第四章 決戦前夜

戦いの終わった夜、空は静まり返っていた。


 バルバロス号は奇跡的に浮かんでいた。帆は裂け、船体は幾箇所か軋んでいる。だが、沈まず、進んでいた。


 魔王の浮島までは、あと一日。


 私は甲板の端で、魔獣たちを休ませていた。エンゴルムは深海へ潜り、リュズルは帆の影で丸くなっている。どちらも傷を負いながら、再召喚に応じた忠実な存在。


 「……感謝してる。お前たちがいなければ、私はここにいない」


 その独り言に、背後から酒の匂いが混じった声が返ってきた。


 「獣にも敬意を払うのか。やっぱり普通じゃねぇな、あんた」


 振り向けば、バルタが木の椅子に腰をかけ、酒瓶を二本抱えていた。


 「飲むか?」


 「……一口だけ。朝までに、魔力を戻したい」


 私は瓶を受け取った。ほんの少し、口をつける。燃えるような刺激。だが、なぜか懐かしい。


 「魔王に焼かれた夜も、母は……酔ってた」


 自分でも、なぜそれを口にしたのか分からなかった。けれど、バルタは黙っていた。茶化さず、驚かず、ただ火を見つめていた。


 「俺も似たようなもんだ。仲間の一人は、俺が命令を出さなきゃ、あの戦には巻き込まれなかった」


 彼の左腕――義手の根元を、私はじっと見た。そこに刻まれた刺青。仲間の名だろうか、あるいは船の名か。


 「その剣は、何のためにあるの?」


 「決まってる。奪われた分だけ、奪い返す。海賊の流儀だ」


 バルタは、夜空を見上げた。星が少ない空だった。魔王の結界のせいで、空さえも覆われ始めている。


 「……けど、もしも、世界が書き換えられて、俺たちが“いなかったこと”になっても……」


 彼は酒瓶を空に放った。瓶は空中で弧を描き、落ちる前に、リュズルの羽ばたきで吹き飛ばされた。


 「この夜のことだけは、俺は忘れねぇ。……獣使いと海賊が、手を組んで魔王に挑んだって、それが伝説にもならなくても、俺は本気だったぜ」


 私は、初めて小さく笑った。


 「伝説なんて、どうでもいい。ただ、私は焼かれた家族の“名前”を、魔王の前で呼ぶだけ。あいつに喰われたものの声を、届けてやる」


 二人の間に、静かな風が吹いた。


 夜明けは近い。

 魔王の浮島“終焉環(エンドリング)”が、闇の雲の向こうに待っている。


 そこが、この世界の終わりであり、希望の始まりになる。

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