それでも魔法は可決される~渡れぬツバメと魔法の炎上省~
鳥見静
第1章「新人ツバメ、炎上省に着陸す」
第1話「魔法で空を飛ぶ日」
桜の花びらが舞い散る四月の朝、私は霞が関の重厚な石造りの建物を見上げていた。
「魔法省」
正面玄関の金色のプレートが朝日を反射して、まぶしく光っている。
私の名前は
本当は文部科学省で働きたかった。教育一家に育った私の夢は、政策の面から教育現場を支えることだった。でも人事の配属は非情で、気がつけば「魔法省」という聞いたこともない省庁に配属されていた。
重い扉を押し開けると、古い建物特有のかすかな木の匂いが鼻をくすぐる。受付で来庁者証をもらい、エレベーターで四階へ向かった。
「燕野さんですね。お疲れさまです」
緊急対策課のオフィスで出迎えてくれたのは、三十代半ばと思われる男性だった。鋭い目つきだが、どこか疲れた印象がある。
「課長の
「こちらこそ、よろしくお願いします」
鷹山課長は私を窓際の机に案内してくれた。大きな窓からは霞が関の官庁街が一望できる。
「あの、課長」
私は恐る恐る尋ねた。
「魔法省って、具体的には何をするんでしょうか」
課長は一瞬、困ったような表情を見せた。
「そうですね...簡単に言うと、国会で可決された魔法関連法案を実施して、その副作用や問題に対処するのが我々の仕事です」
「副作用、ですか?」
「ええ。議員の先生方は国を良くしようと素晴らしい魔法を考えてくださるんですが、現実に実施してみると...まあ、色々と」
課長はそこまで言って、デスクの引き出しから小さな白い錠剤を取り出した。胃薬だった。
「あの、課長、窓の外で人が飛んでるんですけど...」
私は目を疑った。霞が関の空に、背広姿の男性が浮かんでいる。それも一人や二人ではない。あちこちで人々が空中を移動している。
「ああ、今日は『空中移動魔法』の初日だからな」
課長は胃薬を口に放り込みながら、まるで日常茶飯事のように答えた。
「え?」
「昨日の夜中に緊急採決されたんだ。熊田議員が『満員電車解消』って...」
その時、オフィスの電話が一斉に鳴り始めた。
「はい、魔法省緊急対策課です」
課長が受話器を取る。
「はい...はい...高度三百メートルで立ち往生ですか...はい、消防署との連携を...」
私はまだ状況を飲み込めずにいた。魔法制度があることは知っていたけれど、まさかこんなに急に、こんなに大規模に実施されるなんて。昨夜は引っ越しの片付けで疲れて早く寝てしまい、緊急採決のニュースを見逃していた。
「燕野さん」
振り返ると、同じくらいの年齢の女性が立っていた。美しい声だった。
「広報課の
「あ、こちらこそ」
のぞみさんは
「すみません、記者会見の準備があって。空中移動魔法の説明をしなくちゃ」
「記者会見も空中で?」
「そうなんです。記者さんたちも浮いちゃってるから、屋上に会場を設営したんですけど...」
のぞみさんは困ったような笑顔を浮かべた。
「でも記者さんたち、うまく飛べなくて。質問する前に天井にぶつかっちゃって」
私の常識が音を立てて崩れていく。
「燕野さん」
今度は小柄で白髪の混じった女性が現れた。何かお菓子を食べながら話している。
「情報収集課の
「よろしくお願いします」
「今朝の情報だと、お年寄りが高く飛びすぎて降りられないケースが多発してるのよ。あと、ペットも一緒に浮いちゃってる」
文鳥山さんはせんべいをかじりながら、まるで天気予報でも報告するように言った。
「ペットも?」
「『国民の所有物』って解釈されちゃったみたい。犬や猫が空中でパニックになってるって」
私は窓の外を見た。確かに、空中に浮かぶ人の中に、抱えられた犬が見える。犬は明らかに困惑していた。
電話のベルがまた鳴った。今度は複数同時に。
「燕野さん」
課長が振り返る。
「申し訳ないが、いきなり実戦だ。国土交通省から苦情の電話が来てる。航空管制が麻痺状態らしい」
「え、でも私、まだ何も...」
「大丈夫、とりあえず話を聞いて、『対策を検討します』って答えてくれ」
受話器を押し付けられた。
「あ、あの、魔法省緊急対策課の燕野です」
「こちら国土交通省航空局だ!いったいどうなってるんだ!羽田空港の上空に人がうようよいるじゃないか!」
受話器の向こうから怒鳴り声が聞こえてくる。
「あ、あの、対策を検討し...」
「検討してる場合か!今すぐ何とかしろ!管制官が過労で倒れそうだぞ!」
私は慌てて課長を見た。課長は別の電話で消防署と話している。
「あの、申し訳ございません。至急、対策を...」
その時、窓の外で大きな音がした。見ると、空中を移動していた二人が正面衝突していた。
私は受話器を握りしめながら思った。
なんだ、この職場。
でも、なぜだろう。課長の疲れた表情にも、のぞみさんの慌ただしさにも、文鳥山さんの達観したような態度にも、どこか愛おしさを感じている自分がいた。
みんな、困った状況なのに、必死に対応しようとしている。誰も悪くないのに、なぜか大変なことになっている。
「燕野さん、お疲れさま」
電話を切った課長が声をかけてくれた。
「国土交通省の件は、午後から合同会議で対応策を話し合います。文部科学省志望だったそうですね」
「はい...」
「最初は戸惑うと思いますが、この仕事も国民のためになる大切な仕事です。一緒に頑張りましょう」
課長の言葉に、少しだけ心が軽くなった。
窓の外では、まだ人々が空中を舞っている。その中に、小さなツバメが一羽、
我が家の苗字の由来でもある鳥。ツバメは長い旅をして、必ず帰ってくる鳥だと父が教えてくれた。
もしかしたら、私もここで何かを見つけられるかもしれない。
そんなことを考えながら、私は次に鳴った電話の受話器を取った。
「はい、魔法省緊急対策課、燕野です」
今日から、私の魔法省での日々が始まった。
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次回:第2話「広報炎上、記者も空中戦」
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