第3話「お年寄り救助大作戦」
空中移動魔法施行から一週間。私は魔法省の慌ただしい日常にもだいぶ慣れてきた。
朝のコーヒーを片手に、今日も窓の外の空中交通を眺めていると、
「つばささん、大変よ」
「どうしたんですか?」
「高齢者の方々が、高度三百メートルから降りられなくなってるの」
私は慌てて窓の外を見上げた。確かに、はるか上空に小さく人影が見える。
「え、なぜそんなに高く?」
「どうやら、お年寄りの方が空中移動魔法を使うと、若い頃の体力に戻ったような感覚になるらしいの。それで調子に乗って高く飛びすぎちゃうんですって」
その時、課長が血相を変えて現れた。
「大変だ!杉並区で七十八歳の男性が高度三百五十メートルで立ち往生している!」
「消防署は?」
文鳥山先輩が尋ねた。
「はしご車じゃ届かない。ヘリコプターは空中移動魔法の人々と接触の危険がある」
課長は額に汗を浮かべながら続けた。
「しかも一人じゃない。各地で同じような事案が多発している」
私は考えた。空中移動魔法で高く飛んだお年寄りが降りられない。でも、下から助けに行く手段がない。
「あの、課長」
「何だ、燕野君」
「私が空中移動魔法で助けに行くというのは...」
課長は首を振った。
「危険すぎる。君も慣れていないし、高度三百メートルは素人には無理だ」
その時、のぞみさんが慌てて駆け込んできた。
「課長!記者から質問攻めです!『魔法省は高齢者を見殺しにするのか』って」
「見殺しだなんて...」
課長は胃薬を取り出したが、今度は手が震えていて、うまく口に入らない。
私はその様子を見ていて、胸が痛くなった。課長は本当に国民のことを心配している。でも、どうしていいかわからないでいる。
「課長」
私は言った。
「泳ぎは得意なんです」
「は?」
課長だけでなく、文鳥山先輩ものぞみさんも、私を見た。
「泳ぎと空中移動魔法と、何の関係が...」
「水中で泳ぐ動作と、空中で移動する動作って、似てませんか?」
私は窓の外を指した。
「見てください。うまく飛んでいる人って、平泳ぎみたいな動作をしてます」
確かに、空中を安定して移動している人々は、腕を大きく動かしていた。
「それに、高度を下げるのは、潜水の要領でできるかもしれません」
課長は考え込んだ。
「しかし、危険だ」
「でも、このままじゃもっと危険です」
私は強く言った。
「お年寄りの方々の体力には限界があります。時間が経てば経つほど...」
その時、電話が鳴った。課長が受話器を取る。
「はい...そうですか...わかりました」
課長が電話を切ると、表情がさらに深刻になった。
「八十二歳の女性も高度四百メートルで立ち往生。しかも、午後から風が強くなる予報だ」
私は決意した。
「行かせてください」
「
「私、この仕事についてから、まだ何もお役に立ててません」
私は課長を見つめた。
「でも今回は、私にもできることがあるかもしれません」
課長は長い間考えていたが、やがて重いため息をついた。
「...わかった。但し、条件がある」
「はい」
「文鳥山君に地上から無線で指示をもらうこと。無理は絶対にしないこと。危険を感じたらすぐに戻ること」
「承知しました」
三十分後、私は魔法省の屋上にいた。
空中移動魔法を本格的に使うのは初めてだった。「移動したい」と強く思うと、足が地面から離れる。
最初はふらついたが、確かに泳ぐような動作で安定する。
「つばささん、聞こえる?」
文鳥山先輩の声が無線から聞こえてきた。
「はい、聞こえます」
「まずは高度五十メートルまで上がって、様子を見て」
私は深呼吸して、ゆっくりと上昇した。
高度五十メートルから見る東京は、いつもと違って見えた。人々が空中を移動している光景は、まるで空想の世界のようだった。
「大丈夫よ、つばささん」
文鳥山先輩の声が、心強い。
「杉並区の男性の位置、確認できる?」
私は目を凝らした。遠くに、一人でぽつんと浮いている人影が見える。
「見えます」
「ゆっくりと近づいて。急激な動作は禁物よ」
私は平泳ぎのように腕を動かしながら、高度を上げていった。
高度百メートル。風が強くなってきた。
高度二百メートル。空気が薄く感じる。
高度三百メートル。ついに、立ち往生している男性に近づいた。
「あの、大丈夫ですか?」
男性は振り返った。疲れ切った顔をしていたが、私を見て安堵の表情を浮かべた。
「ああ、助けに来てくれたのですか」
「魔法省の燕野です。一緒に下りましょう」
「でも、どうやって下りればいいのか...」
男性は困惑している。
「私と一緒に、ゆっくりと下降しましょう。泳ぐように、腕を下向きに動かすんです」
私は実演してみせた。
「こうですか?」
男性がぎこちなく腕を動かす。少しずつ、高度が下がり始めた。
「そうです!その調子です」
私たちは並んで、ゆっくりと下降していった。
「つばささん、いい感じよ」
文鳥山先輩の声が励ましてくれる。
「あと二百メートル」
高度二百メートル。
「あと百メートル」
高度百メートル。
「あと五十メートル」
高度五十メートル。
「もう少し」
そして、ついに地上に到着した。
男性はふらつきながらも、しっかりと立った。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
「お疲れさまでした」
私も安堵した。でも、まだ終わりではない。
「つばささん」
文鳥山先輩の声。
「お疲れさま。でも、まだ三人立ち往生してるの」
私は空を見上げた。確かに、まだ高い場所に人影が見える。
「行きます」
一時間後、私は四人目の救助を終えて、魔法省に戻った。
オフィスでは、課長をはじめ、のぞみさんも文鳥山先輩も、総出で迎えてくれた。
「お疲れさまでした」
課長が深々と頭を下げた。
「いえ、私にできることをしただけです」
「君がいなければ、大変なことになっていた」
のぞみさんも駆け寄ってきた。
「記者会見で、魔法省職員の献身的な救助活動として報告させていただきます」
「そんな大げさな...」
私は照れた。
「でも、根本的な解決にはなってませんよね」
文鳥山先輩がせんべいをかじりながら言った。
「そうね。今日も新たに二件、高高度立ち往生の報告があるわ」
課長が胃薬を口に放り込む。
「高度制限の法改正を検討するしかないかもしれん」
「でも」
私は言った。
「お年寄りの方々にとって、空中移動魔法は楽しみでもあるんです。さっき救助した方が『久しぶりに若返った気分だった』っておっしゃっていました」
「確かに」
課長は考え込んだ。
「全面的に制限するのは忍びないな」
その時、のぞみさんが手を挙げた。
「高齢者向けの空中移動魔法教室を開催するというのはどうでしょう?」
「教室?」
「はい。安全な高度制限と、緊急時の対処法をお教えする」
私は目を輝かせた。
「それ、いいアイデアです!」
課長も頷いた。
「各地の公民館と連携すれば可能だ」
文鳥山先輩が新しい情報を持ってきた。
「タイミングがいいわね。厚生労働省から、高齢者の魔法適用について相談があったの」
「今度は連携が取れそうですね」
私は窓の外を見た。夕日に照らされた空中を、人々が静かに移動している。その中に、いつものツバメも飛んでいた。
今日、私は初めて本当に魔法省の役に立てたような気がした。
そして、課長の部下への愛情も感じることができた。
「燕野君」
課長が声をかけてくれた。
「君のような職員がいてくれて、本当に心強い」
「ありがとうございます」
私は答えた。もしかしたら、ここが私の居場所なのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は明日の準備を始めた。
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次回:第4話「三ヶ月の終わり、新たな始まり」
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