第10話 消えた人体模型

「た、助かった、のか?」

「そう、みたいね」


 先輩らの会話が床に静かに落ちていく。口を開くことはできれど、体はなかなか動かなかった。

 その時、隣から「ごめんなさい」とすすり泣く声が聞こえた。


「中野、大丈夫か?」

「ごめんなさい。私の、せいで、怖い思い、させちゃって」

「誰もそんなことは言ってない。タイミングが悪かっただけだ。気にするな」


 星守から慰めの言葉をかけられると、中野の涙腺は完全に崩壊した。星守の胸を借りてひたすらに泣く中野を横目に見ながら、足立はテーブルの下から脱出した。時間としてはほんの数分であったはずなのに、背中が汗でぐっしょり濡れているのが分かった。


「人体模型の噂って、ほんとうだったのかよ」

「そのようでしたね」


 同じく、テーブルから出てきた山城に相づちを打つ。周囲にはいないと分かっていても、自然と小声になってしまう。

 少し待つと、残る2人もテーブルの下から離れた。泣きはらした中野はハンカチで顔を覆いながら、星守に支えてもらっていた。


「落ち着いたか?」


 そう尋ねると、中野は「ぐすっ、うん」と涙交じりに答えた。


「無理はしなくていいんだぞ」

「分かってるよ」


 ちょっとふてくされたみたいにハンカチ越しでじっと睨んでくる。


「でも、ありがとう」


 上目遣いで向けられたお礼を足立は素直に受け取った。

 音楽室に戻ったとき、全員のスマホに通知が入った。内容を見ると、今回もG-Studyにファイルが送られてきたようだった。『無題(1)』と記されたファイルを開くと波打った手書きの文字で、


『きょうのかくれんぼはぼくのまけ。またこんど、つづきをやろう』

と書かれていた。


「気味悪いな」

「も、もうこりごりです」


 首をふるふる振った中野をよそに、足立は送られてきたファイルをじっと見つめていた。


「かくれんぼ、か」

「足立くん? 何か気づいたのか?」

「いえ、この文面が気になっただけです。もしかすると、これを送ったのはあの人体模型かもしれませんね」


 そう言うと、星守はうんと頷いた。


「私も同じことを考えていた。これはある種の果たし状だろう」

「結構大げさな表現を使うんですね」

「そう? 少なくとも相手はやる気のようだし、私たち生徒会に対して挑戦状を突きつけたも同然だと思うわ。これに立ち向かわない限り、幽霊騒ぎは解決しない気がする」


 星守先輩が言うならそうなのだろう、と飲み込む一方で、後半の言葉については完全に同意見だった。動く人体模型の謎を解き明かし、幽霊騒ぎを引き起こす元凶を突き止める。現実的に考えれば、あの人体模型にだって何か裏があるはずだ。もし本当に幽霊の仕業なのだとしたら、その時にまた対策を考えればいい。

 とりあえず音楽室から離れることを提案し、一同は再び歩き始めた。すると誰かの足下でくしゃっという音がした。


「ひゃっ!?」


 思わず飛び上がった中野の足下にはプリントの切れ端が一枚落ちていた。それを拾い上げてスマホのライトを向けると、五線譜と歌詞のが書かれていることが分かった。


「これは、楽譜?」

「かなり古そうね」


 言われてみると、この楽譜にはたしかに古紙独特の痛みがあることに気づいた。年月を経ることでしか生み出せないような黄ばんだシミが全体を覆っている。

 そこに気づくとは、さすが聡明な会長だ。


「歌詞を見た感じ、校歌の一部でしょうか?」

「そうみてえだな……、ん? おい。裏になんか書いてないか?」


 山城にそう言われて楽譜をひっくり返すと、赤い文字で『っている』と書かれていることに気づいた。


「何かの、メモみたいだな」

「だ、誰かの落とし物、でしょうか?」

「でもここに来た時に落ちてたか?」

「うっ。そう言われると、自信ないかもです」


 山城の問いに対する自信の度合いは足立も同じだった。音楽室に来た時は正直、ラジカセを止めることで頭がいっぱいになっていた。

 もっと周りもちゃんと見とくんだったな、と唇を噛んでから、星守の方に顔を向けた。


「ひとまず、この件は来週の月曜日に話し合いませんか?」

「そうね。楽譜は私が持っておくわ」


 星守が楽譜をバッグにしまうと、改めて音楽室の出口に向かった。


「あ、そうだ。学校を出る前にひとつ行きたい場所があるのですが、いいですか?」

「いいけど、どこに行きたいんだ?」

「理科準備室です」


 そう言った瞬間、中野の顔があからさまに引きつった。


「わ、私は、ちょっと、外の空気を吸いたいというか、その」

「大丈夫。あんなことがあったから、心が持たないというのも無理はない」


 優しくそう伝えると、ぎこちなくあたふたしていた中野の表情が少しだけ和らいだ。


「そしたら、二人は先に下駄箱に向かってくれ。俺が足立と一緒に行くからよ」

「分かった。でも、無茶はしないで」


 心配する星守に「任せとけ」と親指を立てた山城は一足先に廊下へと向かった。あんな理屈では通らないような出来事が起きた後なのにもかかわらず、堂々と振る舞ってみせる先輩の後ろ姿がとても頼もしく見えた。

 1階に降りる2人を見送った後、足立は山城と共に2階の理解室に向かった。


「どうして理解準備室に行きたいなんか言い出したんだ?」

「先輩は昨日話した噂を覚えてますか? 人体模型が消えるっていう」

「ああ、覚えてるぜ。まさか、それを確認しにきたのか?」

「はい。一応、確認しておきたくて」


 理科準備室に行くと、鍵は閉まっていた。扉にはめられた窓から中を覗くと、数々の実験用具や薬品がずらりと並んでいるのが見える。しかし、その中でひときわ目を引く人体模型の姿はなかった。

 それを確認すると、2人は早足で下駄箱へと向かった。


「戻りました」


 やや遠くから告げると、下駄箱で待っていた2人がこちらに近づいてきた。


「何かあった?」

「人体模型が消えてるってことが分かった」

「そう……」


 山城からの報告を受けた星守は何やら考え込むようなそぶりを見せた。どこか思うところがあったのかだろうか?、と考えたが、結局それ以上口にすることはなかった。

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