第2話:紅蓮の涙
追放令嬢レイラは、夜明け直後の薄霧に包まれた大地を歩いていた。
護衛騎士アレクの足並みは乱れず、しかしその眼差しには不安が宿る。
石畳が途切れ、丘の斜面を登る小径に入ると、
朝露に濡れた緑が鮮やかに映える。
レイラのドレスは埃でくすみ、
深い悲しみがその瞳を重く沈ませている。
(私は、本当に魔女なのだろうか――)
心の奥で問いかける声が、冷たい空気に震えた。
遠くで鐘の音が聞こえた。
侯爵家の没落を告げる教会の鐘だ。
レイラは足を止め、手で頬を覆った。
温もりを失った頬には、紅い涙が一筋伝う。
――血のように濃い、紅蓮の涙。
彼女は無意識のまま手首の鎖を撫で、
悲痛な現実をかみしめる。
時折、アレクが小声で息を吐く。
「お嬢様…母上は錯乱し、侯爵家は崩壊の危機にあると聞きました」
その言葉は風に乗り、
重苦しく胸を締めつける。
レイラは何も答えず、ただ前を見つめた。
だが足元には、確かな流転と痛みだけがあった。
(だが、私には戻る場所も、守る者も、もういない)
丘を越えると視界が開け、
眼下には荒れ果てた村が広がっていた。
家々は焼け焦げ、
屋根の瓦は崩れ、黒い煙がまだ立ち上る。
貴族の別荘へ向かう、最初の足跡。
かつての友人たちが嘲笑した場所――
レイラの胸に、復讐の炎が揺らめく。
――しかし、その前に。
遠くから、儚げな鈴の音が響いてきた。
鳥の声と混じり、幻想的な調べとなる。
視線を上げると、一本だけ残る桜の木が見えた。
その下で、ひとりの老婆が杖をつき立っている。
老婆の頬にはしわが刻まれ、
深い慈悲と悲哀がにじんでいた。
「お嬢様…」
老婆はかすれた声で呼びかける。
アレクが咄嗟に剣を構えかけたが、
老婆は両手を広げ、威嚇する様子もない。
「悲しみの果てに立つ者よ――」
老婆は静かに言葉を紡いだ。
「血の涙を刻む者に、運命の扉は開かれる」
その声は風に乗り、
レイラの胸奥に深く刺さった。
一瞬、視界が揺れ、
紅い桜の花びらが舞う夢を見た気がした。
老婆はゆっくりと目を閉じ、
やがて杖を返して振り向いた。
「私はただ、導きの光を届けたまで」
言い残すと、老婆の姿は霧の彼方へと溶けた。
レイラは桜の木に近づき、
地面に残る一枚の落ち葉を拾い上げる。
その葉の縁に、見慣れぬ紋章が浮かんでいた。
(これも…家紋の一種か?)
紋章は淡く紅く光り、
レイラの指先からほのかに温かさを伝えた。
背後でアレクが息を漏らし、
おずおずと踏み出してきた。
「お嬢様、それを…森の奥へ運んでください」
レイラは頷き、
落ち葉を胸元に収める。
再び歩みを進めると、
山並みの向こうに鋭い稜線が目に入った。
絶望の森の最深部を囲む、黒い峰。
その山影は、不吉な牙のように牙を剥いている。
空は薄曇り、
雲間から零れる月光が怪しく揺れた。
(夜が来る――)
レイラは息を整え、
小さな声でつぶやいた。
「真実を知る者よ、来たれ」
すると遠くで、
空気を裂くような轟音が鳴り響いた。
――竜の咆哮。
アレクの剣が震え、
レイラの肩越しに、夜の闇が揺れ動いた。
次第に近づく、その低く唸るような声は、
二人の運命を紡ぐ序章となる――。
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