第7話 ピアノの中に
それからというもの、足立は暇さえあればファイルに書かれていたあの一文の意味を考えるようになった。
宿題の丸付けをしている時。風呂に入っている時。登校している時。昼休み中、先生に頼まれて荷物を運んでいる時。
あらゆる隙間時間を使って考えたが、これといった解決へたどり着くことはなく、気づけば金曜日の午後に突入してしまった。次の潜入日が目前に迫る中、答えの出ない問いに対してもどかしく思っていた。
音楽室に入ると、何人かの女子たちがピアノの周りに集まっていた。高梨先生が最近流行っているアニソンのフレーズを華麗に弾いてみせると、黄色い声が湧き上がる。音楽の授業前ではもはや恒例となっている光景だ。
その後、先生が音楽準備室に入っていくと、彼女たちはピアノの鍵盤を適当に叩いて遊び始めた。お世辞にも綺麗とはいえない和音が何度も室内に響く。絶対音感の人が聞いたら発狂しそうだ。
「あれ。ここだけ音があんまり鳴らないね」
「ほんとだ。壊れてるのかな?」
「まあ古そうだもんね、このピアノ」
「でもついこの間までは出てなかった?」
音を出ない鍵盤を何度も叩くその様子を横目に見ながら、足立は少し引っかかるものを覚えた。勝手に音を奏で始めたあの件と何か関係があるのだろうか?
ただの思い過ごしな可能性も否定できないが、今はとにかく藁にもすがりたい心地だ。少しでも違和感があるなら、調べてみるに越したことはない。
そう考えたところで高梨先生が準備室から出てきた。ちょうどそのタイミングで、授業開始を知らせるチャイムが鳴った。
「はい。皆さん席についてくださーい」
先生の一声で各自、椅子に腰を下ろした。その後も話し声がちらほら聞こえる中、高梨先生は授業を進め始めた。
「では、教科書の35ページを開いてください。今日は――」
先生の言うことに従い、教科書をぺらりとめくる。ここにはヴィヴァルディの『四季』に関する内容が書かれていた。先生の話を聞きながら目を通したが、女子たちが話していたピアノの話や昨晩の出来事が脳の領域を占領してしまっているせいでいまいち頭に入ってこない。合間にあった音楽鑑賞も、集中して聞くことができなかった。
その結果、曲を聴いて感じたことを書く時間では納得のいくようなものを記述することができずに苦戦を強いられた。
(このままじゃまずい。少しでも疑問を解消させないと)
危機感を覚えた足立は授業が終わるとすぐに高梨先生を呼び止めた。
「あら、どうしたの?」
「あのピアノの鍵盤、どこか壊れたりしていますか?」
「いえ、特に覚えはないけど、どうして?」
首を傾げる高梨先生に授業前、ピアノの周りにいた女子たちの会話の内容を伝えた。
「そんなことがあったのね。ちなみに、どのあたりの音だったかは覚えてる?」
「具体的の音名までは分かりませんが、かなり高い方の音だったのはたしかです」
頭の中にうっすら蘇る鳴りの悪い音をそのまま伝えられれば良いのだが、あいにくそれを伝えられるほどの音感は持ち合わせていない。ピアノの蓋を開くと、授業前に女子たちが立っていた場所を思い出し、おそらくこのあたりだろうという場所を指さした。
「この辺りね。ちょっと確認してみようか」
高梨先生は右側の鍵盤からひとつずつ叩き始めた。するとすぐに、音量ががくっと落ちる部分にたどり着いた。
「たしかに、ソ
半ばひとりごとのように呟いた先生はピアノの屋根を開いた。たくさんの弦が張られたその部分を凝視すると、機械のような見た目をした黒い物体が目にとまった。
「何あれ。あんな取りづらいところに」
「どうしますか?」
「あんまりよくはないけど、弦の隙間を少し広げて取ってみるしかないかな。足立くん、もうすぐ次の授業始まるでしょ?」
そう言われて時計を見ると、あと一分も残されていないことに気づいた。我ながらうっかりしていたな、と反省しつつ、放課後また音楽室に来ることを伝えた。
全力で走ったおかげで授業にはなんとか間に合うことができた。普段あまり見せない立ち回りだっただけに、クラスメイトから「珍しいな」という声が相次いで飛んできた。
本日最後の授業も難なく終わり、教室の神棚に向かって一礼してからおのおの部活へと向かい始める。一方、足立はカバンとラケットを手に音楽室へと向いていた。扉を開けると、吹奏楽部の人たちに混じって楽器を手入れしている先生の姿が見えた。
近くにいた吹奏楽部の女子に高梨先生を呼んでもらうように頼む。少し待っていると、高梨先生が黒い箱のようなものを持って近づいてきた。
「足立くんよね? ちょっと時間かかっちゃったけど、なんとか取れたわ。はい、これ」
高梨先生から渡されたものをまじまじと見つめた。中指と薬指を合わせたほどの大きさしかなく、側面に小さなボタンが取り付けられている。上面だけ細かい網目模様になっており、ほんの少しホコリを被っていた。
これはまるで——。
そこまで考えた瞬間、足立の頭に稲妻が走った。突如鳴り響く不協和音と何者からか送られてきた意味深なメッセージ。二つの奇妙な謎がいま、ひとつの線でつながった。
「足立くん? どうかしたかしら」
「あ、いえ、なんでもありません。ありがとうございました。」
頭を下げてから、足立は音楽室を離れた。その手には確か自信がギュッと握られていた。
説明のつかない事象など、やはり存在しないのだ。
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