一緒に温泉入ろうよ

 翌日、リクトは水脈を掘る作業をしていた。

 シシリアは少し離れた木陰に腰を下ろし、土を掘り起こすリクトの様子を興味深そうに見守っていた。


 土が魔法によって自動的に掘り返される様子は、まるで見えない大きな手が地面を撫でているかのようだった。

 掘り起こされた土は整然と脇に積み上げられ、穴は完璧な円筒形を保ちながら徐々に深くなっていく。


「そろそろ届きそうだな……」


 リクトは【地脈感知】で水脈の位置を確認しながら呟いた。

 魔法による探査では、地下約五メートルの地点に豊富な水脈が流れているのが感知できる。

 あと少し掘れば、ついに地下水に到達できそうだった。

 清涼な水が手に入れば、生活の質はさらに向上する。

 わざわざ川に水を汲みにいかなくとも、料理や洗濯に、いくらでも新鮮な水を使うことができるようになる。


 そこから更に掘り続けると、異変が起こった。


「おっ!」


 ゴボゴボと地下から異様な音が響き始める。

 まるで巨大な鍋で湯が沸騰しているような、不吉な音だった。

 リクトは作業の手を止めて、穴の底を覗き込む。

 すると、地面の奥で何かが蠢いているのが見えた。


「あれ? なんか変な音が……」


 その瞬間、地面から勢いよく水が噴き出した。

 ドバァッという轟音と共に、まるで間欠泉が噴火したかのように、熱い水が高々と舞い上がる。

 水柱は三メートル以上の高さまで上がり、周囲に熱い飛沫を撒き散らしながら空中で弧を描いて落下していく。


 リクトは慌てて後ずさりし、シシリアは目を丸くした。


「うおおおお! なんじゃこりゃあ!」


 突然の出来事に完全に面食らったリクトは、足がもつれて尻餅をついてしまう。

 尻に湿った土の感触が伝わり、ズボンが汚れるのも構わずに、必死に這いずって安全な距離まで退避する。


「こ、これって温泉!?」


 シシリアは驚愕しながら告げる。

 噴き出し続ける水からは、確かに硫黄の独特な匂いが漂ってくる。


 水温も明らかに高く、湯気が白い煙となって立ち上っている。

 水脈だと思っていたものは、天然の温泉だったのだ。


「すごいよ、温泉が湧いてきた!」


 リクトは興奮していた。

 尻餅をついた格好のまま、両手を振り上げて喜びを表現している。

 まさか自宅に温泉ができるなんて、夢のような話だ。


 これで毎日、贅沢な入浴を味わえる。

 都市部の高級温泉宿でも味わえないような、完全プライベートな温泉を手に入れたのだ。


 そして、こちらの世界に来てからまだ風呂には入っていなかったことに、リクトは今更気がつく。

 森での生活に夢中になって、清潔さを保つことをすっかり忘れていた。

 川で体を洗うことはあったが、ゆっくりと湯船に浸かったことはない。


 体を洗うのは川での水浴びだけ。

 しかも水は冷たく、ゆっくりと温まることなどできなかった。


 リクトは興奮のあまり、即座に服を脱ぎ始めた。


「よっしゃあ! 久しぶりの風呂だぁ!」


 上着を勢いよく頭上に放り投げ、足をばたつかせながらズボンも脱ぎ捨てる。

 靴下も片方ずつ放り投げ、あっという間に裸になってしまった。

 久しぶりの風呂に入れるという興奮で、周りのことが完全に見えていない。


「ちょっ! なにやってるのリクト!」


 シシリアの慌てふためく声が森に響いた。

 慌てて両手で目を覆うが、指の隙間からちらちらと覗いているのが見える。

 心臓が激しく鼓動を打ち、顔から湯気が出そうなほど熱くなっている。


「うっひょー! 温泉だぁ!」


 リクトは子供のような歓声を上げながら、かけ湯もなしに勢いよく温泉に飛び込んだ。

 ドボーンという豪快な水音と共に、大量の湯が四方に飛び散る。

 まるで爆弾が水中で爆発したかのような派手な水飛沫が、シシリアの方向にまで飛んでくる。


「きゃああ! お湯がっ!」


 シシリアは熱い飛沫から逃れようと、慌てて木の陰に隠れる。


「ああ、いい湯加減だ……極楽極楽……」


 リクトは温泉に肩まで浸かりながら、幸せそうに呟いた。

 適度に熱い湯が疲れた体に染み渡り、筋肉の緊張がほぐれていく。

 硫黄の匂いが鼻腔を満たし、まさに本格的な温泉の風情を醸し出している。


 同時に【土壌操作】で足元に砂利を敷き詰めて、くつろげるようにする。


 一方、シシリアは木の陰から様子を窺いながら、完全に狼狽えていた。

 突然リクトが全裸になったのを目撃してしまい、どこを見ていいのかわからない状態になっている。


「どうしたの、シシリア?」


 リクトは温泉から顔だけ出して、不思議そうにシシリアの方を見た。

 彼女が何を恥ずかしがっているのか、よくわからなかった。

 温泉に入るのに服を着ていては意味がないし、体を洗うには裸になるのが当然だろう。


 日本では銭湯や温泉で他人と一緒に入浴するのは普通のことだったが、この世界では違うのだろうか。


「せっかくだし、シシリアも一緒に温泉入ろうよ」


 リクトは何の悪気もなく提案した。

 温泉は一人で入るよりも、みんなで入った方が楽しいに決まっている。

 日本の温泉旅行でも、家族や友人と一緒に入るのが醍醐味だった。

 せっかく二人で発見した温泉なのだから、一緒に楽しまなければもったいない。


「い、一緒に……?」


 シシリアは顔を真っ赤にしながら、もじもじと恥ずかしがっていた。

 村にいた頃は家族と入ることはあったが、血の繋がらない男性となると話は別だ。

 しかし、リクトの人柄を知っているだけに、断るのも申し訳ないと思っている。


 それに、確かに久しぶりの温かいお風呂は魅力的だった。

 奴隷時代は満足に体を洗うこともできず、この森での生活でも川の冷たい水で体を拭く程度だった。

 温泉でゆっくりとくつろぐことができれば、どんなに気持ちいいだろうか。

 体の汚れを落とし、心の底から温まることができれば……。


「服を脱がなきゃ入れないだろ?」


 リクトは温泉に浸かったまま、当然だというような顔で言った。

 日本人的な感覚では、入浴時に服を着ているなんて考えられない。


「で、でも……」


 シシリアは葛藤していた。

 羞恥心と、温泉への憧れが心の中でせめぎ合っている。

 顔は相変わらず真っ赤で、小さな手で服の裾をぎゅっと握りしめている。

 リクトの方をちらちらと見ては、また慌てて目を逸らすという動作を繰り返していた。

 しかし意を決したように、シシリアはゆっくりと服を脱ぎ始めた。


「あ、あの……後ろ、向いててほしい」


 か細い声で要求する。


「え? なんで?」


 リクトは疑問に思った。

 一緒に入るのに、後ろを向く必要があるのだろうか。


「と、とにかく! あっち向いてて!」


 シシリアは顔を真っ赤にしながら強く主張した。

 リクトは首を捻りながらも、言われた通りに背中を向ける。

 温泉の湯面に映る空の雲を眺めながら、シシリアの着替えが終わるのを待った。


 背後では、衣擦れの音が聞こえている。

 布が擦れ合う音、靴を脱ぐ音、そして小さなため息……シシリアが恥ずかしがりながら一枚ずつ服を脱いでいる様子が、音だけで伝わってくる。


「だ、大丈夫かな……」


 シシリアは小さく呟きながら、恐る恐る温泉の縁に足を向けた。

 石で作られた湯舟の縁に、そっと足先を触れさせる。

 石は温泉の熱で温められており、ほんのりと暖かい感触が足の裏に伝わってくる。

 軽くかけ湯をし、そして意を決して、片足をゆっくりと湯の中に沈めていく。


 熱いお湯が足を包み込んだ瞬間、思わず声が漏れた。


「あったかい……」


 こんなに気持ちの良いお風呂は、生まれて初めてだった。

 ゆっくりと体を湯船に沈めていくと、全身が温かさに包まれる。

 お湯が肩まで届くと、まるで大きくて優しい手に抱きしめられてるような安心感を覚えた。


 しかし、問題が一つあった。

 リクトと同じ湯船に入っているという現実に、シシリアは改めて気づいてしまったのだ。


 リクトの存在を意識すると、急に恥ずかしさが込み上げてきて、顔がまた赤くなってしまう。

 お湯の熱さと恥ずかしさの熱さで、頭がのぼせてしまいそうだった。

 リクトも温泉に浸かりながら、至福の表情を浮かべていた。


「ふわあああ……極楽極楽~♪」


 リクトの声は、心の底からの満足感に満ちている。

 森での生活がさらに豪華になった気分だった。

 自然の恵みである温泉を、好きな時に好きなだけ楽しめる。

 こんな贅沢な環境は、王様でも手に入れるのが困難だろう。


 しかし、リラックスしすぎたリクトは、つい調子に乗ってしまった。


「あー、気持ちいい。やっぱり日本人は温泉だよなあ」


 そう言いながら、温泉の中で大きく伸びをする。

 腕を左右に広げ、足も伸ばして、完全に無防備な状態になってしまった。


 温泉の底から足を動かした時、石の表面が予想以上にぬるぬると滑りやすくなっていたのだ。

 湯に含まれるミネラル成分が石に付着して、天然の石鹸のような効果を生み出していた。

 バランスを崩したリクトは、温泉の中でつるりと滑ってしまう。


「うわっ!」


 ザブンという大きな音と共に、リクトが湯船の中で盛大に転倒した。


「きゃあああ!」 


 シシリアの悲鳴が湯気に響き、温泉の熱い空気が一瞬にして緊張に包まれた。

 リクトの頬が、シシリアの柔らかく温かな胸に押し付けられ、湯に濡れた彼女の肌が彼の顔に密着する。


 ほのかに甘い香りと、温泉のミネラルを含んだ湯の匂いが混ざり合い、リクトの鼻腔をくすぐった。


「うわっ、ごめん!  石がツルツルでさ、つい当たっちゃった!」 


 リクトは慌てて体を起こし、申し訳なさそうに頭をかいた。

 だが、その声には動揺の欠片もなく、まるで友人に肩をぶつけた程度の軽い謝罪だった。


「リ、リクト! な、な、なに!?」 


 シシリアの声は震え、顔は茹でダコを超えて真っ赤に染まっていた。

 年頃の女の子にとって、こんなハプニングは恥ずかしさの極致だ。

 彼女は両腕で胸を必死に隠し、湯の中で体を縮こませる。


「ど、どこに顔を……! もう、信じられない!」 


 シシリアは小さな手を握りしめ、リクトを睨みつけるが、その瞳は潤んで揺れ、怒りより恥ずかしさが勝っている。

 彼女の心臓はドキドキと暴れ出し、温泉の熱さと相まって頭がクラクラした。

 湯船の狭さゆえに、リクトとの距離は依然として近く、彼女の緊張は一向に解けない。


「ほんとごめん! わざとじゃないよ。石が滑りやすくってさ」 


「リクトって……ほんと、鈍感すぎるんだから!」 


 シシリアは声を震わせながら抗議するが、その口調にはどこか諦めと愛嬌が混じっていた。

 彼女は胸元を隠したまま、湯の中で小さく身を縮め、視線を水面に落とした。


 しばらくして最初の恥ずかしさが薄れてきたのか、シシリアも温泉の心地よさに身を委ねているように見えた。

 お湯の温度が体の芯まで温めてくれて、長い間感じていた緊張がほぐれていくのがわかる。

 肩の力が抜け、自然と表情も和らいでいく。


「気持ちいい……」


 シシリアの声は、安らぎに満ちていた。

 温泉の効能が全身に染み渡り、疲労や緊張が溶けていくような感覚を味わっている。


「でしょ? やっぱり温泉は最高だよ」


 リクトも満足そうに湯船に身を委ねていた。

 ただし、二人とも湯船の端と端に分かれて座っている。

 最初の騒動の後、お互いに適度な距離を保つことの大切さを学んだのだった。


 温泉から立ち上る湯気が、二人の間にうっすらとした霞を作っていた。

 その霞越しに見るリクトの表情は穏やかで、心の底からリラックスしているのがわかる。


 森では鳥たちのさえずりが響き、木々が風に揺れてさらさらと音を立てている。

 温泉の温かさと、森の涼しい風が絶妙なバランスを保ち、まさに自然の恵みを満喫できる環境だった。


 しばらくして、シシリアが小さく呟く。


「リクト……ありがとう」


「ん? 何が?」


「美味しいごはんも……温泉も……こんなに素敵な場所も……全部、リクトのおかげだから」


「そんな大げさな……俺は大したことしてないよ」


 二人は適度な距離を保ちながら、静かに入浴を楽しんでいた。

 森の音、湯の音、そして二人の静かな呼吸音だけが、早朝の温泉に響いていた。


 この日から、温泉での入浴が二人の日課となった。

 もちろん、最初のような騒動は二度と起こらないよう、二人一緒での入浴はなくなったことは言うまでもない。

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