第29話 修学旅行開始早々、あいつがトイレ行ってる間に、甘すぎ抱擁してました


 修学旅行三泊四日の初日。

 京都駅のホームに降り立った瞬間、どこか空気の匂いが違った。


 湿度と騒がしさと、ちょっとだけ非日常の匂い。

 制服姿の生徒たちがあちこちで喋りながら移動していくその中に、俺もいた。


「ほぉ〜、京都ですよ京都。古都ですよ、篠宮。修学旅行感出てきたなあ」


「あと三歩で俳句詠み出しそうだなお前」


 他愛ない会話をしながら、俺たちは班ごとの移動を開始した。

 班は原則、男女二人ずつの四人構成。俺と桐山、それに女子二人。


 でも、今の俺の目は――その少し先を、自然と追っていた。


 当然、同じ班の神崎は朝からずっと彼氏ヅラで詩乃にぴったり張りついてる。


 遠巻きに見ても、よくわかる。

 詩乃は笑っている。でも、どこか作り物のような笑顔だった。


 ──タイムリミットまで、あと十四日。

 半月を切った。


 桐山には全てを話している。

 神崎の本性を知っていれば、それだけで何か妙案を思いついたり、

 俺にはない視点で見れないかと思ったからだ。


 詩乃も“桐山さんなら“と言って賛同してくれた。


『……ほんとにやべえな、そいつ。DV彼氏っていうか、もうサイコの領域だろ』


 最初に話したとき、桐山はそう言って、眉をしかめた。


 今はこうして横にいてくれてるけど、協力してくれてるのはあくまで善意でしかない。


「……正直、こういう時に、友達に頼るのズルいよなって思ってた」


「うるせえよ。お前は一生ズルくていい。俺が協力してやっから。

 その分、ちゃんと報われろよ」


 桐山はそう言って、お互いに軽く笑いあった。



 神崎は、詩乃の手首を取るようにして引っ張りながら、

 観光地の方へ歩いていっていた。


 こうして見てるだけでも、胸がざわつく。


「あいつ、いつもあんな感じなのか?」


「……ああ。どこに行くにも手を離さない。

 LINEでもしょっちゅう、今何してるかの監視もずっとらしい」


「最低だな、おい……。

 でも一番ムカつくのは、月森がそれでも笑ってんのが当たり前みたいな空気になってることだよな……」


 その言葉に拳に少しだけ力が入る。

 でも、今はまだ動けない。


 俺がやらなきゃいけないのは、感情の暴発じゃなく、詩乃を救うための方法を考えること。


 悔しいが、冷静でいなきゃいけない。

 ……でも、このままずっと黙って見てるだけじゃ、壊れそうだ。



   ◇ ◇ ◇



 神社の裏手。観光客もいない、静かな小道。

 俺は、少し一人で休憩していた。


 いかんせん班行動で桐山以外の2人もいる為、ずっと詩乃の傍にいるのが難しい。


 ならせめてと、ほかの3人が神社へ行っている間、徹夜気味の毎日の疲れを取る為、休憩していた。


「……見つけました」


 その声に、心臓が一瞬で跳ねた。


 振り返ると、制服の裾を握りながら、詩乃が立っていた。


「GPSつけてた? 俺、そんなに見つけやすかったか」


「つけてません。気配で、です」


「俺、気配だけで見つかる男なの?」


「はい。直哉さんの気配……よくわかりますから」


 少しはにかみながら詩乃は呟いた。


 何その、爆弾。

 開始十秒で心臓にダメージくらったんだけど。


「神崎は?」


「トイレです。

 ……いつもだいたい五分くらいかかる人なので、まだ猶予があるかと」


「作戦行動すぎるだろ。スパイかよ」


「じゃあ、作戦名は直哉さんに会いたかっただけ作戦ですね」


 そのセリフ、甘さが強すぎて心が砂糖で爆発した。


「……五分か」


「はい。あと、四分ちょっとです」


 詩乃がスマホを見ている。

 タイマーでもかけてるのだろう。


 詩乃は、俺の隣にそっと腰を下ろした。

 距離はちょっと近め。体温が伝わってくるくらい。


「修学旅行なのに、全然楽しくないんです

 あの人と一緒だと、ずっと手を握られてて……。

 何を見ても、何を話しても、私が神崎さんの彼女であることを、思い出すんです……」


 詩乃の声はかすかに震えていた。

 ほんの一瞬だけ、肩がびくっと揺れる。

 まるで、どこかにあいつの視線を感じたような反応だった。


「そりゃそうだ……。

 神崎とペアで動いて、観光地も緊張してるとか、もはや拷問だろ……」


「でも……今は、ちょっとだけ、楽しいかも」


 そう言って、詩乃は俺の方を見た。


「……直哉さんと一緒だと、やっぱり安心するんです。

 今日いちばん、ちゃんと息出来てる気がします」


 その笑顔が、少しだけ切なくて。

 でも確かに、俺の胸をあたためていった。


 詩乃はちらりと小道の奥を見やってから、そっと言った。


「……今は、まだ大丈夫です。たぶん」


「じゃあさ、あと三分で一生の思い出作るか?」


「三分で?」


「俺、短時間勝負、わりと得意だから」


「なにと戦ってるんですか……」


 詩乃が、くすっと笑った。

 その笑い声が、耳にやさしく響いた。


「たとえばだけどさ、今、“手、つなごう”って言ったら、どうする?」


「今なら……つなぎたいです」


 俺がそっと手を出すと、詩乃の手がゆっくり重なった。


 すごく、あたたかくて。すごく、震えてた。

 きっと、手を繋ぐことすら選べなかった日々が、まだ詩乃の中に残ってるんだ。


「……ごめんなさい。少しだけ、怖いんです」


「何が?」


「……この手を、いつか離さなきゃいけないのかなって思うのが」


「そんな時はこない。

 万が一。あくまで万が一だけどさ。

 神崎の件が上手くいかなくて、詩乃がどうなったとしても、俺はずっと詩乃の傍にいる。約束するよ」


 柚葉にも語った決意を詩乃にも伝える。


「……直哉さん」


 俺はそのまま、彼女の手をぎゅっと握った。


「それにさ、決まってない未来のことで、

 今の大事な時間を怖がるの、もったいなくないか?」


「……直哉さんって、ずるいです」


「うん、自覚ある。詩乃限定でずるい男です」


 ふたりして、軽く笑った。

 でも、胸の奥は、ほんの少しだけ苦しくて、でも確かに甘かった。


「……戻らなきゃ。

 そろそろ時間なので」


「残り何秒?」


「二十秒ぐらい……」


「じゃあ――ご褒美、もらっていい?」


 俺は詩乃の前に立ち上がった。


 詩乃は、ほんの一瞬だけ目を伏せて――でもすぐに顔を上げて立ち上がった。


「――なにを、ですか?」


 その瞳が、ちゃんとわかってる目をしていた。


 そう聞かれた瞬間、俺はそっと、詩乃を抱きしめていた。


「……!」


 びくっとした体が、一瞬でぴたりと止まる。

 でも、彼女は逃げなかった。


「ありがとう。今日、会いに来てくれて」


「……こっちこそ、会えてよかったです」


 詩乃の手が、ゆっくりと俺の背中に回った。


 ふと気づけば、風の音も、鳥の声も、どこか遠ざかっていた。

 まるでこの一瞬だけ、世界がそっと息をひそめたみたいに。


 聞こえるのは、鼓動と、ほんの少しの静けさだけだった。


「……このまま、もうちょっとだけ、こうしてていいですか?」


「大丈夫。多少なら延長も可だ」


「わがまま言ってもいいなら……。

 もう少しだけ、甘えてもいいですか?」


 その声は、震えてたけど、ちゃんと笑っていた。


 俺はそのぬくもりを、ただ静かに受け止めていた。


 ほんの十数秒の抱擁。

 それだけで、胸の奥に熱がこもる。


 たった五分の中でだけ、確かに恋人になれた気がした。


 離れるのが、惜しかった。

 でも、俺はそっと腕をほどいた。


「今日一日、神崎さんといることになっても――

 直哉さんとの、この時間を思い出せば耐えられそうです」


 さっきまでの、ガラス細工みたいな笑顔じゃない。

 あいつの隣じゃ絶対に生まれない、柔らかくほどけた笑みだった。


 まるで、今のぬくもりだけで、神崎と過ごす時間すら乗り切れる力を得たみたいだ。


「……あとで、LINEしてもいいですか?」


「ああ。何回でも。秒単位で既読つけるよ」


 そう言って、俺は笑った。

 詩乃も、小さく笑い返してくれる。


 その一瞬に、ほんの少しだけ、未来が見えた気がした。


 離れても、ちゃんと届く。

 手を離したって、ちゃんとつながっていられる。


 ――だからきっと、俺たちは大丈夫だ。



 ……でも既読0.1秒で返したら、ちょっと引かれる気もするから、

 そこは、3分だけ様子見の余裕を見せる所存です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る