第17話 重なる面影

 階段を上がりながら2人の先輩の名前を呼び続けた。どちらも返事が返ってこないことに対して、言葉にできない不安が徐々にこみ上げてくる。

 一抹の不安を抱きながら踊り場に上がったその時、中野が「ひゃっ」と小さな声を上げた。直後、体がこちらにぐっと寄りかかった。


「ご、ごめん」


 お互いに少し距離を取る。一瞬の沈黙が流れた後、中野の方から再び口を開いた。


「あの」

「ん?」

「すそ、借りてもいい?」


 一瞬、何を言われてるか分からなかった。


「何か掴んでないと、その、怖くて」


 中野は目を合わせようとしなかった。


「そういうことなら」


 反対の方を向きながらそう答えると、腰上の辺りが少しだけ引っ張られる感覚を覚えた。隣をちらりと見ると、中野の顔が思ったよりも近くにあることに気づいた。夏に咲くひまわりを思わせるような香りが頬を優しく撫でていく。反射的に反対の方を向きながら、ひたすらに先輩を名前を呼び続けた。

 耳が熱く感じるのは、きっと熱帯夜のせいだ。



 2階をゆっくり歩きながら理科室の前を通り過ぎようとしたその時、隣の理科準備室からバコン!という何かが倒れるような物音が聞こえた。怖がる中野の様子を見ながら少しずつ近づき、部屋の中をそっと覗いた。


「山城先輩?」


 名前を呼んだその時、視界の端で何かがこちらにコロコロ転がってくるのが見えた。

 足下に目をやると、左半分の皮膚が剥がれた生首がゆっくり、じろりとこちらを振り向いた。


「いっ!?」

「きゃあああああ!?」


 身を寄せ合って驚いていると、山城が慌てて駆け寄ってきた。


「お前ら! すまん、驚かせちまって」

「だ、大丈夫です、なんとか」


 そう返したものの、正直言うと体から出てはいけないものが出そうになる思いをしていた。文字通り、寿命が縮んだのではないだろうか。

 山城の手を借り、バクバク音を立てる胸を押さえながらなんとか立ち上がる。すると、山城の肩越しに人影が見えた気がした。

 目を細めてよく見てみると、それは首のない人体模型だった。 


「山城先輩。これはいったい」


 人体模型と床に転がる頭を交互に見ながら尋ねると、山城は気まずそうにうつむいた。


「その、ついカッとなっちまって。すまん」


 かける言葉が見つからず、とりあえず床に転がった頭部を拾い上げた。そのまま人体模型に近づき、力をぐっといれながら元の位置にはめ直した。その拍子に、何かが足下にぶつかる感触がした。


「なんだ、これ?」


 薬品や実験器具が立ち並ぶこの部屋には不相応な分厚い本が、投げ捨てられたような形で床に転がっていた。それを拾い上げて軽くほこりを払うと、『若人たちよ』という文字が浮かび上がってきた。中をパラリとめくると、色あせたモノクロ写真が何枚も現れた。その被写体は中学生ぐらいまでの子どもが大半を占めている。


 校舎らしき木造の建物を背景に走り回る男の子。お手玉を持ちながら無邪気に笑っている女の子。教室のような部屋に敷かれた布団で穏やかに眠る子供たち。

 どれも微笑ましい写真ばかりだった。


「何それ?」

「なんだろうな。ずいぶん昔の写真みたいだけど、どうしてこんなところに?」


 小さな疑問を覚えつつ、パラパラとページをめくると、集合写真のようなものが出てきた。木々に囲まれた立派な建物の前で、およそ10人ほどの子どもと2人の先生が綺麗に並んでいる写真だ。 


「ん?」


 山城が首を傾げながら、ページをめくろうとした手を止めてきた。


「この人、星守に似てないか?」


 山城が指さした人物はたれ気味の目尻に薄い唇を持ち、顔の輪郭がほんの少しまん丸としていた。おかっぱのような髪型というのを除けば、たしかに星守とよく似ていた。

 もんぺのような服に身を包んだ彼女は小さな子どもと手をつなぎ、唇を真一文字に伸ばしている。笑っているのかいないのか、よく分からない表情だった。


「そういえば、星守の家って——」

「皆、ここで何してるの?」


 落ち着きのある凛とした声が背中にぶつかる。ばっと振り返れば、探していた人物が目の前に立っていた。


「星守!?」


 いの一番に駆け寄って驚きと心配とが入り交じったような表情を見せる山城。その様子を見た星守はキョトンとしていた。


「どうしたの?」

「どうしたじゃねえよ! 叫び声を聞いたと思ったらどこにも見当たらないし、いくら電話してもつながらないし、本当に心配したんだぞ!」


 声を大きくして一気にまくし立てられた星守は戸惑いつつも謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさい。スマホの充電が急に切れてしまったの」

「……いや、俺もいきなりでけえ声上げちまってすまなかった」


 お互いに謝った後、2人は目を合わせるとクスリと笑い合った。


「ひとまず、全員無事で何よりってところかな」

「そうだね、本当に良かったよ。私、てっきり星守先輩が本当にお人形になっちゃったのかと」

「そんなこと思ってたのか?」

「そ、そうだよ! 恥ずかしいからこれ以上は言わせないで」


 ぷいっと顔を背けた中野の言葉を、星守は聞き逃さなかった。


「人形、ってなんのこと?」

「実は生徒会室の一番下の棚に、この紙切れと人形が落ちてたんです。それで僕たちは、星守先輩が人体模型に攫われたのだと考えまして、こうして探していたわけです」


 ポケットから紙切れを取り出しながら説明すると、なぜか星守は目を丸くしてみせた。


「皆、本当に生徒会室に入ったのか?」

「はい」


 そう答えると、星守は困惑した表情を見せた。


「あの、どうかしたのですか?」

「……私はさっきまでずっと、生徒会室に隠れてたの」

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