第19話 同姓同名の詐欺師【 10 】





月はまだ昇っていない。

秋の夜に黒く染められた川の流れは月明かりを待っている。

さっきよりも見えにくくなってきた鏑木の顔が微笑んでいた。


「俺にできるかなあ」

「静にしかできないよ」


静に希望を持たせる意味ももちろんあったが、鏑木は心から静のひらめきがすごいと思っていたのだ。

そして今、自信のなさそうな静に自信を持ってほしいとも願っていた。


「がんばれ」

「…うん」

「俺にできることならなんでも言って」


研修の始まっていた鏑木は今度いつ静に会えるかわからない。

静が就職するまでに、なんとか希望と自信を持ってほしかった。


鏑木が言った言葉をひとつひとつ静は噛み締める。

新しい開発や事業展開など本当に自分にできるのだろうか。

しかしやってみたいと素直に今思えただけでも全く心持ちは違った。


「大智」


やっと顔を出した月が、優しく微笑んでいる鏑木を照らし始める。


就職したら鏑木にもそうそう会えない。

今こうして隣にいる鏑木を覚えておきたい。

それだけで静はがんばれる気がした。


「キモイだろうけど、その、ハグ…

させてくれよ」


鏑木に恋をしている静は鏑木の体温も覚えておきたかった。

ハグなら気持ちもバレないだろう。

咄嗟に出てしまった言葉。

静は自分の心に理由をつけた。


微笑んでいた鏑木がさらに目を細めて笑う。

うん、と強く頷いて静に向かって両手を伸ばした。

鏑木の体をすくうように静が抱きしめる。

ぎゅっと力を込めて愛しい人の体温を感じた。


「お前とも長い付き合いだよな」

「…うん」

「これからもよろしくな静」

「…うん」

「……」

「大智…」


鏑木はなかなか放さない静が泣いているように感じた。

計り知れない不安があるのだろう。


自分とは全く違う人生を歩まねばならない静の心の重さなのか、と思った鏑木は静の背中をさすった。






「大智。コピー解除していいよ」


通話ボタンを押して筧が指示を出す。

社長がこれからする話は、阿藤ではなく鏑木が直接聞いた方がいいだろう。

阿藤をコピーしている鏑木自身もそうしようと考えていたところだった。


現場にいる島山は指示を出せない。

島山のほんの少しの変化や思いを感じ取った筧が代わりに指示を出した。

イヤホンから筧の声を聞いていた島山が頷いて鏑木の方を見た。


「すみません。僕、トイレに」

「あー、はいはい」


阿藤をコピーした鏑木が島山と社長にペコっと頭を下げて立ち上がる。


弟である阿藤を社長が穏やかな表情で見上げた。


「大智」

「…」

「俺がお前のことわからないとでも思ったか」


声も顔も仕草も違う。

完璧に副社長の阿藤をコピーしていた鏑木を社長はいつから見抜いていたのか。


当たり前だが今まで見抜かれたことのない鏑木は社長を見下ろしている目を見開いた。


「最初から疑ってましたよね?」


声の出ない鏑木の代わりに島山が聞くと、

うん、と頷いた社長はまだ鏑木と目を合わせたままだった。


「咲、わかってたの?」


自分の声に戻った鏑木。

その低い声がかすかに震えていた。


島山が鏑木の腕を引っぱってまた椅子に座らせた。


「社長さんの目の色が大智を見ている時、ほんの少しだけど変わるんだよ」


さすが島山だ。それに気づけなかった鏑木はやはり自分でも気づかぬ動揺をしていたのか。


「おっしゃる通り気づいていたというよりも疑ってました。

信じられなかったと言った方がしっくりくるかな。

どっからどう見ても弟なのにふと、大智が重なって見えたんです」


しかしこれは会いたさ見たさが招いたことなのか。

社長はこれは弟だ、と自分に言い聞かせ、鏑木の影を追い払おうとしたがダメだった。


「なるほど。陽さんの身代わりをしていた大智のことは、あなたにしか見抜けなかったってことかな」

「でしょうね。秘書たちも毎日のように弟に会ってますが誰ひとり気づいていませんから」


島山の隣に座ってじっと社長を見ている鏑木はもう阿藤の表情ではなく鏑木本人の表情だった。


「静。久しぶりだな」

「うん。久しぶりだ」


鏑木の顔を持つ社長と阿藤の顔を持つ鏑木が微笑む。

こんな再会になると誰が予想しただろう。


しかし決して喜ぶべき再会ではないのだ。


「ここからは大智。

お前が話した方が良さそうだな。

お前も会った時からわかってたんだろ?」

「モニターで見てた時や写真ではわかんなかったけどな。

実際に対面したらすぐにわかったよ」


そして鏑木は社長の本名を聞いて確信した。

顔は鏑木の顔でも中身はすぐに秋沢静だとわかっていた。

しかし今は鏑木大智ではなく静の弟の阿藤陽なのだ。

それを鏑木はプロとして貫いた。


「川原で静とハグした時、静の本当の気持ちがわかったんだ。

俺のことを想ってくれてるのが。

友達としてではなく」



泣いているように感じた静は泣いているのではなかった。

鏑木の体の形や体温を必死で記憶に刻もうとしていた。


だから強く抱きしめられた鏑木は静の想いに気づいたのだ。



「静にも言ってたけどこの時に俺は就職先の研修をしてたんだ」


受けたうちのひとつの会社で鏑木は島山に出会った。

面接の後にディスカッションがあり、そこで島山は訳のわからないことばかり言っていてグループの人たちは笑ったり呆れたりしていた。


「誰かの身代わりになって事件を解決するんすよ。

身代わりになるから本人の安全は確保されるし、素人じゃないから懐に入って機敏に動けるっしょ」


なんの話かと聞いていたら島山はそういう仕事を開拓したいと夢を語っていたのだ。

ディスカッションに入っていた面接官が、我が社に入社したら売り上げを伸ばすためにどうしたらいいかを話し合ってください、と仕切り直すほど島山は自分の話をし続けていた。



「ディスカッションが終わって俺は咲を追いかけた。

歳は一個上だったけど学年は同じで、知らなかったけど咲は同じ大学だったんだ」


違う学部だったが、同じ大学だと知って鏑木は驚いた。



もう少しさっきの話を聞かせてくれ、と食いついた鏑木に島山はうれしそうに笑って立ち止まる。


面接を受けた会社の前でそれから4時間も島山と鏑木は話をした。

島山が興したい仕事の内容を聞いて鏑木は興味を持つとかではなく、自分の仕事はそれしかないとさえ思えたのだ。


「島山さん。他に何人いるの?

俺も入れてくれないかな」

「え?全然いいけど聞いての通りバクチだよ?うまくいくかもわかんないしさ」

「そんなのどんな仕事でもおんなじでしょ。

入った会社が明日潰れるかもしれない」

「おもしろいこと言うねえ。

よし!じゃあ俺とやってみる?」


大きな口で島山がニコッと笑う。

普通にしていたら島山はなかなかの男前なのだが笑うと幼い感じになり、鏑木は親近感が湧いた。



社長は話をしている鏑木の声を噛み締めるように目を閉じている。


穏やかに話す優しい声。

さっきまで阿藤をコピーしていた鏑木は今やっと自分の声で話をしていた。


社長はその声をひとつも逃すまいとしているように島山には見えた。


「咲と興した代行事務所は身代わりになって証拠を掴んだり、警察に言えない事件を解決したりする仕事だった。

最初はふたりだったから俺が依頼を受けたコピーをすることになってた」


研修期間には島山とふたりで朝から晩までバイトをして金を貯めた。


そして二人は、安いボロボロのビルの一室を借りて

【島山代行事務所】の看板を上げる。


鏑木は身を守るための武術を島山に教えてもらいながらコピーを研究した。


「コピーって自分の心を無にするんだ。

そしてその空っぽになった心にコピーする人の心を入れる。

自分の心が少しでもあればその分コピーした人の心が減る。

好きな人がいたら常にその人のこと考えちゃうだろ?

これから仕事をする俺は咲に迷惑をかけるのも嫌だったし、依頼者の願いを確実に叶えたいっていう思いがあったから…」


目を閉じて鏑木の話を聞いていた社長がゆっくりと目を開けると、社長を見つめていた鏑木と目が合った。


「だから、静の前から姿を消した」

「大智…」

「あの時ならまだお前もこれから俺の他に好きな人ができるだろう。

俺もあの時ならまだ…お前のことを好きにならずにすむって思ってた」


しかし静の気持ちを知った鏑木は、今まで眠っていた静への想いを逆に気付かされた。


「大智が姿を消したこと、俺は最初は気づいてなかった」


研修に行っていると聞いていたし、忙しいのはわかっていた。

卒業式に来なかった鏑木のことも静は特に変だとも思わなかった。


あの日川原で鏑木を抱きしめたのもただのハグだと鏑木が思っていると、静は思っていたのだ。

まさか鏑木が自分の気持ちを感じ取っていたなんて夢にも思っていなかった。


「養父の会社に入ってまずは仕事を覚えた」


静の養父の会社は実父の会社よりは小規模だったが同じ内容の仕事だった。

農園と契約して持っている飲食店に野菜を卸す。


東京を拠点としている実父の会社。

養父の会社は神奈川県を拠点としていた。


「仕事を覚えて、どうしたらもっと売り上げを伸ばせるか、どうやったらもっと質のいい野菜を安く買うことができるか。

仕事に必要なことを視点を変えて考えて、大智に言われた通り改良して自分のやりたい方向へ持っていった」


がむしゃらに働いて、気づくと2年の月日が流れていた。


「3年目で仲介所を立ち上げたんだ。

質のいい野菜を提供し、尚且つ信頼できる農園と信頼できる飲食店を仲介した。

この事業がヒットしたんだ」


仕事がおもしろくなってきた静はそれと同時に時間に少しの余裕ができた。

そんな時に思い出すのは鏑木のことだった。


「大智もそろそろ仕事が落ち着いたかなと思ってラインしたんだけど、」

「ごめん」


鏑木が社長に頭を下げる。

社長は微笑んで首を横に振った。


「会わないようにしてたのに、結局お前のことは片時も離れなかった。

でもコピーしている間は自分が自分じゃなくなるから、結果論だけどお前のことを遠ざけなくても良かったんだ」


しかし今さら、という思いが鏑木にはあった。

それに静にはもう新しい人がいるかもしれない。

そうだとしてもそれは鏑木自身が望んだこと。


ラインが来た時も友達としてのラインなら、逆に会うのが辛いと思ったのだ。


「静はきっと忘れてる。

あの時の感情や、俺への思いも。

3年ぶりにくれたラインはきっと友達としての安否確認なんだろうなって。

それでも返信しようと思ったけど、ごめん。

できなかった」


自分の気持ちを少しずつ社長に伝えようとしている鏑木がゆっくりと話す。

小さく何度も頷きながら社長は鏑木の話を聞いていた。


「俺が、また静のことを友達だ、って思えるようになったらその時に返信しようって思った。

ホント、自分勝手だよな」


社長が唇を噛んで下を向く。

10年経って出会った鏑木からはまだラインの返信は来ていなかったのだ。


「あの時は正直恨んだよ。

また会おうって言ってたのに、ってな。

お前がそんな気持ちでいてくれてることも知らなかったし。

俺が何かお前に嫌われることでもしたのかな、とも考えた。

そこて初めて大智が俺の前から故意に姿を消したんだってわかった」

「そこから、社長さんは鏑木を探そうと思ったんですね?」


下を向いて唇を噛んだまま社長が深く頷く。

島山の隣で鏑木も同じように下を向いていた。


何がどう間違ったのだろう。

どこで食いたかったんだろう。

誰かのいたずらとしか思えないほんの少しのズレ。


二人を見ながら島山はそう考えていた。


「筧」

「はいよ」



島山代行事務所にいる筧が通話ボタンを押して返事をする。

そろそろ声がかかると思っていた筧は島山からは見えないのにニコッと笑った。


「こっち来れるか」

「阿藤さん連れて、だよな?」

「その通り。頼むわ」


島山のひとりごとみたいなやり取りを聞いていた社長は、弟である阿藤が来ることがわかっていない。


鏑木とのことを阿藤と筧が来るまでに島山は解決することにした。


「鏑木を探すために名を変えて、顔も…変えた」


鏑木のことを全く知らない人が見たら社長と鏑木は双子のようだろう。


しかし島山にはさっきからさらに二人が全くの別人に見えるのだ。

正確には社長の表情が変わったと言った方が良い。


「この会社を継げという実父からの遺言のような手紙をもらって、先にも言いましたが養父は当たり前ですが反対しました。

養父には陽がひとりでラデッシュコーポレーションを回せるようになったら必ず帰ってくる、と約束してこちらに入ったんです。

その代わりに仲介所の権限を養父に渡して」

「その時を機に名前を変えたんですか?」

「養父には後で引きやすいからという理由で偽名を使うことを了承させました。

大智の名字は珍しいから、大智を探すいい看板になると思いました」


仕事の内容上、鏑木は静に島山のことは一切言っていなかった。

研修があるとだけしか聞いていなかった静は、鏑木がどこの会社にいるのかも知らなかったのだ。


「そういうことでしたか」


やっぱりもう社長は鏑木に見えない。

それがなぜなのか、島山は社長の話を聞きながら考えていた。



阿藤を乗せて筧がラデッシュコーポレーションを目指す。

阿藤の膝にはノートパソコンが乗っていて、篠原カメラが写している隠し部屋と藤井カメラが写している社長室が二分割で写っていた。


「秘書たちはまだ計算中みたいだね」

「はい。量が多いんでしょうか」

「梅谷以外は賢そうだから量が多いだけかもね。でもそうだとしたら返金が大変だぞ」


筧がポンポン、とハンドルを叩いた。

あと数分でラデッシュコーポレーションに到着する。

今までの社長と鏑木の話、そして詐欺の全貌を踏まえた筧の頭は運転しながらもフル回転していた。


「お兄さん、整形じゃないな」

「え、でも、」

「メイクしてるのはわかるけど…

ありゃもしかして…」


赤信号に引っかからず二人の乗った車は予定よりも早くラディッシュコーポレーションの駐車場に滑り込んだ。





島山と鏑木が並んで座り、その正面に社長がひとりで座っている。

久しぶりの再会だからなのだろうか、社長が鏑木ばかりを見ているのを良いことに島山は社長を観察していた。


「島山代行事務所を教えてくれた同業者は、島山さんの事務所に相談に行ったことがあるそうで。

そこで大智を見てびっくりしたらしいです」

「でしょうね。あなたにそっくりですもんね、と言いたいとこですが、わたしどもから見たら普通に見分けはつきます。

あなたが、おそらく大智が指をトントンとする仕草で確信したみたいにね」


社長の顔色がサッと変わる。

それと同時に鏑木の顔色も変わった。














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