致死率100%の事故物件に住んでみた
日原夏至
第0話
赤い月が山の上に輝く夜だった。
乃亜は、暗い山道を大人と手を繋いで歩いていた。
草履の上からも、舗装されていない道だとわかる。歩き慣れない草履の鼻緒が足に食い込んで痛い。
夕方に大好きな黄色の浴衣を着たのは嬉しかったが、今となってはTシャツと短パン、スニーカーで来れば良かったと後悔している。
「ねぇ、どこまで行くの?」
握った手の方にそう言っても、答えは返ってこない。仕方なく黙って歩き続けた。遠くから祭囃子が聞こえてくる。
頭の上には、大きな赤い月が浮かんでいた。空気が澄んでいるせいか、クレーターまではっきり見える。何か病気の生き物の肌のように思えた。
お祭りに行くはずだったんだけどなあ。綿あめと焼きそばを食べて、その後はリンゴ飴にチョコバナナも食べたい……。そんな事を頭で思っていても、とても口に出せない。子供ながら、そんな空気を感じていた。
自分の手は、汗ばんでいる。しかし、左手で繋いだ隣を歩く者の手には、全く熱を感じなかった。
温かくない。かと言って冷たくもない。人形の手を握っているのではないかと思えてくる。
変だな。まるでお母さんじゃないみたい。
「……もうすぐよ」
無感情にそう言うと、乃亜の手を引く女は歩みを早めた。赤いスカートが揺れる。
「ちょ、ちょっと待って!」
乃亜は、転びそうになりながらも必死に着いていく。
息が苦しい。はぁ、はぁと自分の呼吸が聞こえる。眼の前に何かが見える。それは、岩に囲まれた真っ暗な穴だった。
目を凝らすと、乃亜の身長より高い位置に縄が張ってあり、その縄には一定の間隔で白い紙がぶら下がっている。
大きな穴が、乃亜を飲み込もうとしている。……そうだ、ここはおばあちゃんから聞いた裏山の洞窟だ。でも、確か入っちゃいけないって言われてたけど……。乃亜の心配をよそに、女はどんどん歩いていく。2人は洞窟に足を踏み入れていた。振り返ると、丸い入り口の外に赤い月が見える。とても厭な予感がした。
歩いていると懐中電灯の光が揺れて、洞窟のごつごつした地面が照らし出された。
「……怖いよ。早くかえろ?」
乃亜は耐えきれずにそう言ったが、女は歩みを止める様子はない。
「駄目よ。もう少しなんだから我慢なさい。今日は大事な日なんだから」
「”だいじなひ”って?」
「あなたの7つの誕生日だから……。ウツロ様にお参りしなくちゃ」
「ウツロ様……?」
気味の悪い響きだった。
「何それ? お化け?」
「神様よ……会えばわかるわ」
何を言っているのだろう? しかし、考える隙もなく、女は歩みを進める。強く握られていた手が、次第に離れそうになる。
「お母さん! 待って!」
こんな所に置いて行かれては大変だ。乃亜は必死で女の腕に縋りついた。ゆっくりと、なだらかな坂道を下って行く。
どのぐらい歩いただろう。なんだか変だ。
いくら子供の歩みが遅いとはいえ、この洞穴はそんなに広いのだろうか。既にかなりの距離を歩いている。その時、生暖かい風が耳を撫でた。奥に向かって風が吹いているらしい。びょお、お、お、と気味の悪い音が聞こえる。乃亜はその音が、動物か何かの唸り声のように感じて来た。
「お母さん、まだ着かないの!?」
そろそろ限界だった。すぐにでも祖母の家に帰りたい。
「もうすぐ、もうすぐよ」
女は相変わらずそう答える。次の瞬間、懐中電灯が明滅した。一瞬視界が闇に閉ざされたその時、ヒヤリとした何かが乃亜の足首に触れ、乃亜は転倒した。
「ひゃっ!?」
すぐに起き上がると、懐中電灯の灯りを頼りに女に縋り付いた。女の表情は見えない。
「どうしたの?」
女は抑揚の無い声で言った。
「何か……何かが足に当たった!」
乃亜が足首を押さえながら訴える。
「石にでもつまづいたんじゃ無いの?」
「そんなんじゃ無いよ! 何か柔らかい……生き物のに当たったんだよ! ううん、掴まれたの! たくさんの指で……」
そう言って乃亜はハッとなった。
「やだやだやだ! 怖いよう!」
必死で女に縋り付く。
女は、周囲に懐中電灯を向けるが、何も見当たらない。
「何もないわよ。勘違いじゃない?」
「そんな事ないよ!」
乃亜は抗議したが女は取り合わずに歩き出した。
「……早く行きましょう。もう少しで着くわ」
2人の周りを、人間の唸り声のような音を立てて風が吹き荒れる。周囲を、何者かに囲まれているような気配がした。懐中電灯が明滅する。一瞬、大勢の人影が見えたような気がした。
「こ、怖いよ! もう帰ろうって、ねえ!」
乃亜は涙が出てきた。しかし、そんな乃亜の手を引っ張るように、女はどんどん先に進んで行く。懐中電灯は調子が悪いのか、もう光ってるより消えている時間が長くなってきた。
「暗いよ、怖い! 明るくして!」
点滅する光の中で、右横に一瞬人影が見えた。おーい、と声が聞こえた瞬間、懐中電灯の光が点滅した。眩しい光の中で、人間の頭が照らし出された。
「きゃあああ!」
乃亜は大きな悲鳴を上げた。
人影に驚いただけでは無い。その人の顔は、顔の右半分が潰れ、肉が剥き出しになっていた。
乃亜は女の手を引いて走った。息が切れて、走れなくなるまで。懐中電灯は相変わらず明滅を繰り返している。
「そんなに驚かなくていいじゃ無い。さっきのは田中のおじさんよ」
女は、穏やかにそう言った。
田中のおじさん。前に遊んでもらったことがある。最近は会ってないけど、名前を聞いた気が……。
そうだ、おばあちゃんが近所の人と話していたんだ。車に乗っている時に、大型トラックと衝突して……死んだって。
おーい、と背後から声がする。それは、乃亜が知っている陽気な中年の声と同一人物とは思えない、獣のような声だった。
「お、お化け!」
乃亜は女の手を引いて逃げた。女が落とした懐中電灯を拾い上げ、全力で駆ける。
奥に進むにつれ、風が強くなってきた。腐った魚のような匂いが鼻をついた。懐中電灯の光が揺れながら周囲を照らす。いつの間にか、2人の周りを大勢の人影が囲んでいた。
ある者は顔中に蛆が湧き、ある者は首が180度下にねじれている。また、ある者は胸に包丁が突き刺さり、ある者は首が無かった。生きている人間は、誰一人いなかった。
乃亜は走った。いつの間にか草履は脱げていたが、構わず走り続けた。涙と鼻水を流しながら、それでも女の手は離さないように走った。風がどんどん強くなって来る。
風に背中を押されながら、乃亜は走り続けた。
どれだけ走っただろう。目の前に、大きな赤い門が見えて来た。門には、両開きの扉が付いていて、その中央にはお札が貼ってあった。乃亜は扉に手を掛けたが、全く動かなかった。
「早く開けなさい!」
女が乃亜に命令するように言った。
「でも、開かないよ! 私じゃなくて、お母さんが開ければいいじゃない!」
乃亜は腹が立った。なぜ子供の自分に開けさせようとするのか。
「札を破るのよ! 奴らが来るわ!」
振り向くと、大量の亡者がこちらに迫って来ていた。
「それを破いて! 早く!」
女が強い口調で言った。
「う、うん!」
乃亜は小さな指でお札を破り、剥がした。真ん中から奥へ勢いよく開き、強い風と共に乃亜は転がるように扉を抜けた。
扉を抜けると、急に静かになった。風が止み、さっきまであれだけ騒いでいた亡者達の声も聞こえない。しかし、亡者が追ってこないとも思えないので、乃亜は足を止めなかった。
「きゃっ!?」
突然、何か柔らかいものに頭からぶつかり、乃亜は跳ね返されて尻餅をついた。乃亜は反射的に懐中電灯の灯りを向けた。それは、人間だった。
「乃亜……?」
その人物は、乃亜の名前を呼んだ。
顔を照らすと、長い髪の、やつれた女の姿が浮かんだ。
「えっ!? お母さん?」
見間違えるはずがない。乃亜の母の涼子だった。
「来てしまったのね……」
涼子は悲しそうに目を伏せた。
「え?どういうこと? お母さんが2人!?」
乃亜が一緒に歩いてきた女に懐中電灯を向ける。それは、涼子では無かった。
ふふ、と女は笑った。
「はは、あははははは!」
女の声は徐々に大きくなった。
「これでウツロ様と繋がったわね! あははははは!」
女は身を捩りながら笑い続けた。完全に正気を失っていた。懐中電灯が明滅している。闇の奥に巨大な顔が浮かび上がり、電灯は消えた。
「契約、成立だ」
地響きのような声が洞窟に響いた後、暗闇の中、女の狂ったような笑い声が響いていた。
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