夏の始まり、夏期講習で。
うた
夏の始まり、夏期講習で。
高2の8月。
暑さが激しい夏休み真っ只中。
僕は、夏期講習を受けるために学校にやって来ていた。
別に成績が悪い訳じゃないけど、塾にも通ってないし、せっかく学校で受けれるならと思って参加した。
グラウンドからは野球部のかけ声が聞こえ、校舎の方からは吹奏楽部の演奏が聴こえてくる。
部活に入ってない僕からすると、その様子が少し羨ましく思える。
いつもは混雑している昇降口も、今日は静まり返っている。
なんだか、校舎全体がいつもと違う空気感な気がする。
--
えっと…こっちか。
指定された教室に入ると、そこには既に一人、女の子がいた。
確か、同じクラスの…山本さん。
とても大人しい子で、話したこともない。
「あ…これって席自由…?」
ノートに何かを書いている様子の山本さんに、少し緊張しつつ、僕はそう聞くと、
「…あ、うん、ここの列ならどこでもいいって…」
最前列の席を指して、そう答えた。
「そっか、ありがとう…」
そして、そんな僕の言葉に軽く会釈をすると、また視線をノートへと戻した。
2人だけの教室。
無理に話しかけるのもなと思い、静かな時間が続く。
少しして、教室の扉が開いた。
入ってきたのは、男子が2人。クラスも違うし、面識もない。
その直後、先生が入ってきた。
「じゃあそろそろ始めるよー」
--
講習は淡々と進み、あっという間に終わりを迎えた。
「じゃあ今日はここまで。黒板誰か消しておいてねー」
先生はそう言うと、教室を出て行った。
その直後、
「マジで腹減ったー」
「帰りどっか寄ろ」
男子2人は黒板に見向きもせず、教室を出ていこうとする。
声をかける間も無く、2人は廊下に出てしまった。
僕と山本さんは、その様子を見ていることしか出来なかった。
そんな当たり前のように出て行く?
完全に押し付けるつもりじゃん。
とにかく消さないと。
色んな感情が浮かんだ、その時。
「…ふふ」
目の前にいた山本さんが、こちらを振り返って笑った。
彼女の、初めて見た笑顔だった。
「ふふっ…」
その笑顔に、思わず僕も笑みがこぼれる。
「仕方ないし、私たちで消そっか」
「…だね」
2人きりの静かな教室。
黒板消しを動かす音だけが響く。
何か話した方がいいかな…
でも、何を…?
そんなことを思っていると、
「あんなすぐ出て行く?笑」
ふと、山本さんが笑いながら呟いた。
「結局真面目にする方が損するって感じ…」
ちょっと愚痴っぽく話す彼女。
山本さんでもそう思うんだ。
大人しいだけじゃないんだ。
彼女の、意外な一面を見れた気がして、少しドキドキしていた。
「ほんと。どうせやってくれるって思われてるよね」
「だよね。仕方ないからやるけど…」
自然に言葉を交わすことが出来た気がする。
それだけで、なんか嬉しかった。
--
なんとか黒板も全て消し終えて、ようやく帰ることが出来る。
カバンを肩にかけ、教室を出ようとしたその時。
「おつかれー」
背中越しに、かけられたその言葉。
思わず振り返ると、山本さんは荷物をカバンに入れているところだった。
これまで特に話したことがあった訳じゃない。
ただ、同じクラスなだけの関係。
そんな僕に、かけてくれたその言葉。
たった一言、なんて事ない挨拶だけど、なんだか胸の奥が温かくなる。
「あ、おつかれー…」
僕もそう返して、教室を出た。
変わらず部活の声や音が聞こえる。
暑さは来た時より激しくなっている気がする。
僕は、2人きりの教室での出来事を噛み締めて、帰り道を歩いた。
夏の始まり、夏期講習で。 うた @uta0310
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