【思想】謝罪すれば許されると思っている人間に、謝罪の意味はあるのか?

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

罪は消えない

「ごめんなさい」

「申し訳ありませんでした」


この言葉を口にすれば、人は許される。

そう信じている人が、世の中にはあまりに多い。


だが私は思う。

本当にそうだろうか?


謝罪の言葉は、もはや“反省の証”ではなく、

自分の罪を軽くするための戦略になってはいないか?



世の中には、「悪いことをしてから謝ればいい」と思っている者がいる。


悪意を持って誰かを傷つけ、

計算づくで迷惑をかけ、

それでも最後に「すみません」と一言言えば、

世間も、法も、周囲も、「謝ってるから」とその行為を軽く扱ってしまう。


まるで謝罪が“免罪符”になっているかのように。


ここに私は強い違和感を覚える。



謝罪は、反省の表明であるべきだ。

だが今の社会において、謝罪はしばしば“責任逃れ”の手段として使われている。


政治家の記者会見、炎上した芸能人のコメント、

SNS上の謝罪ポスト──

「謝ってるから、もういいでしょ?」という空気が漂っている。


だが、忘れてはいけない。


謝罪によって傷が癒えるわけではない。

謝罪によって罪が消えるわけではない。


それでも多くの人は、「謝ったのに、まだ責めるのか」と被害者を非難する。

これはおかしい。



そもそも、謝罪は“被害者のため”にするものではない。

“加害者自身の誠意”を示すためにある。

だからこそ、誠意のない謝罪には意味がない。


それどころか、形式的な謝罪は、被害者にとって二次加害になりうる。

「許さなければいけない」という圧力が生まれるからだ。



私はこう思う。


謝罪の言葉など、なくてもいい。

その代わりに、

悪いことには、淡々と相応の罰を与えればいい。


感情的な“許す・許さない”ではなく、

法やルールに基づいて“責任を取らせる”社会であればいい。


謝罪が本物かどうかを見極めるよりも、

やったことに見合った償いをさせることのほうが、よほど確実で公正だ。



もちろん、謝罪そのものを否定するつもりはない。

心からの謝罪には、癒しの力があることも知っている。


だが、それはあくまで誠意があってこその話だ。

計算された謝罪、保身のための謝罪、

謝れば済むと思っている謝罪に、何の意味があるだろうか?


むしろそのような謝罪は、社会に「悪を軽くする言い訳」を与えているだけだ。



謝罪とは、本来重いものだったはずだ。

それを口にするには、自分の非を認め、相手に頭を下げる覚悟が必要だった。

だが今、それは軽く、便利に、使われすぎている。


その結果、

人々は謝罪の言葉に重みを感じなくなり、

被害者の怒りや痛みは、置き去りにされるようになった。



だから私は提案したい。


謝罪ではなく、「責任を果たす」という文化にシフトすべきだと。

誠意を見せるなら、それは“言葉”ではなく“行動”で示すべきだと。


そして、加害者にはこう伝えたい。

「謝っても、あなたがやったことの責任は消えない」と。


それこそが、本当の意味で、

被害者を報い、社会の秩序を保つ道ではないかと思うのだ。



以上

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