家族に魔法がやってきた
風来坊
第一章「羽根の出会い」
第一節:山道で出会った、羽根の少女
ワゴン車のエンジン音だけが、山の静けさを微かに破っていた。
夕暮れ時の空は群青に染まり、山の木々が黒いシルエットとなって揺れている。カーナビの地図は道をぐにゃぐにゃと蛇行させて表示し、ここがどれほど田舎の山道かを物語っていた。
「……そろそろ、コンビニとかないかな。ちょっとトイレ行きたい」
母の涼子が、助手席で手を膝に置きながら呟いた。後部座席では、高校生の姉・美月がスマホの電波が切れた画面を見つめてため息をついていた。
「山道に入る前に行っておけばよかったじゃん、って話じゃない?」
「そーいうの、後から言わないの!」
「ねー、もう暗くなってきたよー。ぼく、ちょっとこわい」
そう言ったのは小学生の弟・陽翔(はると)。窓の外の景色に、どこか落ち着かない目を向けていた。
運転席の父・和也が肩をすくめる。
「大丈夫だよ、もうすぐ峠を抜ける。市街地に出れば店もあるし……」
――が、その言葉は最後まで続かなかった。
キィイィィ――ッ!
急ブレーキの音が車内に響いた。車が揺れる。シートベルトが身体を引き戻し、母と美月が声を上げる。
「危ないっ!」
「パパ、何!?」
「前……誰か倒れてる!」
和也の声が、恐怖と疑念に震えていた。ライトの先――ヘッドライトの光の中に、小さな影が倒れているのが見えた。だが、その姿は“誰か”というより、“何か”に近かった。
「ちょ、ちょっと……あれ……人形? 動物?」
美月が目を凝らして呟く。倒れていたのは――ひとりの“少女”のようだった。
車を路肩に寄せて停車させると、和也と美月が急いで降りて近づいた。夕暮れと木立の影で視界は悪いが、車のライトが辺りを白く照らしている。
少女のようなそれは、手のひらに乗るほどの大きさだった。30センチにも満たない小さな身体。薄く輝く銀色の髪。透けるような白い肌。そして、背中には七色に光る羽根――まるで蝶と鳥を掛け合わせたような、美しく神秘的な羽根が、折れるようにしおれていた。
「……これ、ぬいぐるみじゃないよね?」
「生きてる……呼吸してる……」
美月がかがみこみ、そっと指を伸ばす。触れた瞬間、小さな体がびくりと震え、かすかに呻き声を漏らした。
「苦しんでる……」
陽翔もおそるおそる近づき、鞄をごそごそと漁った。そして取り出したのは、旅行用に母が持たせてくれた栄養ドリンクだった。
「お姉ちゃん、これ、使えるかな……?」
「……やってみる」
美月は小さなストローを指でちぎり、蓋を開けて少しずつ中身を傾けた。ドリンクの雫が、少女の唇に触れる。
すると――
ちゅ、と音がした。小さな口がわずかに動き、液体を吸い込んだのだ。
「飲んだ……!」
それだけで空気が変わった。羽根が微かに光を帯び、頬にうっすらと紅が戻ってくる。目尻がかすかに震え、そして――
ぱちり。
少女の瞳が開かれた。瞳は、夜空のように深く、星屑のようにきらめいていた。
「………………」
言葉は、なかった。ただ、少女は虚ろな目で美月を見つめ、そしてかすかに口を動かした。
「……わたし……あなたたちの、言葉……かりるね……」
その瞬間、少女の額が淡く光り、風が音もなく車のまわりを包んだ。
「――聞こえますか?」
今度は、はっきりと“声”が届いた。耳ではなく、頭の奥に、直接響く声。
「わたしはフェル。風の精霊の一族、エリュシアの妖精です。
……助けてくれて、ありがとう」
車内は沈黙に包まれた。
「せ、精霊……? 妖精って……ほんとに、いたの?」
「おとぎ話じゃないの?」
陽翔がぽかんとした顔で見つめ、美月が息を呑む。そして和也が、ひとつ深く息をついた。
「……家まで連れて帰ろう。助けたからには、最後まで責任を持つ。いいな?」
誰も反対しなかった。
その瞬間から、わたしたち家族の“魔法のある日常”が、静かに始まりはじめていた。
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