第5話 ごくさいしき〜 Neon

ウヌがもう長くない――。


ならば、ファヨンが追い詰められたのは、まさにその事態だ。


だから、ハユンを――死にかかったウヌの血を継がせるためだけに、迎え入れようというのか?


何のために?

そうまでしても、鬼族の血が必要だというのか?

それとも、俺が後継者に名を連ねるのを阻むために?


どうやって?

どんな強引な手を使って?


目の前に立ちふさがるファヨンという存在。

その全てが、極彩色をした、おぞましい映像となってチカチカと瞬いた。

頬筋に直接震えがくるほどの怒りと殺意が、わたしに宿った瞬間だった。


(殺してやりたい)


これまでは、それを知らずにいた。

いや、心の底に、その火種をぎゅうぎゅうと押し込めていた。

その表面を『恐れ』というセメントで、塗り固めていたのだ。

ファヨンを恐れているのではない。


『そのうち本当に殺されちゃうかもよ』


ハユンがそうわたしに忠告したように、叩きのめされ、地面に這いつくばったまま、永遠に起き上がれなくなってしまう事への恐怖だ。


何をされても、わたしは生きていたかった。

だからわたしは、振り下ろされる木刀の先を目で追いながら、ただ、ただ、願った。

どうか、明日がもう一度わたしのもとに訪れますように、と。


ハユンの蕾のようなくちびる、

それがほんの少し綻びたときにチラリと覗く鋭い八重歯。


その、世界で一番可愛らしく、愛おしい口元を頭に描きながら。


◇◇◇


酒のせいなのか、はたまた熱のせいか。

顔だけが異常なまでに火照る。


しかしそれに相反するように、ありったけの布団や衣類を集め、蓑虫いもむしのようにからだに巻き付つけてみても、悪寒が収まる気配は一向にやってこない。


夜風が、ヒュルヒュルと鳴き声をあげながら吹きすさぶ。

林の木々が、からだ同士を擦り付け合い、ザー、ザー、という音を奏でる。

何処かの閉め損ねた扉が、バタン、バタンという打音を一定の速度で繰り返す。


五月蝿い。

なんて五月蝿いんだ……。


以前はほとんど気にならなかった小さな物音が、わたしの眠りを邪魔する。

それは、もう気のせいではすまされないほどに、日増しに酷くなっていた。

浅い眠りは、わたしを奇妙な夢の世界へと誘う。



『あの青年だな? ソンジュが死ぬまで執着したというのは。

手の外側に黒子があった』


『ああ、そうだ。

おばあが昔、わしとソンジュに聞かせた、つまらんガセのおかげでな。

わしはともかく、ソンジュはまだほんのガキだったから、本気にしたのさ。

その話をおばあがする度、怖がってぶるぶる震えてたのを今でもよく覚えてるぞ。

――しかしなあ、不思議でならねえよ。おばあは一体どこで見てるんだい? 立派な盲のくせに』


『……』


『おっと――そうだ、思い出した。

……ってことは、あそこで狂い咲く桜の話も完全な贋だろう?』


『贋などではないわ。

おまえはそんなだから、ひとまわりも年が下のソンジュに扱き使われる羽目になったのじゃ』


『いいんだ、それは。ソンジュは子供の頃から、恐ろしいほど頭の切れるやつだったし、あいつにはわしに無いものがあった。

持て余すほどの、野心というやつがな。

だから婿養子として商いを継ぎ、ここまで大きくできた。

おかげで腰巾着のわしは、それなりにイイ目を見た』


『デソン。 悪いことは言わん、用心しろよ』


『やめてくれよ――あいつはもうじき17になる。

どっからどう見たって気の優しい、普通の若僧じゃねぇか』


『おまえ、泣いてるのか?』


『――わしには優臣が不憫でならねぇんだ。

わしがソンジュの戯言たわごとに乗せられ、あいつを見つけさえしなければ、訳もなく殴られ続ける毎日よりはまだマシな子供時代を送れたはずだ、そうだろう?

――それでもあいつは成長した。

もうじきに此処を出ても、立派ににやっていけるだろう。

なにもかもがこれからなんだ、なのに。

もしもおばあの話が真実ならば、救いがなさすぎるじゃねぇか』



眠りを邪魔する雑音に覆いかぶさるようにして、耳の一番奥深い場所で、二人の会話が、ぼそぼそと籠ったような音をたてる。


朦朧とした意識の中で、その幻聴はわたしの疲れを倍増させた。


『あいつが青鬼の末裔だなんて』


飽きれた話だ ー やっていられない。

今更、たち消えたはずの出鱈目でたらめを蒸し返すとは…。


夢、という物はいつだって展開が意味不明で馬鹿馬鹿しいものばかりだ。


しかしわたしはわたしで、その馬鹿馬鹿しい夢を夢と自覚しながらも、その中で交わされるふたりの会話にこうして聞き耳をたてている。



『デソン。 まったく、おまえという奴は何を聞いておったのだ? 

末裔などではない、あれは……』


『王だ』


◇◇◇


『目覚めよ』


どこかで声とも言えないような、わたしを呼ぶ音がした。

それは人が判別できる周波数を遥か超えてわたしの耳に届く。

蝸牛を突くキーン、という不快音と入り交じり、脳内を細かく揺さぶる。


『王よ』

『目覚めよ――』


米神から首筋、背骨を伝い下肢へと向かって、舌が這うような感覚を伴い、ずるずると降りてゆく。


「ああっ」


堪え難いくらいの恍惚感に、わたしは軽く声を漏らした。


『目覚めよ、優臣』

『……よ、優臣』

『……優臣』




「優臣!」


それは突如、聞き慣れた声に変わった。

しかし、すぐさまゴォー……という唸り声をあげて轟く音にかき消されてしまう。


ハユン――?!


叫び出しそうくらいの激しい胸騒ぎに飛び起きると、思いのほか、それまでが嘘のようにからだが軽い。


そのまま小さな格子窓に駆け寄ると、外で火の手があがっているのが見えた。


あれは、……まさか


盛んに燃えているのは、ハユンの住む家の方角だった。

こうしてはいられないと、すぐさま扉の方へと振り向く。

その時、壁に映った自分の影の輪郭線を見て、わたしはふたたび驚愕した。


頭頂部を触ると、あるはずのない異形の証が、確かにそこにある。


それは、今まで聞いていた会話が、夢などではなかったことを示す。

しかし、それに気をとられてる間はない。


――行かなくては!



次の瞬間、不思議な感覚がわたしを襲った。


目の前にある、薄っぺらい影がムクムクと量感を持つ「わたし」へと変化へんげする。


入れ替わるようにして影となったわたしは重力を失い、そのまますう、と昇って行く。


そして、いつの間にか、月と同じ位置から世界を見下ろしている。


「わたし」――優臣が、黄金色に燃え盛る火の帯に向かって、凄まじい勢いで走って行くのが見えた。


[つづく]

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