地属性魔法を極めて森とか造ってたら、神と勘違いされました

猫飼いたい

大森林の創造

 乾いた風が頬を撫でていく。

 リリアーナは息を潜めながら、枯れ果てた丘の頂上から眼下に広がる荒野を見下ろしていた。

 かつて緑豊かだったというこの大地は、今やひび割れた土と砂埃だけが支配する死の世界と化していた。


 エルフの血を引く彼女にとって、自然の死は心を抉るような痛みだった。

 尖った耳がわずかに震え、翡翠色の瞳に映る景色は絶望そのものだった。

 どこまでも続く黄土色の大地には、生命の気配など微塵も感じられない。


 風は乾燥しきっており、肌に触れるたびに水分を奪っていく。

 リリアーナは細い指で銀色の髪を耳にかけながら、深いため息を吐いた。

 かつての昔日の森の記憶が頭をよぎる。


 鳥たちの歌声が木々の間を駆け抜け、花々が競うように咲き誇り、清らかな小川が流れていたあの頃。

 しかし今、眼前に広がるのは死んだ世界だけだった。


 突然、荒野の真ん中に人影が見えた。


 リリアーナは目を凝らした。

 確かに、誰かがそこに立っている。

 人間の青年のようだった。


 細い体躯に、風に揺れる黒髪。

 服装は質素で、旅人のような出で立ちだった。

 しかし、なぜこのような死の大地の中央に、彼は一人で佇んでいるのだろうか。


 青年の表情は穏やかで、まるで美しい庭園の中にいるかのような安らかさを湛えていた。

 枯れ果てた大地を前にして、なぜそのような表情でいられるのか。

 リリアーナには、とても理解できなかった。


 青年はゆっくりと腰を落とす。

 そして、両手を乾いた地面に静かに置く。


 ──瞬間、世界が変わった。


 最初に起こったのは、空気と匂いの変化だった。

 それまで乾燥しきっていた大気に、かすかな湿り気が混じり始める。

 リリアーナの鼻腔に、懐かしい土の匂いが流れ込んできた。


 それは生きた土の、豊かで深い香り。

 青年の手のひらが触れている地点から、目に見えない波紋のようなものが広がっていく。


 地面のひび割れが、まるで時間を巻き戻すように少しずつ閉じていく。

 乾いた土に艶やかさが戻り、黄土色だった大地が次第に黒々とした豊穣な色合いに変化していく。


 そして、最初の緑が芽吹いた。

 青年の指先の真下から、小さな新芽がひょっこりと顔を出す。

 まるで地中で長い眠りについていた種が、突然目覚めたかのように。


 その新芽は見る見るうちに伸び上がり、小さな葉を広げていく。

 深く鮮やかな緑色は、この死の世界にあって、奇跡そのものだった。


「…………」


 リリアーナは息を呑んだ。

 瞳を見開き、信じられない光景を凝視する。

 胸の奥で何かが熱くなり、喉の奥が詰まったような感覚に襲われた。


 一本の新芽が二本になり、四本になり、やがて数え切れないほどの緑が地面から顔を出し始める。

 それぞれの芽吹きは連鎖反応を起こし、青年を中心として同心円状に生命の波が広がっていく。


 新芽たちは止まることを知らなかった。

 見る間に背丈を伸ばし、幹を太らせ、無数の枝を四方八方に広げていく。

 若木は成木となり、成木は巨樹へと成長していく。

 まるで時間の流れが何倍にも加速されているかのようだった。


 青年の周囲五メートルほどの範囲が、既に小さな森となっていた。

 そして生命の輪は、まるで見えない手に押し広げられるように、着実に外側へと拡大していく。


 十メートル、二十メートル、百メートル……。


 木々の種類も多様だった。

 まっすぐに天を目指すオリクの巨木、優雅に枝を垂らすウィロール、可憐な花を咲かせるブルームツリー。

 針葉樹の深緑と広葉樹の鮮やかな緑が調和し、まるで何百年もの時をかけて自然に形成された森のような生態系を作り上げていく。


 次いで、風が変わった。


 それまでの乾いた風ではなく、森の奥深くから吹いてくるような、湿気を含んだ優しい風だった。

 リリアーナの髪が柔らかく舞い上がり、頬に触れる空気は、泣きたくなるほど心地よかった。

 その風に乗って、青々とした葉の香りや、花の甘い匂い、そして豊かな土の芳香が混じり合って届いてくる。


 やがて鳥たちが現れた。


 どこからともなく飛来した小鳥たちが、新たに生まれた枝々に止まり、喜びに満ちた歌声を上げ始める。

 リリアーナの耳に、久しく聞くことのなかった生命の音色が届いた。

 澄んだ高音と、森全体成長していく低い音が重なり合い、巨大な楽器となって美しいメロディーを奏でている。


 小川のせせらぎが聞こえてきた。


 見ると、青年の足元から清らかな水が湧き出し、岩と岩の間を縫うように流れ始めている。

 水の音は心を洗うように清涼で、陽光を浴びてキラキラと輝く水面は、まるで無数の宝石を散りばめたようだった。


 花々が咲き誇った。


 森の至る所に、色とりどりの花が一斉に開花していく。

 真紅のバラ、純白のリリー、黄金色のマリーゴールド、紫のラベンダー。

 まるで虹が地上に降りてきて、そのまま花の姿になったかのような鮮やかさ。


 蝶が舞い踊った。


 どこからか色鮮やかな翅を持つ蝶たちが、花から花へと優雅に舞い移っていく。

 オレンジと黒の模様の蝶、青く光る翅の蝶、純白の翅を持つ小さな蝶。

 まるで生きた宝石が空中を漂っているようだった。


 リリアーナの足が震えている。

 心臓が激しく波打ち、呼吸が浅くなっていた。

 目の前で起こっている出来事があまりにも非現実的で、夢を見ているのではないかと思った。


 しかし、肌に感じる風の感触、甘い花の香り、耳に響く鳥たちの歌声、すべてが紛れもない現実だった。


 森はさらに拡大を続けた。


 見渡す限りの荒野が、次々と緑の楽園へと変貌していく。

 木々は競うように天に向かって伸び、最も高いオリクの木は雲に届かんばかりの高さまで成長していた。


 そして、ついに森の端がリリアーナの立つ丘の麓に到達した。

 彼女の足元で、また新たな命が芽吹く。


 小さな花が岩の隙間から顔を出し、蔦が丘の斜面を這い上がってくる。

 リリアーナは思わず膝を折り、指先で新芽に触れてみる。

 柔らかく、温かく、生命力に満ち溢れた感触だった。


「…………あぁ」


 思わず、涙が頬を伝う。

 一度流れたら、もう止まらなかった。

 絶望しかなかった世界に、突然現れた奇跡。


 長い間、死んだ土地を見つめ続けてきた彼女の心に、ようやく希望の光が差し込んできた。


 これは人間の力を遥かに超えた、神聖な力による技。

 それはまさしく、


「神の御業だ……」


 リリアーナの唇から、ぼそりと声が漏れる。


 そして僅か三十分足らずで、森は完成していた。

 かつて死の大地だった場所は、今や生命に満ち溢れた楽園となっている。


 リリアーナの記憶の奥から、古い言い伝えが蘇ってきた。

 エルフ族に代々語り継がれてきた、創世の神話。

 この世界を無から創造したとされる偉大な地の神、テライア神の物語だった。


 混沌の中から大地を形作り、海を創り、空を広げ、そして無数の生命を宿らせた創造神。

 長老たちが語る伝説では、テライア神は時として人間の姿でこの世界に現れ、奇跡を起こすのだという。


 リリアーナは青年を見つめた。

 黒髪に覆われた頭、穏やかな横顔、細い体躯。

 一見すると普通の人間の青年にしか見えない。

 しかし、彼が成し遂げたことは、明らかに人間の域を超えていた。


「テライア神、さま……」


 神の名が、リリアーナの唇から畏怖と共に呟かれた。

 心の中で確信が芽生えていく。

 目の前にいる彼は、間違いなく創造神テライア、そのお方なのだと。


 やがて青年がゆっくりと顔を上げた。

 リリアーナと目が合う。


 彼の瞳のその奥に、無限の穏やかさと知恵が宿っているのが見えた。

 まるで、すべての生命を等しく愛し、すべての苦しみを理解する、慈悲深い神の眼差し。


 青年は静かに微笑んだ。

 その笑顔は太陽のように温かく、リリアーナの心の奥深くまで光を届けてくれた。

 恐れと畏敬の念で固くなっていた彼女の心が、その笑顔によって溶かされていく。


 リリアーナは深く頭を下げる。

 神への敬意と感謝を込めて。

 枯れた大地に奇跡の森を生み出した偉大な力への畏敬を込めて。

 そして、絶望の中にいた自分に希望を与えてくれたことへの感謝を込めて。


 リリアーナは顔を上げ、もう一度青年を見つめた。

 テライア神の化身である彼の姿を、心に深く刻み込むために。

 この奇跡の瞬間を、永遠に忘れないために。

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