第37話 妹の“ありがとう”に胸を打たれ、先生にあいつの真実を告げた日


 修学旅行が終わって翌日の土曜日。俺はまた月森家の柚葉の部屋にいた。

 テーブルの上にはノートやスマホが散乱し、素人探偵ごっこの残骸が広がっている。


「今日の直哉には“取扱い注意”ってシール貼っとこか」


「壊れかけって意味か?」


「壊れかけだけど、重要って書いといてあげる」


「優しさの出し方がずるいなお前は……」


 軽口を叩きながらも、柚葉の顔には疲れがにじんでいた。俺も同じだ。修学旅行が終わって翌日、もう十日しか残されていない。


「……進捗、あったか?」


「ゼロ。直接、神崎の周りに聞き込みもしたけど手応えなし」


「そうか……」


 結局、決定打は何一つ得られないまま時間だけが削られていく。焦りが胸の奥で膨らむ。


 俺や柚葉も


「……もう、美咲さんや雪村先生に賭けるしかないかもね」


「確かにそれしかないな」


 二十日間でやれるだけの事はやった。

 そして得た情報は雪村先生が味方になってくれるそうだという事と、美咲が神崎に関する事、決定的な証拠で動いてくれそうだという事。


 後者は、橋で出会った故の偶然だ。

 だが、そこからは、俺なりの覚悟は美咲に見せて、その結果、美咲も神崎を潰す拠を手に入れようと動いてくれた。


 そして、雪村先生とは昨日、修学旅行から帰るや早々、詩乃や神崎の事で話したい事がある旨を告げた。


 さすがに帰って早々という訳にはいかず、今日、雪村先生と話し合う事となった。


 ……そろそろ先生と話し合う時間だ。

 俺は立ち上がった。


「……何も変わらずタイムリミットまでに終わるんじゃないかと、怖いけどさ。黙ってたら詩乃は一人で全部背負う。俺はそれだけは絶対にさせたくない」


 そう言いながら、玄関に向かう背中へ、柚葉の声が追いかけてくる。


「あのさ……改めて言うのも何だけど、ホントに直哉には感謝してるんだ」


「どうした、急に?」


 彼女は静かに話し始めた。


「お姉ちゃん、あいつと付き合ってから……家でも元気なくなっていったんだ。

 帰ってきても、ただ部屋にこもって。夕飯のときも、うつむいたまま箸を動かしてるだけ」


 柚葉は、ゆっくりと記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。


「笑顔も……前はよく笑ってたのに、

 今は作り笑いすら、見てて苦しくなるくらいぎこちなくて……。

 私も頑張って他愛のない話をしたり、一緒に映画観たりもしたんだ。

 でも、お姉ちゃんの目は全然こちらを見てなくて……まるで、心がどこかに行っちゃったみたいで……」


 彼女の言葉が、頭じゃなく心臓に直接刺さってくる。


「本気で思ったんだ。

 このままじゃ……お姉ちゃん、壊れちゃうんじゃないかって……。

 そんな最悪な想像までした……」


 その声には、悔しさと悲しさがにじんでいた。


「だけど、ある時からお姉ちゃんに笑顔が増えたんだ。以前より私とも話すようになった。少しずつだけど。

 ――それが、お姉ちゃんが直哉と会った頃からだった」


 俺は、ただ黙って耳を傾けた。


「あいつと付き合う前ほどって、訳じゃないけど、

 少しでも元気になるお姉ちゃんの姿見ると嬉しくてさ……」


 そこでふっと、少しだけ照れたような声になった。


「だから、ありがとね。直哉。

 少しは信じてもいいって、前にいったけど。今は違う。

 直哉のこと、本気で信頼してるから」


 その言葉はまっすぐに胸に響いた。


「……こっちこそありがとう、柚葉。その信頼に応えられるよう、頑張るよ」


 そう返すと、彼女は少さな声で――


「もし私がお姉ちゃんでも……同じように、直哉を頼ったかもね」


 柚葉はぽつりとそうこぼした。


「それ、いきなり言われたら、照れるんだが……」


 俺はそう言いながら、時間が迫ったので、靴を履いた。


「じゃ、行ってくる。雪村先生に全部話してくる」


「……うん。行ってらっしゃい、直哉」


 小さく手を振り合って、胸に残った柚葉の言葉を抱えたまま、俺は学校へ向かった




   ◇ ◇ ◇




 俺は雪村先生に呼ばれ、学校の応接室にいた。

 改まった場に少し緊張しつつも、座ると同時に、俺はこれまでの経緯をすべて話した。


 詩乃に頼まれた演技のデートのこと。


 神崎の支配や、詩乃の表情が壊れていったこと。


 俺が見た神崎の本性。


 柚葉が調べた情報。


 文化祭の体育館裏、修学旅行のやりとりも含めて、


 嘘偽りなく、全部。


 雪村先生は最初こそ驚いた表情を見せていたが、

 途中からは真剣な眼差しで、黙って最後まで聞いてくれた。


 俺が話し終えると、先生はしばらく黙ったまま、

 湯呑を両手で包むように持ったまま、静かに口を開いた。


「……ありがとう、篠宮。よく話してくれたね」


 その声には、優しさと苦しさが混ざっていた。


「君の言葉を、私は信じることにする。

 ……神崎も、私にとっては大事な教え子なんだ。

 だから、本来なら証拠もないのに一方を疑うなんて、

 教師としては失格だ」


 先生は、一度だけまぶたを閉じ、息を吐いた。


「私はまだ、神崎を断罪するつもりはない」


 少し視線を落とし、湯呑の湯気を見つめる。


「だけど、もし彼が誰かを追い詰めているのなら、その兆候は見逃さない。

 教師として当然の責務だから」


 俺の目を見てはっきりとそう言った。


「……私は、神崎と月森が一緒にいる様子を、何度も見てきた。

 そのたびに、あの子が――月森が、少しずつ心をすり減らして、壊れていくのが分かった」


「………」


「……なのに、私は神崎の言葉に惑わされ、深く関わらなかった。

 教師としてじゃなく、一人の人間として、本当に情けないと思ってる」


 悔しそうに俯く先生の姿を、俺はただ真っすぐ見つめていた。


「だから、月森が篠宮と親しくなって、

 彼女が心から笑うようになっていくのを見た時、私も嬉しかったんだ」


 先生は少し笑って、そして、俺の目を見る。


「私も、動くことにする。

 まずは、信頼できる教師たちに、今日、君が話してくれたことを共有する。

 神崎のことをいい子だと思ってる教師や、彼の両親に臆してる先生は多いけど、

 ちゃんと話せば、きっと分かってくれる人もいるはずだから」


 先生は真剣なまなざしで俺を見たまま続ける。


「正直、君がどれだけ必死に訴えても、“生徒の思い込み”だと片付けられてしまうだろう。

 神崎の“いい子ぶり”に惑わされる先生も多いからね。

 でも、私の口からなら話は違う。

 これまで月森を見てきた養護教諭としての立場で今日、君から聞いた神崎や月森の事を話す」


 雪村先生はそのまま続ける。


「まずは、学年主任にスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーに伝える。

 今挙げた3人なら、神崎の演技に惑わされず、きっと力になってくれるはずだから」


 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

 ――やっと、大人が本気で動いてくれた。


「そして神崎にも、しっかりと話し合いの場を設ける。

 十日も残されていないけど、その間に、信用できる先生方と協力して準備を進めて、必要なら校長や教頭も交えて臨むつもりだ。

 もう、私は彼の“いい子の仮面”には騙されないから」


 先生のまなざしは、穏やかでありながら、どこまでも強くまっすぐだった。


「最後に、月森に言うつもり。

 “理由なんていらない。困ったら私のところに来なさい”って。

 もし月森に何かあった場合は、学校として正式に児童相談所や必要な第三者機関に相談する用意もしておく。

 ……今度こそ、ちゃんと先生として守ってみせる」


 そこで先生は一旦区切ると、


「……何か異変があったら、すぐに教えて。

 君が気づいたことが、あの子を救う一歩目になるかもしれないから」


 俺は先生の言葉に熱いものがこみ上げて――


「……ありがとうございます」


 深く頭を下げた。



   ◇ ◇ ◇



 それから五日経った。

 タイムリミットまであと五日。


 美咲から通話があってから一週間経った。


 彼女には、一週間は神崎にバレない為に通話しないようにと言われた。

 だから、こちらからの接触は止めておいたが……明日になっても連絡が来なかったら、危険でもこちらからコンタクトを取るしかない。



 今日も柚葉と会っていたので、夕日はすでに傾いていた。


 雪村先生は五日以内に多数の教師を交えて神崎と話し合う場を設ける手はずを取っている。


 ――ただ、神崎に関しては以前、警察や学校が介入しても難しかった問題だ。


 やはり、何らかの物的証拠がなければ厳しいのでは、という懸念がある。



 もうすぐ自宅へ着くという時だった。


 ポケットの中でスマホが震える。

 画面を見た瞬間、思わず足が止まる。


 差出人は――姫野美咲ひめのみさき

 かつて俺の恋人だった少女から、届いたLINEのメッセージ。


 ≪神崎の事で話したいことがある。今から会える?≫


 短いその一文が、やけに重く感じた。

 本当に美咲は神崎を終わらせる証拠を手に入れたというのか……?


 未だ半信半疑だったが、もう、美咲からの証拠に頼るしか術はなかった。


 俺は指を動かし、LINEに返信を打った。


 ≪わかった。時間と場所、決めてくれ≫


 しばらくしてから返ってきた場所を確認して、俺はスマホをポケットにしまった。


 深く息を吸って、夜の街へと足を向ける。



 ――たとえどんな形であれ、あの男を倒す糸口になるのなら行くしかない。

 迷ってる暇なんか、もうどこにもないのだから。




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