身代わり人

村上呼人

第1話 島山代行事務所




歌舞伎町のど真ん中にあるいかにもレトロな雑居ビルを見上げる。

見上げるといっても3階建てなのでその向こう立派なビルの背中を見ているようなものだ。

チラシが落ちて雨で固まっているのか。決して美しいとはいえない入り口から階段を上がっていく。3階建てなのでもちろんエレベーターはない。入り口に負けないぐらいぐらい薄汚れた階段を上り、篠原翔毅は3階にたどり着いた。


「えーと、島山代行事務所」


携帯のメモを開いて篠原が目的の部屋を確認する。この階にひとつしかないドアには

【島山代行事務所】と印字されている小さなプレート。

それが貼り付けてあるドアも廊下も何もかも古臭い。良く言えばレトロだが。

コンコン、とプレートのすぐ下を篠原がノックすると中から間伸びしたような返事が聞こえてきた。


「はあい。どうぞ」

「失礼します」


篠原が握ったくすんだ金色のドアノブが今にも取れそうだ。蝶番も耳を塞ぎたくなるような嫌な音を奏でている。

なんとかドアを開けると目の前は白が時を超えてクリーム色になった古いパーテーション。

その向こうから、どうぞ、とまた声が聞こえてきた。

篠原がパーテーションを避けて部屋の中へ足を進める。パーテーションの向こうの8畳にも満たないほどの狭い空間にこれまたレトロな長椅子が向かい合わせに置いてあった。


「あれ?」


誰もいない。先ほどの声の主さえいなかった。


「失礼しますー」


さっきより篠原が声を張ると壁にあったドアからひとりの男が顔を出した。


「ごめんね。急に電話が来てさ」


顔を出した男は20代後半か半ばぐらいか。28歳の篠原より年下に見えた。この男が今から面接を担当するのか。

ニコニコと笑っている男に篠原は首を傾げた。


「えーと、面接の人だよね?」

「はい。篠原翔毅と申します。よろしくお願いします」

「はいはいはい。あ、どうぞ座って」


手に持っていた数枚の用紙を見ながら男が長椅子に座るように篠原を促す。失礼します、と言って座った篠原の向かいの長椅子に男も座った。


「えーと。しのはらしょうきさん。28歳。お、俺より一個年上じゃん」

「はあ」


なんと返事したらいいのかわからずに篠原は引き攣った笑みを浮かべる。自分よりも若い面接担当。いや、若くてもこの事務所でのキャリアが長いのだろう。

年齢は関係ない、と篠原は背筋を正した。


「あ、申し遅れました。ワタクシ所長の島山咲也と申します」

「所長!?」


篠原が大声を出したのも無理はない。所長と言った島山は若いだけではなくTシャツにジーパン、スニーカーといったラフないでたち。

とてもじゃないが所長の風格は皆無だ。


「よくさ、【とりやま】に間違えられるんだけど【しまやま】だからね。しまやまさくやね」

「そう、なんですね」


面接担当ではなく、いや、面接担当は担当なのだがこの青年がまさかの所長だったことに篠原は言葉も出なかった。


「さっそく質問させてもらいますが、篠原さんは勤務時間はいつでも大丈夫ですか?」


履歴書を見ながら島山が篠原に質問をする。履歴書には勤務時間はいつでも良いと記載されているが確認のためだ。


「はい。ひとり暮らしですし、大丈夫です」

「それはありがたい。篠原さんは口堅い?」

「はあ、はい」

「ヒーロー好き?」

「え?あ、まあ」


その後も島山は篠原に数問質問したがどれも心理テストのような内容。篠原は終始首を傾げながら答える。

しかしそれもそのはず、篠原はこの事務所の

【事務業務】の面接を受けに来ていたのだった。

事務業務ができるか試すための心理テスト?パソコンを扱えるとかではないのだろうか。

首を傾げ続けながら篠原が答え続けていると島山が持っていた用紙と短くなっている年季の入った鉛筆を二人の間のテーブルに置いた。


「はーい。質問は以上です。ちょっと待ってね」

「はい。ありがとうございます」


うーん、と小さくうなった島山が自分の顎を指で触りながら今メモしたばかりの用紙を見つめた。


コチコチ、と今まで聞こえてなかった時計の音が篠原の耳に飛び込んでくる。篠原は、ぶつぶつと言いながら用紙を見ている島山に視線を置くしかなかった。


「うんうんうん。ほおー。そうくるか」


島山の激しいひとりごとが部屋に響く。島山を見ることに飽きてきたが、かといって待っている間することがないので篠原は狭い部屋の中を見回した。


「おーい。おーい」


島山は声が大きい。その声に篠原がビクッとして前に向き直ると、島山がさっき出てきたドアに向かって、おーい、ともう一度大声で呼ぶ。

ガチャ、とドアが開いて中肉中背の可愛らしい若い男がひとり中から出てきた。


「おーいだけじゃ誰呼んでるかわかんないでしょ」

「お前を呼んでたんだよ。ビンゴ!てか今お前しかいないだろ」

「で、なに?」


ビンゴ!ともう一度うれしそうに言った島山を無視してその若い男は篠原にペコっと頭を下げる。ここの従業員だということがわかったので篠原も頭を下げた。


「面接の人か。なるほどそういうことね」

「俺よりもお前の方が適任だろ?」

「まあそうね」


言っていることがなんのことかわからずに目を丸くしている篠原が交互に二人を見つめる。

ニコッと笑った所長の島山がパチパチ、と手を叩いた。


「篠原さん。合格ね!」

「え。え?今?後で連絡、とかでなく?」

「なんでも今がいいんだよ。タイムイズカムね」

「全然意味が違いますけど、ありがとございます。がんばります」


あの変な心理テストで合否が決まったようだ。仕事ができるできないよりも人となりを大切にするのか。

なにわともあれ合格したのだから良かった、と篠原は大きな息を吐いた。


「今からこいつ、筧が仕事内容を説明するから」

「どうも。筧桜輔です。篠原くん、だよね?」

「かけいおうすけさん。初めまして篠原翔毅です」


篠原に仕事の説明をするということは、どうやらこの筧が事務担当のようだ。この筧も確実に篠原よりも年下だがこんなところではやはり

年は関係ない。所長も年下だ。ということはここは若い所員ばかりなのかもしれない。

篠原は筧に頭を下げてよろしくお願いします、と言った。


「篠原くんはうちの事務所の仕事内容はご存知ですか?」

「はい。代行を派遣する業務ですよね」


退職代行、運転代行。簡単に言えば依頼してきた人の代わりに何かをする、ということだ。今の時代でなければ出て来なかった職業だ。


「そうです。まあ有名なところでは退職代行とか、運転代行とかあるんだけど最近はSNS代行なんてのもあるんですよ」

「SNS代行、ですか」

「依頼者に変わっておもしろいコメントしたりとかするみたいですよ。代行、ってひとくちで言ってもいろいろあるんですよ」


隣に座って説明をしている筧を島山がチラチラと見ながら自分の髪をワシャワシャとしている。次の説明をし始めた筧の前に島山がサッと手を伸ばした。


「まどろっこしいな。パッと説明しろよ」

「こういうのは順序があるの。咲みたいに核心だけ話してもなんのこっちゃわかんないだろ。だから俺が説明してるんじゃないの?」


所長である島山にガンガン言い返す筧。立ち位置も年齢も下なのにすごいと篠原は思った。

筧にそう言われたのに島山は体をグイッと前に出して篠原の顔を見つめる。驚いた篠原が瞬きを繰り返すと、島山の隣で筧がため息をついた。


「代行っつってもうちは身代わりなんだよ」


さっきの筧の声が穏やかだと感じるほど島山の声は大きかった。


「身代わり?なんの、ですか?全く読めないんですけど」

「読んで字の如く、身を代わる。簡単に言えば依頼された人間になる。なりきるってことだ」

「なりきる?なりきるってどういうことですか?」

「えーと、それは、」


島山がまた頭をワシャワシャと掻く。その顔の前にさっきの島山と同じように筧がサッと手を出した。


「何回繰り返すんだよ。説明がうまくできないから俺を呼んだんだろ?核心だけ話すから篠原くん、頭からハテナ出てんじゃん」

「そうでした!あはは」


篠原の瞬きは止まらない。この所長、頼りないのかなんなのか。筧の方が所長に向いているのでは?と篠原は考えていた。

しかしそんなことより代行と身代わりの意味の違いだ。今から説明する筧が眉間にシワを寄せた篠原を見て微笑んだ。


「意味わかんないよね。ごめんなさいね。所長は難しいことや細かいことが嫌いなんですよ」

「はあ」

「ごめんね篠原さん。もう黙ってるから俺」

背もたれにどん、ともたれて島山は目を閉じた。


「依頼された人に、なりきる、ってことなんだけど、例えた方がわかりやすいですよね。うちにはあと二人いるんですけど、その二人が今現場に出てるんです」


立ち上がった筧がさっき出てきたドアに入ってまたすぐに出てくる。その手にはファイルのような物が握られていた。

向かい合った長椅子の間にある、年季の入ったローテーブルに筧はファイルを開いて置いた。

開いたページには三枚の写真と数行書かれたメモのような物が挟まっている。篠原が体を乗出してそれを見ていると筧が一枚の写真を指差した。


「この人、詳しくは言えないんだけど国会議員の息子なんです。

ひと月ほど前からストーキングされてる。父親の仕事の関係上警察には相談できない。一昨日この国会議員の家に息子を殺害するという予告状のような物が届いた。その殺害予告に記載されていた日付が今日なんです」


筧はかいつまんでサッと話したが篠原は理解したようで、驚くこともなく、うん、と筧の目を見て頷く。

なかなか頭の良い男だ、と筧は思った。


「で、息子が殺害されたらもちろん大変なんで、うちの藤井という所員が息子の身代わりになっています」


筧がもう一枚の方の写真に指を置く。最初の写真と違うが写っている人物は同じだった。二枚の写真は狙われている息子を別角度で写したものだ。


「これ、藤井です。こっちが息子」

「え?」


思わず出た声に篠原自信が驚く。筧が指をさした二枚の写真。

片方は息子で片方は藤井というここの所員だと筧は言ったが、篠原にはどう見ても同一人物に見えたのだ。


「変装、ってことですか?」

「変装ももちろんするけどそれだけじゃバレるでしょ。

仕草や歩き方、表情、話し方などその人の特徴をコピーするんですよ」


ストーカーに本人ではないとバレてしまっては捕まえることも息子の命を守ることもできない。だから完全にコピーする必要があるのだ。


「身代わりってそういう意味だったんですね」

「篠原くん理解が早いですね」


確かに代行は代行だ。息子の代わりに藤井が行くのだから。しかしそれでは藤井が危険だ。どうするのだろう。

頭をフル回転させながら篠原はファイルに挟まれた二枚の写真を見つめた。


「その、身代わりになっている藤井さんは大丈夫なんですか?」

「今連絡待ちだけど大丈夫だと思いますよ」


二人ひと組で仕事をしているから、と筧が付け加える。長椅子の背もたれにもたれていた島山が目を開けて腕時計を見た。


「息子さんを狙うとしたら夜ですよね」

「なんでそう思いますか?」

「よほどの理由がない、もしくは衝動的ではない限り明るいうちに殺害する人なんてあんまりいないでしょう。予告もしていますし」


昼と夜どっちが狙いやすいかといえば夜だろう。しかもそのストーカーが素人なら飛び道具はまずもってないと考える。

接近戦でやるなら夜の方が人目につきにくい、と篠原は考えていた。


「マジで今回は心配なんだよなあ」


島山がたった今腕時計を見たのに、また壁に掛けてある時計を見上げる。その行動が篠原には焦っているように感じた。


「所長。なぜ今回は心配なんですか?」

「所長ね。その呼び方あんまり好きじゃないな。まあいいや。今回コピーしてる哉太はいつもはウォッチなんだよ」

「ウォッチ?」


篠原は思わずさっき島山も見上げた時計を見上げる。壁で微妙に傾いている時計までもある意味レトロだった。


「ウォッチって言ったら、ってか壁掛け時計はクロック」

「細かいな筧は」

「細かいとかそういう問題じゃないだろ」


揉め出した二人から見えるように篠原がサッと自分の顔の横に手を上げた。


「とっさに見ちゃっただけでクロックなのはわかってます」

「ほらあ。筧ー。新人に気を使わせるー」

「もう咲は黙ってて。篠原さんごめんね。今、咲が言ったウォッチってのは見守りのこと」


コピーしている人を見守る役割のことだ。

危険が伴う今回のような仕事だけではなく常に二人ひと組で行動しているのだ。


「今、現場に出ている所員は藤井哉太(ふじいかなた)と鏑木大智(かぶらぎたいち)なんだけど、いつもは大智がコピーで哉太がウォッチなんだ」


話しながら筧が2回目に指をさした方の写真をもう一度さす。

篠原には一枚目も二枚目も同一人物に見えたが二枚目の写真は藤井哉太なのだ。


「依頼者、つまり国会議員の息子の身長は190cm。プラスマイナス10cmぐらいならなんとかなるんだけど、大智は174cmだからコピーするにはちょっと厳しくて。

哉太は182cmだから今回は哉太にコピーになってもらったんだよ」

「まあ、あいつもちっさいコピーはやったことあるけどさ。でもなんか心配なんだよな」


な?と島山が筧の肩を叩く。それを無視して筧はまた篠原の方に向き直った。


「篠原くんにはこの二枚の写真が同じ人に見えたみたいだから大丈夫でしょ」

「だといいんだけどな」


篠原が二枚の写真をもう一度じっくりと見比べる。髪型や体型だけではない。メガネを掛けているが顔も似ている。

まさに【コピー】という言葉が当てはまった。


「現場に出るのは、その哉太さんと大智さんだけなんですか?」


島山と筧がバディとして現場に出るということだとしたら自分が事務としてこの事務所に常にいるということになる。篠原はなんとなくこの事務所の回転が見えてきた。


「ううん。俺も出てたのよ。でも相方が辞めちゃって」

「え。相方?筧さん、じゃなくて?」


篠原の頭の中で組み立てられていたこの事務所の配置図がもうガラガラと崩れる。

辞めた相方と島山が現場に出ていたということは?


「ケガしたんだけどなそいつ。たいしたことないんだよ。

でも辞めちゃってね。怖かったのかな。引き止めるのも違うしなあ」


イヤな汗が篠原の背中に流れる。マッシュヘアの筧が目を三日月のように細めて微笑んでいる。

隣で島山はファイルを手に取ってじっと見つめていた。


「今回、」


そう話し始めた筧の声を電話の音がぶった斬る。

ここにいるのが当たり前のようにレトロな電話台に乗ったレトロな黒電話から鳴り響く音に向かって筧が手を伸ばした。


「はい。島山代行事務所です。はい、」

「ダメだ。やっぱ気になって仕方ねえわ。なんか胸がざわざわする」


バン!とファイルをローテーブルに叩きつけて島山が立ち上がる。ローテーブルが壊れてないか篠原が心配して下をのぞきこんだ。


「胸騒ぎってヤツですか」


髪をかき上げた島山が、後ろを向いて電話している筧ではなく篠原の方を向いた。


「行くぞ。篠原」

「え?」


篠原の座っている長椅子とローテーブルを飛び越えて島山が入り口に向かう。バーン!とドアが壊れそうなほど大きな音を鳴らして島山は廊下へ出て行った。


「あの、筧さん」


島山が出て行ったことに全く動じていない筧が受話器を押さえて篠原に振り向いた。


「何してんの。早く行って」

「え?いや、なんで、」

「なんでって、咲の相方だろ?早く」


相方?所長の相方が俺?

筧の言葉を噛み砕きながらも篠原の足は入り口を出て廊下を走っている。

話の流れからそうかもしれない、とは思っていたが…

そうだったらいいのにな、とは到底思えない。


「所長!」


全速力で走っている島山の背中。

これからこの背中を追いかけていくのかな、と

篠原はこの時漠然と考えていた。




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