第15話 人体模型とのかくれんぼ
スマホの通知音が切れていることを今一度確認し、少しでも体が隠れるように体勢を整える。廊下の方に目をやると、ぼんやりと浮かぶ非常口の淡い光が見えた。
すると次の瞬間、今まで何度も耳にした古めかしい校歌が流れ始めた。急に流れた校歌に体がびくりと反応したせいで、机の天井に軽く頭をぶつけてしまった。頭をさすりながらスマホを確認すると、『大丈夫か!?』と心配してくれる山城のチャットが目に入った。
『僕は大丈夫です』
『私も、ちょっと怖いけど、なんとか頑張れてます』
足立、中野と続けて返信が届くと、山城は先ほどと別のスタンプを送ってきてくれた。赤いトカゲのような見た目をしたキャラクターがほっとしているイラストだ。それを見ると不思議なことに、こわばった体から少しだけ力が抜けた気がした。
いよいよ始まった人体模型とのかくれんぼに心拍数が徐々に上がっていく。それでも冷静を保っていられる理由のひとつに、こうした頼もしい先輩からの働きかけがあるのは間違いなかった。
『星守はどうだ?』
山城が続けて尋ねた。しかしどういうわけか、返事はなかなか返ってこなかった。
まさか、もう見つかってしまったのだろうか?
そんな心配が頭をよぎる。校歌はまだ1番のサビに入ったばかりだ。『星守先輩?』と尋ねる中野に続き、足立もチャット入れた。それでも、応答はなかった。
スマホを握る手に力が入る。星守が隠れている場所に向かうかとも考えたが、まだ人体模型が近くをうろついている可能性も十分にあった。安易に飛び出せば、二の舞にだってなりかねない。
それにもし、人体模型が何かよからぬことを企んでいたとすれば……。
そこまで考えた足立は思わず身の毛がよだった。
一連の心霊騒ぎを起こしている黒幕がどこかに潜んでおり、皆をバラバラに隠れさせることで人目につくことなく悪事を働く。
そんな仮説が暗闇の中で急速に膨らんでいったその時、チャット欄のメッセージが一段上に動いた。
『ごめんなさい。返事が遅くなった』
『私も大丈夫』
白い人間が謝っている絵文字と一緒に星守からチャットが送られてきた。それを見た足立は思わず息をついた。
それには星守の無事が確認できたという安心が半分、根拠の全くない仮説を立ててしまった自身に対する呆れの気持ちが半分込められていた。
そこからしばらくは特に何か起こることもなく、時間だけが過ぎていった。時折、人体模型が近くの廊下を通ったという報告が上がるが、これといった被害はなさそうである。
延々と流れ続ける校歌に聞き飽きてきたそのころ、階段の方から物音が聞こえた気がした。よく耳をすませると、タン、タンと足音のようなが近づいてきているのが分かった。
足立は体をより小さくし、窓の方をじっと見つめた。足音は着実に大きくなってきている。それに従って、心臓の音もだんだん大きく、速くなっていく。
この時間に聞こえる足音の主なんて、ひとりしか思い当たらない。
足立はスマホを構えると、ビデオを回し始めた。そして汗でズレたメガネをかけ直していると、扉にはめられた窓から赤い筋肉のむき出しになった人型の影が見えた。非常灯に照らされたその首を左右にぎこちなく動かす様は、およそこの世のものとは思えない。
廊下を移動する様子を目で追っていると、扉の前で突然止まった。そして中を覗いたかと思えば、理科室の扉をガラガラと開けてきた。
「……!?」
肩が反射的にびくりと跳ねる。
人体模型は辺りを見渡すと最初に教壇に近づき、ゆっくり身をかがめた。足立は少しだけ顔を出し、人体模型の様子をうかがった。やがて人体模型が体をゆっくり起こすと、再び机の下に引っ込み、のっそりとしたその足取りを目で追い続けた。
すると今度は廊下に一番近い机に近づき、椅子を乱暴にどけて身をかがめ始めた。その瞬間、頭の中でひとつの予想が急速に組み上げられていった。
あの人体模型は、理科室全ての机の下を調べてまわるつもりだと確信した。
机の下を確認しては立ち上がり、次の机に向かう人体模型。その繰り返しがとても長く感じられた。
万が一見つかった時のプランも一応用意はしてある。人体模型の立ち位置の反対側から脱出し、ひたすら逃げることだ。理科室の机は固定されているから、人体模型の位置に合わせて机の周りをぐるぐる回ることもできる。足がどれくらい速いのかは全く知らないが、これならいずれ諦めてくれる可能性も高い。
机からはみ出ないように、かつ人体模型から少しでも距離を取れる位置に体を動かし、いざとなればすぐに逃げられる体勢を作る。
そのさなか、列を挟んだ隣の机の下を確認し始めたとき人体模型の冷たい両目と目が合った気がした。なんだか心臓をつかまれたような気分だ。足が勝手に震え始めてくる。
あれは誰かのイタズラだ。
そう言い聞かせても、恐怖というものに抗うことはなかなか難しかった。
息を殺してじっと身を潜めていると、人体模型はついに隣の机にまでやってきた。床をペタ、ペタとゆっくり歩く足音は聞こえるのに、立ち止まってからは一切音がしない。ただでさえ様子が見えないのに聴覚からも情報を得られないのであれば、いつ人体模型が動き出すか全くもって分からないということになる。
バクバク音を立てる心臓の音を必死に抑えようとしていると、隣の方から再び足音が聞こえ始めた。そして視界に、左右非対称の色味を帯びた2本の足がゆっくり現れ始める。それらは目の前で止まると、つま先をこちらの方に向けた。
体が極度に強ばる感覚を覚える。まるで金縛りにでもあったかのよう感覚だ。手が意思に反して小刻みに震える中、人体模型はゆっくり膝を折り始めた。
その時、廊下の方からカランという物音が聞こえてきた。人体模型は首を廊下の方にゆっくり向けるとそのまま立ち上がり、ぎこちない足取りで理科室を離れていった。
「助かっ、た?」
思わず全身の力が抜けていった。ワイシャツに触れると、冷や汗でぐっしょり濡れていることに気がついた。
『理科室の近くに人体模型がいます。気をつけてください』
チャットを送った足立はふうと息を吐いた。心臓の鼓動がはっきりと聞こえ、血流が止めどなく流れる感覚をしかと感じる。生を実感するというのはきっとこういうことなのだろう。
すると次の瞬間、何者かがドタドタと走る音が上から聞こえてきた。その足音は上の廊下、そして理科室近くの階段へと移動していく。そして理科室前の廊下を、人影らしきものが走り抜けていった。
その直後、バタン!と大きな物音がしたかと思えば、
「きゃああああ!!」
と甲高い叫び声が廊下中に響き渡った。
『今の声は誰だ!?』
『私じゃないです!』
山城と中野から送られてきたチャットを見れば、声の主は自ずと1人に絞られた。
(星守先輩……!)
返信が来ない彼女の身を案じ、唇を軽く噛んだ。
ちょうどそのとき、校歌がぶつりと鳴り止んだ。
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