ついにこの時がきた」



異形だと、罵られ、蔑まれ、

挙句の果てに、呪いの印だと焼き討ちされた過去。



かろうじて、

必死に生き延びた者達が辿り着いたこの地で……



──隠れるように暮らさざるを得なかった

我等に、ようやく機会が訪れた。



「奴らに血の報いを…… 」



唇を噛み締め、拳を固く握り叫ぶ。



「殺すまで……終わらない」



沈黙の後、微かな声で続ける。



「いや……殺しても……終わらせない」




──




── その頃、城では



「ならん!ならんと言ったら、ならん!」



当主・久我沢重光の怒声が飛ぶ。



「ならんと言われても、凛は参ります!」



「えぇい! わしがならんと言ったらならんのじゃ」



激昂し、手に持っていた書状を投げつける。




── 御伽山の様子を探っている者から、

武装した兵が、数千を上回る勢いで着々と備えを固めているとの知らせが届いた。



その知らせを聞き、敵を迎え撃つ為の合議中に、

凛が、いきなり入ってきたのだ。



「凛も、戦いに出とうございます」



驚く重光。



「なにを馬鹿な事を! 冗談も程々にせい!」



「凛は本気でございます。覚悟は出来ております」



「誰じゃ、凛を入れたのは!

ここは、おなごの来る場所じゃない!とっととでていけ!」



「凛は、出ていきません」



普段温厚な重光が激昂し、叫ぶ。



「ならん!ならんと言ったら、ならん!」



「ならんと言われても、凛は参ります!」



「えぇい! わしがならんと言ったらならんのじゃ」



凛は、足元に落ちた書状に

一瞥だけくれて、父 重光を見据えた。



「父上、わたしは姫として、

この国を守る義務があると思っております」



「それが、なんじゃ!戦は男が行くものじゃ!」



「国を守りたい気持ちに男も女もございません!」



重光は、凛の並々ならぬ気迫を感じた。



「そ、それはそうじゃが……」



凛は改めて、重光に向かって続ける。



「父上、私はこの国の危機に、座して待つ姫にはなりとうございません。


凛に、民を……民の日常を守る機会を

与えてはいただけませんでしょうか」



重光は、凛が言い出したら聞かない性格なのは知っていた。



──やっかいなところ、母親に似おって



「信綱!」



重光は、筆頭家老の石川信綱を呼び小声で話す



「決して陣から出すのではないぞ、出来るか」



「ははっ、此度の陣は、監視と牽制が目的でございますので、姫様に危険が及ぶ事はないかと」



重光は、凛に向きなおり、落ちついた声で話す



「決して無茶な事はせぬと約束出来るか」



「はい」



「亡き母に誓えるか」



「はい。母の名誉にかけて」



「決して陣の外に出るのではないぞ!

それと、専属護衛の側を離れる事は許さん!

わかったな!」



「承知致しました」



凛は深々とお辞儀をして、部屋を出ていった。



重光は深いため息をついた。


── 母親そっくりだ。



心配する胸中では、凛の母親の顔がうかんでいた。




── 数日が経ち



陣への出立当日、凛は支度に余念が無かった。



鏡台の前に座る凛の背に、志乃が静かに寄り添う。



「姫様……お覚悟は、よろしゅうございますか」



その声に、凛は一瞬だけ鏡越しに目を伏せ、やがて小さく頷いた。



「ええ、もう決めたの。だから、迷いはありません」



志乃は黙ってその背にそっと手を添えると、白地に藍を滲ませた、戦支度用の着物を丁寧に羽織らせた。


これは、女ながら戦に向かう者のために、

久我沢家の奥蔵に代々伝えられてきた装束のひとつ。


白は潔白と覚悟、藍は静けさと深い意志を示す。


袖の内側には、

邪気を祓うとされる五色の紐が縫い込まれている。

凛の指が、それをそっとなぞる。



「少し…… 重い…… のね」



「当然でございます。

これは、ただの衣ではございません。

姫様の心と、皆の思いを纏うものですから」



志乃の声には、どこか切なさが混じっていた。



髪を結い上げ、飾りを控えめに一輪の白花に留めた。


その白花は、かつて凛の母が好んだ庭の花と同じだった。



「……志乃、似合ってる?」



「はい。姫様に相応しいお姿でございます」



凛は静かに立ち上がった。


胸元には、誰にも見せぬように、小さな首紐の飾りを忍ばせていた。



「では、いって参ります」



「……姫様」



志乃は、背を向けようとした凛の手を、

ほんの一瞬だけ強く握った。



「……どうか、どうかご無事で。

この志乃、何があろうと姫様の帰りをお待ちしております」



凛は微笑んだ。



「ただいまって言いに帰ってきます。……必ず」



そう言って、凛は支度を整えた足で、

静かに、しかし力強く、屋敷を後にした。



庭に出ると、出立の用意が整っていた。

護衛の武士たちが整列し、駕籠が静かに佇む。



凛は一歩踏み出すと、馬の方へと向かった。



「凛、馬には乗れぬ」



父・重光の声が背後から飛んだ。



「姫として、ではなく──

武士として参るのです。どうか…… 馬にて」



「ならん。お前に何かあっては、この国が終わる。

……駕籠に乗れ」



「ならば、ただ守られる姫でしかないではありませんか!」



「それでもよい。守ってやれるうちはな……」



重光の目が細くなった。

そこにあるのは、父としての苦しみと、それでも命だけは守りたいという願いだった。



凛は、しばらく父の目を見つめたあと、

深く息を吐いた。



「……わかりました」



静かにうなずき、駕籠へと向かう。



駕籠が、ゆっくりと持ち上げられ、

出立の号令がかかる。



その行列の中、霧丸は姫のすぐ脇を歩いていた。



彼の目は真っ直ぐ前を向いていたが、

その手は、いつでも刀を抜けるよう、

柄に添えられていた。



── 陣へと向かうその道は、

春を越えたばかりの青葉に包まれていたが、

空気はどこか張り詰めていた。



一行は、丘を越え、野を抜け、

やがて、御伽山を遠くに臨む谷間の陣地に到着した。



整然と張られた幔幕。

幟(のぼり)が風にたなびき、幾人もの兵がせわしなく動いている。



凛は、駕籠から降りようと外に足を出した途端

周囲の緊張感に一瞬、息を呑んだ。



駕籠から一歩踏み出しただけなのに……

町でも城でもない初めて感じる空気。



── ここが、戦の場…………



足元を見ていた凛は、

その向こうに、大勢の兵士達が膝まづき、

迎えてくれている気配を感じた。



(……私の存在が、士気に影響してはいけない。)



── ここには、姫としてではなく、

国を守る者のひとりとして来たのだから。



凛は駕籠を降り、気高く立ち上がった。




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