第14話

「あの、ありがとうございました」


 取り残された乃亜は、羽川にひとまず礼を言った。

「私がいう義理は無いですが……こんな仕事はすぐにやめた方がいい」

 羽川は膝をついて道具を纏めながら話した。

「ひとまず寝室は封印しましたが、この604号室には得体の知れない邪気が漂っている。あなたもどうなるかわかりませんよ。今なら、まだ逃げられます」

 羽川は冷たい目で乃亜を見上げた。


「辞められないんです! 絶対にお金を稼がなきゃ!」

 乃亜は自分に言い聞かせるように大声で答えた。

「あなたは、非常に分の悪い賭けをしています。あの男も、都合良く使い捨てるつもりですよ」

「それでも、私はお金がいるんです! 大丈夫ですよ、何とかなりますって!」

 地震たっぷりな乃亜を、羽川は呆れた目で見つめた。


「……ん?」

 羽川は、右の耳を乃亜に近付けた。

「な、なんですか?」

「……あなたから不思議な音が聞こえます」

「音……?」

 羽川は目をつぶった。


「……風が吹いている。とても強い風が……。いや、これは……声?」

 羽川は目を閉じたまま、眉根に皺を寄せた。頬を汗が流れ落ちる。

 羽川はよろめいて、廊下の壁に手をついた。


「大丈夫ですか!?」

 乃亜が倒れそうになる羽川に近寄った。

「だ、大丈夫です」

 羽川は乃亜を避けるように距離を取った。


「何が聞こえたんですか?」

「……わかりません。私も聞いたことのない音です」

「え……? それって特別って事ですか?」

 乃亜は能天気に言った。

「特別ですね。悪い意味で」

「えっ……」

 乃亜は顔が強張った。

「ど、どうしたらいいんですか?」

「不吉な予感がしますが……現時点で問題が無いなら、とりあえず様子見ですかね。おっと、時間なのでこれで失礼します」


 問題が無い事は無いんだけどと、思いながら羽川を玄関まで見送った。外の熱気がドアの隙間から流れ込む。

「あの、暑くありませんか? その帽子」

「暑いですよ。でも、被っている方が落ち着くので。それでは」

 玄関のドアがガチャリと閉まった。



「帰ったのかよ、芳一のやつ」

 背後から怜司の声が聞こえた。

「芳一さん? 羽川さんの下の名前ですか?」

「ちげーよ。あいつさ、なんでずっと帽子かぶってるか知ってるか?」

 怜司は悪戯っぽく笑う。

「……いえ? 初対面なのにわかるわけないじゃないですか」


「耳が無いんだってよ。両方とも。だから、うちの会社の奴からは『耳なし芳一』の芳一って呼ばれてる、

 怜司は耳に手を当ててひらひらと動かした。


「えっ。それじゃあの帽子って……」

「理解した? そう、耳が無いのを隠してんの」

「どうしてそんな事に……」

「さあな。でも、霊能者だって言ったろ?」

「はい」

「あっちの世界では、下手打つと腕の一本や二本持ってかれるのも珍しいことじゃ無い。あいつも何かヘマしたんだろうさ」

 怜司は両腕を上げて身体を伸ばした。


「あ、でも悪いことばかりじゃなかったみたいだぜ? 耳が無くなってから、幽霊の声が聞こえるようになったらしいからな。今の仕事にも役立ってるみたいだし、結果的には良かったんじゃね?」

 怜司は意地悪く笑った。


「その言い方はちょっと酷いんじゃないですか? さっきも、ちょっと嫌な雰囲気になってましたけど。羽川さんと仲悪いんですか?」

「いや? 別に悪くねえよ。何度も仕事頼んでるしな。俺に取っちゃ、ただのビジネスパートナーだ。でもな、あいつがうちの社長を気に入らねぇらしくて、良く突っかかってくるんだよ」


 怜司は寝室まで引き返すと、封印されたドアを確認した。

「ま、腕は確かだよ。並の霊なら、中から出てこられないだろうさ」

「本当に大丈夫ですか?」

「ああ。大丈夫だって」

 不安そうな乃亜の背中を叩いた。

「ドアをコンクリートで埋めてくれれば良いのに……」

「それは出来ねぇよ。オーナーは、部屋の間取りは変えるなと言っている。……そういや乃亜、男の霊は何か言ってなかったか?」

 乃亜は少し考えた。


「ほとんど意味のある言葉は聞き取れなかったけど、間違いなく『帰れ』って言ってました」

「……ふぅん。なら、お前を追い出すために脅しをかけてたってところか」

「多分、そうだと思います。私が部屋に入ってきたのが嫌だったんですかね?」

「全く、テメェの持ち家じゃねえってのに。勝手に死んでおいて図々しい奴だな……」

 怜司は腕を組んで、しばらくドアを眺めた。

「まあ良い。それじゃあ、今夜もよろしくな。俺は帰るぜ」


「待ってください!」

 乃亜は怜司の腕を掴んだ。

「なに? 一緒にいて欲しいって言われても無理だけど?」

「そうじゃなくて! よくよく考えたんですけど、幽霊も見つけたし、封印出来たんだから、もう私がいる必要無いんじゃないですか?」

「……まあ良いじゃん、何も起きなかったら起きなかったで。強いて言えば、経過観察ってとこだよ。問題を見つけました、対策をしました。でも、結果を見なきゃ、効果があるかどうかわからないだろ?」

「でも……」

 言われてみるとそうかもしれないが。


「そうだ、ベッドが無いです。寝室の中だし。どこで寝ればいいんですか!」

「ああ、そっか。先にベッド出しておけば良かったな。とりあえず、和室の収納に敷布団があるから、それで寝たら?」

「和室で……ですか? 隣が例の寝室なのが気になるんですが……」

 乃亜はドアに貼られた札を見つめた。

「寝室側の壁から離れて寝れば良いだろ? クローゼットは、和室と反対側の壁だから、気にしなけりゃ大丈夫だよ」



 怜司が帰った後、乃亜はもう一度部屋を掃除して、人心地ついた。気のせいかもしれないが、部屋の空気が少し軽くなった気がする。

 それにしても、とリビングのドアを開け、廊下を覗いた。寝室のドアに札がびっしりと貼られ、異様な雰囲気を放っている。

 幽霊はしっかり封印してくれたのかもしれないけど、この光景自体がホラーだよ。


 しかし、札は剥がれる様子が無い。羽川は、きっちり仕事をしてくれたのだろう。自分の心配もしてくれたし、案外良い人なのかも知れない。



 ピンポン、と1階の玄関の呼び出し音が鳴った。インターホンのカメラを覗くが、誰もいない。ごおお、と言う風の音がインターホン越しに聞こえた。待っても、カメラに何も映る様子も無い。誰かが部屋番号を押し間違えたのだろうか? 初日にも同じ事があったような……。


 しかし、気にしても仕方ないか、と乃亜はジャージ姿で外へ出た。エレベーターホールへ行くと、ちょうど止まったエレベーターから降りたばかりの老人とすれ違った。

 すれ違う刹那、違和感を感じたが、エレベーターのドアが閉まる前に滑り込んだ。エレベーターの小さな窓から歩み去る老人が見える。その背中に黒い何かが纏わりついていたが、エレベーターが下に降りてすぐに見えなくなった。



 乃亜は、ファミレスでハンバーグとカットステーキとスパゲティの大盛を平らげ、夜9時前まで粘った。大丈夫と言われても、なるべくマンションに居たくない。しかし、あっという間に時間が過ぎ、仕方なくマンションに戻った。


 おそるおそる中に入ったが、部屋の中は、出かける前と変わらなかった。つまり、何も起こっていない。安心して風呂に入ると、昨晩ほとんど寝ていないせいで、眠気が襲って来た。

 今日は疲れた。早く寝てしまおう。和室のクローゼット布団を引っ張り出すと、問題の寝室から一番離れた反対側の壁に沿って布団を敷き、横たわった。


 目覚ましのアラームをセットしようとスマホを見ると、沙羅からメッセージが入っていた。何かあったのかと眠い目でスマホを見る。


 『この漫画、結構面白い。続き借りて来て』


 乃亜はスマホを投げて目をつぶった。間も無く、乃亜は眠りに落ちた。


 この日も乃亜は夢を見た。

 どこかの洋室で、斧を持った男に襲われる夢だ。乃亜は逃げ回ったが、最後は逃げ場を失って追い詰められた。

 男は斧を振り上げる。剥き出しにしにした並びの悪い歯と、血走った目が眼前に迫った。男が斧を振り下ろした瞬間、夢は終わった。

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