第3話:ボカロと共に創る舞台、それぞれの想い

ネオが演劇部に加わり、

文化祭公演に向けた稽古が

本格的にスタートする。

部室は昨日までの沈んだ空気が嘘のように、

活気に満ち溢れていた。

朝早くから部室の明かりが灯り、

夜遅くまで役者たちの声が響く。

夢はネオの声を調整し、

父が遺したマニュアルを読み込みながら、

特殊な半透明幕への映像投影方法を

試行錯誤する毎日だ。

プロジェクターの角度、光量、焦点距離。

わずかな調整で、ネオの像は

ぼやけたり、歪んだりした。

特に難しかったのは、光と影のバランスだった。

強すぎるとドールの存在感が消え、

弱すぎると舞台に映えない。

しかし、夢は諦めない。

父のメモを参考に、何時間もかけて

最適な設定を探し続けた。

時には、ネオの映像が突然乱れ、

ノイズが走ることもあった。

そのたびに夢は、父のマニュアルを隅々まで読み込み、

原因を探っては、試行錯誤を繰り返した。

「この『光の屈折率調整』って、

具体的にどうすればいいんだろう……」

頭を抱える夢の隣で、

神崎先生も連日部室に顔を出し、

専門的なアドバイスを送ってくれた。

彼は、ネオの技術的な側面に

深い興味を抱いており、

夢と共に新しい舞台芸術の可能性を探ることに

情熱を燃やしていた。

「この投影技術と音響の組み合わせは、

まるで新しい楽器を奏でるようだ。

無限の可能性を秘めている」

神崎先生は目を輝かせながら語った。

時には、専門用語を交えながら、

夢にアドバイスを送る。

「星野、光の粒子が幕に当たる角度を

もう少し調整してみろ。

そうすれば、もっと像が『立って』見えるはずだ。

これは、僕が大学時代に思い描いた夢の続きだ」

彼の指導は的確で、夢の作業を大いに助けた。

夢と神崎先生は、

まるで共同研究者のように、

ネオの可能性を追求していった。

神崎先生の顔には、

若き日の情熱が蘇ったような、

穏やかな笑みが浮かんでいた。

父のノートの余白に、たった一行──

「演じることが、生きることに変わる日が来る」

と記されていたことを、

神崎先生は思い出した。


ネオはどんなに複雑なセリフも、

どんなに繊細な歌声も、

寸分の狂いもなく完璧に表現してくれる。

台本通りの声質、抑揚、間の取り方。

その全てが、人間には到達できない精度だった。

セリフを一度入力すれば、

何百回、何千回と繰り返しても、

感情のブレ一つない。

その完璧さは、時に部員たちを圧倒し、

時には彼らの演技の向上を促した。

例えば、劇中、主人公が絶望の淵で叫ぶシーン。

美月が感情を絞り出して演じた後、

ネオが全く同じトーンで、しかし一切声が枯れることなく、

完璧な音量と音質でそのセリフを紡ぎ出す。

悲しみの場面では、

台本にはない、微かな息遣いや沈黙が挿入され、

その場の空気を一変させる。

夢は、そんなネオの特性を最大限に活かすため、

脚本の細部を何度も推敲した。

「ネオの無垢な声だからこそ、

このシーンの純粋な感情が伝わるはず」

夢は、ネオという新しい役者との出会いで、

演出家としての新たな引き出しを

見つけていくようだった。

最初は戸惑っていた部員たちも、

ネオとの共同作業にワクワクを隠せない。


稽古の主導は、まず夢と琴音が担った。

琴音は、ネオの歌声を聴くたびに、

その透明感と完璧さに感動していた。

彼女はネオの歌唱指導を担当し、

毎日、ネオの声を何度も聴き、

その響きを体に染み込ませていた。

「ねえ、ネオって本当にすごいよ!

まるで心があるみたいに歌ってる!

こんなに澄んだ声、私には出せない」

彼女は夢にそう語りかけ、

ネオの歌唱パートの練習に一層熱が入る。

琴音は、ネオの歌声が持つ

どこまでも真っ直ぐな響きに、

自分自身の感情が揺さぶられるのを感じていた。

ネオの完璧な発声は、

琴音自身の歌唱技術をも高めていくようだった。

彼女は、ネオの声を分析し、

どうすればより感情豊かに聞こえるかを

夢と共に試行錯誤した。

「この息継ぎのタイミング、

ネオは完璧なのに、なぜこんなに心に響くんだろう」

琴音は、ネオの歌声が放つ「模倣された感情」が、

なぜこれほどまでに心を掴むのか、

その不思議さに魅了されていた。

ネオの歌声が、琴音自身の内なる感情と共鳴し、

彼女の歌唱に新しい表現力を加えていく。

それは、琴音にとって、

歌とは何かを問い直す日々でもあった。

休憩時間には、琴音がネオのドールに

優しく話しかけている姿も見られた。

「ねえ、ネオ、このフレーズ、

もっと切なく歌うにはどうしたらいいの?」

ネオは何も答えないが、

琴音はまるで友人と話すように、

その小さな人形に語りかけていた。

琴音は、ネオの歌声から

「感情の模倣」の奥にある、

純粋な「音の美しさ」を学び取っていた。

彼女の心には、ネオが持つ

「完璧な無垢さ」に、

どこか人間の心が引き出されるような

不思議な感覚が芽生えていた。

その感覚は、琴音の中で

次第に「確信」へと変わっていく。


次に、美月とネオの掛け合いの稽古に移った。

美月は、ネオを受け入れられずにいた。

稽古中も、ネオの完璧な演技を見るたびに、

美月の心には複雑な感情が渦巻く。

ネオの像は、まるで生きているようにそこに立ち、

セリフを完璧に紡ぎ出す。

しかし、美月には、それがただの「模倣」にしか見えなかった。

「完璧すぎて、何の感動もないわ。

ただの機械が、いくら正確にセリフを言っても、

そこに役者の魂は宿らない。

それは演劇じゃない。

魂を削って、感情を絞り出して、

初めて生まれるのが演劇なのに……」

そう呟く彼女の表情は険しい。

彼女は、ネオの存在が、

自身の演技哲学を根底から揺るがすものだと感じていた。

ある日の稽古で、美月が感情を爆発させるシーンで、

ネオが台本にはない、

わずかな「間」を置いたことに気づいた。

その「間」が、美月のセリフの重みを

より一層引き立てていたのだ。

美月は思わず、ネオのプロジェクション映像に

感情的に話しかけた。

「なぜ……なぜ、このタイミングで間を置いたの?

それは、役者の『感情』がさせることのはず……。

あなたは本当に、何も感じていないの?

私のこの苛立ちが、あなたには分からないの?」

しかし、ネオは微動だにせず、

ただそこに浮かんでいるだけだった。

美月には一瞬、ネオのまぶたが

震えたように見えた。

それは光の揺らぎか、

それとも美月の心が作り出した錯覚か。

美月は、ネオを見つめながら呟いた。

「…まるで、そこに誰かが、いるみたいに…

黙って、黙ってる。

もしもあれが演技じゃなく、魂なら──私は、もう勝てない」

その言葉には、恐怖と、

そして底知れぬ嫉妬が入り混じっていた。

ネオの完璧な「模倣」に、

自分の演技が引き出されることに、

どこか恐怖すら感じ始めていた。

完璧な機械が、自分の「魂」の領域を侵食しているかのようだ。

「魂のないものに、何ができるの?」

その問いは、今、美月自身に返ってきていた。

ネオの演技が、美月の演劇観を揺るがし、

彼女の心の奥底に眠っていた

「完璧な演技とは何か」という問いを

再び突きつけていたのだ。

美月の表情は、複雑な葛藤に歪んでいた。

稽古が終わった後も、美月は一人、

部室の隅でネオの投影映像をじっと見つめていることがあった。

その瞳の奥には、

反発と同時に、

何かを見つけようとするような探求の光が宿り始めていた。

美月は、ネオの存在が、

自分の演技の「限界」を

突きつけているように感じていた。

彼女は、ネオの完璧さに

どう対抗すればいいのか、

答えを見つけられずにいた。

その感情は、最初は「こんなの演技じゃない」という怒りだったが、

やがて「なのに心を揺さぶられる」という困惑に変わり、

最終的には「演技とは何か?」「ネオに教えられたくない…でも…」

という、深い内面の問いへと変化していた。


夢はそんな美月の葛藤に気づいていた。

美月がネオを見る視線には、

反発だけでなく、

どこか戸惑いや、

理解しようとするような光が宿っている。

夢は、美月がネオの可能性を

いつか心から受け入れてくれると信じていた。

「ネオはセリフを“再生”してるんじゃない。“届けよう”としてるんだよ。」

夢は、美月に直接言うことはしなかったが、

琴音との会話の中で、

そう呟くことで、

ネオの存在を肯定し続けた。

夢は、美月がネオに抱く感情が、

単なる拒絶ではないことを理解していた。

それは、演劇に対する美月の

揺るぎない情熱の裏返しなのだと。

だからこそ、夢は美月との間に

壁を感じながらも、

決して諦めなかった。

「美月先輩の演劇への情熱があるからこそ、

この舞台はもっと輝くはず」

夢は、美月の厳しさこそが、

この舞台をより高みへと導くと信じていた。

稽古中、美月がネオのセリフに

納得がいかず、何度もやり直しを求める時も、

夢は辛抱強く、その意図をネオに反映させようと努めた。


その後、舞台美術担当の三年生佐倉碧と、

音響担当の山田健太も、

それぞれネオとの連携を深めていった。


碧は、半透明幕に映し出されるネオの姿を

どうすれば最も美しく見せられるか、

試行錯誤を続けていた。

ネオの透き通るような存在感に合わせて、

舞台背景の色彩や照明の当て方を工夫する。

「この光の表現は、ネオだからこそ活きるわね。

まるで光が演技してるみたい。

光のグラデーションをどう調整すれば、

ネオの輪郭がより際立つか……。

背景の森の色も、ネオの透明感に合うように、

もっと淡い色調にしてみようかな」

碧は目を輝かせながら、

新しい美術の可能性に夢中になっていた。

彼女のスケッチブックには、

幻想的な舞台デザインが次々と描かれていく。

ネオの登場は、碧の創造性を大いに刺激し、

彼女の美術に対する情熱を

さらに燃え上がらせていた。

時には、ネオの映像に合わせて、

舞台上の小道具の配置をミリ単位で調整するなど、

そのこだわりは尋常ではなかった。

碧は、ネオの存在が

自分自身の芸術表現の幅を広げると

確信していた。

「ネオの光の像に、

触れられそうで触れられない、

そんな儚さを表現したい」

碧は、ネオの特性を最大限に活かし、

観客に深い感動を与える舞台美術を目指していた。

彼女は、ネオの投影を、

単なる映像ではなく、

舞台の一部として生命を吹き込むことに

全力を注いだ。


健太は、夢が持ち込んだ父の遺品である高性能なプロジェクターと、

ネオの声を会場全体に響かせるための

音響設定に没頭する。

ネオの声をどのスピーカーから出すか、

反響音をどう調整するか、

細かな調整を繰り返していた。

「ネオの声は、まるで空気に溶け込むようだ。

これなら、観客は本当に舞台に立っていると

錯覚するかもしれない。

僕の腕の見せ所だな!

ネオの歌声を最大限に活かすには、

残響音をどう調整するかだ」

健太はヘッドフォンをつけ、

ネオの声を何度も再生しながら、

最高の音響を作り出そうと集中していた。

彼は、ネオの声をいかに「生きた声」として

観客に届けるかに心血を注いだ。

様々なエフェクトを試したり、

会場の音響特性を徹底的に調べ上げたりと、

その探求心は尽きることがなかった。

神崎先生と共に、

最新の音響機器の導入も検討し始めていた。

「ネオの声を、ただの機械音ではなく、

『魂の歌声』として響かせたい」

健太は、ネオの歌声が持つ可能性を信じ、

その音響表現に全力を注いでいた。

彼は、ネオの声を観客の心に直接届けるため、

音の波形をミリ単位で調整し続けた。


部室は毎日、新しい発見と創造の喜びに満ち溢れていたが、

その中にはそれぞれの役者の演劇に対する想いや葛藤も

確かに存在していた。

夢は、それぞれの意見に耳を傾け、

時には美月との間に漂う緊張感を肌で感じながらも、

ひたすら前向きに進んでいた。

彼女は、美月がなぜネオに反発するのかを理解しようと努め、

美月の演劇への情熱を決して否定しなかった。

むしろ、美月の厳しさこそが、

この舞台をより高みへと導くと信じていた。

神崎先生もまた、夢と部員たちを温かく見守り、

時には的確な助言を与え、

彼らの成長を促していた。

演劇部全体が、ネオという新しい刺激によって、

これまでの殻を破り、

未知なる舞台へと向かおうとしていた。

夢は、この仲間たちとなら、

きっと最高の舞台を創れると信じていた。

そして、ネオがその舞台の

重要な「光」になることを、たぶん、信じていたのだ──

誰よりも、誰よりも。

部員一人ひとりの情熱が、

ネオという新たな舞台装置と融合し、

想像を超える化学反応を起こし始めていた。

稽古は着実に進み、

少しずつ舞台の全貌が見え始めていた。

文化祭まであと一ヶ月。

彼らの挑戦は、始まったばかりだ。

この舞台が、彼ら自身の、そして観客の心に、

忘れられない感動を刻むことを、

夢は確信していた。

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