第4話:偽りの笑顔のレンタル料

 才能の、レンタル。

 その悍ましい仮説が、頭から離れない。

 もし舘山寺詩が、時間限定で他人の『演奏技術』を買っているのだとしたら。


 昨日の公園での天才的な演奏と、今日の音楽室での無様な姿。その両方が、矛盾なく一本の線で繋がってしまう。


 問題は、そのレンタル料だ。

 非合法な記憶取引の中でも、『才能』のレンタルは特に高額でリスクが高い。短時間で効果が切れる上、他人の技術を無理やり脳に上書きするため、副作用ゴーストペインも強烈に出やすい。

 とてもじゃないが、バイトを掛け持ちしているような高校生が手を出せる代物じゃない。

 一体、どうやって……?



 ◇



 翌日、俺は一つの確信を持って、行動を開始した。

 彼女の金の流れを追う。それが一番の近道だ。


 昼休み。俺は教室で友人たちと談笑している詩を横目に、こっそりと席を立った。向かう先は、彼女が所属する吹奏楽部の部室だ。幸い、昼休みは誰もいない。


 忍び込んだ部室は、楽器のオイルと埃の匂いがした。

 目的は、彼女のロッカー。鍵がかかっているが、忘却屋の仕事で使うピッキングツールがあれば、こんなものは無いも同然だ。罪悪感がないわけじゃない。だが、これも真実のためだ。


 ロッカーの中は、綺麗に整頓されていた。楽譜に、手入れ道具。そして、隅の方に置かれた一冊のノート。

 俺はそれを手に取った。…なんの変哲もない、大学ノートだ。


 ページをめくった瞬間、俺は息を呑んだ。

 そこには、びっしりと、几帳面な文字で何かが書き連ねられている。


『10月5日(水):放課後、コンビニバイト(17時〜22時)。5,500円』

『10月6日(木):早朝、新聞配達。夕方、ファミレス(18時〜23時)。7,800円』

『10月7日(金):ソロ練習。レンタル料、マイナス15,000円。残高……』


 間違いない。バイトのシフトと収入、そして『レンタル料』という生々しい支出。

 詩は、このボロボロのノートで、自分の全てを管理していたのだ。


 俺はページをめくる手を止められなかった。

 そこには、痛々しいほどの彼女の努力と、悲痛な叫びが刻まれていた。


『もっと上手くならなきゃ、ソロを降ろされちゃう』

『でも、練習する時間がない。どうしよう』

『今日もレンタルしちゃった。お金、足りるかな……』

『お母さんの薬代、今月も払わなきゃ』


 ーーお母さんの、薬代。

 その一文が、鉛のように俺の胸に沈み込んだ。

 そういうことか。これが、彼女が全てを犠牲にしてまで、偽りの才能に手を伸ばす理由。


 俺はノートを元の場所に戻し、静かに部室を後にした。

 廊下を歩きながら、込み上げてくる感情を抑えられない。怒りなのか、憐れみなのか、それとも別の何かか。

 彼女は、自分のためじゃない。誰かのために、自分を切り売りしていた。

 あの花が咲くような笑顔は、そうやって稼いだ金で買った、偽物の才能の上に成り立つ、刹那の輝きだったのだ。



 放課後。俺は昨日と同じように、音楽室の窓から練習風景を眺めていた。

 今日の詩も、何度も音を外し、先輩から叱責されている。俯く彼女の肩が、小さく震えているのが見えた。


 もう、見ていられなかった。


 俺は音楽室のドアを、躊躇いなく開けた。

 突然の闖入者に、室内の全員の視線が突き刺さる。

 俺はそれを無視して、まっすぐに彼女の元へ歩いていく。


「舘山寺」


「さ、佐久間くん……?なんで、ここに……」


 驚きと混乱で、彼女の瞳が揺れる。

 俺は周囲に響き渡る声で、言い放った。


「あんたに、忘却屋として依頼がある」


「え……?」


「あんたが持ってる『才能の記憶』の出所……いや、仕入れ先を教えろ。言い値で買う」


 音楽室が、水を切ったように静まり返る。


 詩は、血の気が引いたように真っ青な顔で、ただ俺を見つめていた。

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