第25話 寝取られた彼女が泣いていた。気づけば、手を差し伸べていた。


 ――タイムリミットまで20日。


 柚葉と出会ってから一週間。

 やや徹夜気味だった。


 柚葉は神崎の取り巻きをストーカー……いや尾行をしている。

 俺にもやらせてくれと頼んだ。


 ウィッグにマスク、キャップを数種類ずつ。金までかけて変装道具を買い込み、

 今はなれない尾行を続けている。


 “神崎本人には何度もバレたから止めた方がいいよ“。

 そう柚葉に忠告されたので、取り巻き達だけに絞り行っている。


 で、この一週間の結果はどうだ。


 出てくるのは、神崎が昨日どのカフェで女とパンケーキ食ったとか、

 誰とカラオケ行ったとか、

 そんな腐るほどどうでもいい情報ばかり。


 授業をサボって張り付いた日もあったし、

 尾行中に職質されかけたことだってあった。


 なのに一週間、決定打ゼロ。

 人生懸けた尾行の成果が『神崎、また女とパンケーキを食う』――ギャグか?


 まあ、柚葉が色々情報を得られたのは、これを一年近く続けた成果だからな……。



 ――それでも、詩乃を救うためにできることがあるなら、何だってやりたかった。


 詩乃がこれ以上、あの男に縛られる未来だけは絶対に嫌だった。


 だから、今は願うしかない。

 このしょうもない尾行の先に、ほんの小さな、何か一つだけでいいから、神崎を追い詰めるヒントが見つかればって。




 そして今日、ほぼ寝ずに朝を迎えたのには、もうひとつ理由がある。


 詩乃と演技抜きのデートがあって、緊張していたからだ。

 俺の虚しい尾行も今日は中断して、詩乃とのデートを思う存分楽しむつもりだ。


 眠気と高ぶった緊張と浮かれた気持ちがごちゃまぜのまま、駅に向かって歩いていると、

 川沿いの橋のたもと、手すりに寄りかかっているひとりの女の子が目に入った。



 姫野美咲ひめのみさき


 ――神崎に寝取られた元恋人だった。


 茶色のセミロングが風に揺れていた。


 昔は気の強そうな目元が印象的だったのに、今はどこかぼんやりしていて、

 彼女の目は、少しだけ赤くなっており、潤んでいた。


 あの美咲が、あんな顔をするなんて。


「……っ」


 俺は、足を止めて迷った。

 無視して通り過ぎることだってできた。


 胸の奥がざわついた。


 DVされてたあの頃の記憶は、忘れたくても忘れられないトラウマの象徴だ。

 関わる必要なんて、どこにもない。――頭ではそう分かっていた。



 なのに、あまりに美咲の顔が悲しそうで――


 昔、見た泣き顔と重なって――



「美咲。……久しぶり」


 俺は声をかけていた。


「えっ……」


 彼女は、びくりと肩を揺らした。

 俺を見て驚いた顔をしている。


「随分、悲しそうだな。

 どしたん? 話、聞こか?」


 どう話を聞りだせばいいか分からず、昔ふざけあっていた頃のように、おどけて言った。


 美咲はふっと力の抜けたような笑みを浮かべた。


「何、それ……本気で言ってるの?

 私、アンタにあんな事して……あんな形で裏切った女だよ?」


「そうだな。

 付き合ってた頃のことは、簡単に済ませられる話じゃないな」


 そりゃ、そうだ。

 美咲は今でも思い出される一番のトラウマなんだから。


「でも、小学生からの幼馴染だろ?

 もう前みたいな関係じゃないけどさ。

 俺が泣いてるやつを無視できない性分なのは、お前だって知ってるだろ?」


 美咲は少し驚いた顔をしてから、力が抜けたように微笑んだ。


「……なんか、前より落ち着いた顔してるね」


「そりゃまあ、大切にしたい人ができて、

 ちゃんと向き合わなきゃって思うようになったからな」


 あの頃の痛みはまだ胸に残ってる。

 でも、大切にしたい人がいるから前に進もうとしている。


「それで、話を聞くぐらいなら出来るけど?」


「……最近ちょっと疲れててさ。

 ナーバスになってるだけ……」


「なんでだ?」


「……理由は、言えない」


「そっか。ま、無理にとは言わんけど」


 言葉が途切れ、重たい沈黙が落ちた。


 それでも――どうしても、背を向けられなかった。

 頭では拒絶してるのに――心が勝手に手を伸ばそうとしていた。


「……あ、そうだ。ごめん。

 実はLINEのID、ブロックしてたんだわ」


「うん、まあ、そりゃそうだよね」


「今、外すわ」


「えっ!?」


 美咲が目を見開いた。


「別に仲直りしたいとかじゃない。

 今更、友達にだって戻ることは出来ない。

 何より、俺にはもう好きな人がいるから」


 一線は引く。

 ここをあやふやにしたら、詩乃に対して不誠実になる。

 だから、迷わず突き放す言葉を選んだ。


「ただ、もし神崎のことで何か知ってて、話したくなったら、

 その時だけ連絡してくれ。

 神崎のことに関してだったら、まあ愚痴ぐらいなら聞くかな」


 スマホを操作しながらそう告げる。


 まだ、美咲が神崎側の可能性だって十分あり得る。


 ……それでも、幼馴染が泣いてるのを見て、

 完全に見捨てられるほど冷たくもなれなかった。


 それに、詩乃を救うためにも、

 神崎の情報はどんな小さな欠片でもいいから欲しかった。


「なんで、そんな風にしてくれるの……?

 ……あんな最低なことした私に」


 震えた声だった。


「んー……なんか、心に余裕ができたからかな」


 詩乃と出会ってから、なんかちょっとだけ変わった気がする。


 ――まあ、今は余裕どころか、人生で一番ギリギリなんだけどな。

 もうすぐ、デスゲームの主催者みたいな男とバトる予定だっつのに。


「俺、そろそろ人と会う予定あるからさ。

 それじゃな」


「待って」


 背を向けかけたその時、美咲の声が追いかけてきた。


「アンタ、神崎と何かもめてるの?」


「ん……まあな」


 どう答えるべきか迷ったが肯定した。


「……なら、今の私だったら……アンタの助けになれるかもね」


「どういう意味だ?」


「……ごめん、今はまだ話せない。

 ただ、今日アンタと会って、色々考え直せた。

 だから、もう少しだけ整理させて……。

 ……あいつのこと以外で連絡する気はないから」


 美咲はそれだけ言って、川沿いを背にして去っていった。


 ……もしかして、美咲は神崎の重要な何かを知っている?


「いや、ないか……」


 それは柚葉がすでにやっている。

 神崎が寝取った女に聞き込みもしたらしい。


 つい先日、柚葉は美咲にも聞き込みしたとの事だ。

 だが、“何も助けになれる事はない“と、返されたそうだ。


 ………


 しかし、まさか美咲とこんな形で再会するとはな……。


 手を差し伸べても、昔みたいに戻りたいわけじゃない。

 俺の中で美咲は、もう完全に過去の人だ


 許したわけじゃないし、過去に受けた仕打ちも一生消えない。

 未練なんて一欠片もない。


 ――昔の俺なら、絶対に通り過ぎていた。

 関わる必要なんて一ミリもない、そう決めつけていたはずだ。


 でも今は、違った。

 詩乃に出会って、誰かを思いやりたいって思えるようになった。

 だから、泣いてる幼馴染を見て、無視はできなかった。


 これは詩乃が俺を、もう一度人を信じられる人間にしてくれたからだ。


「……ホントに詩乃には感謝だな」


 そう呟いて、俺は過去から目を離し、未来のほうへ足を向けた。

 詩乃とのデートへと。



   ◇ ◇ ◇



 駅前の広場。

 休日のにぎわいに混じって、俺はあたりを見回す。


 ――で、気づいた。


 こっちに向かって手を振る、ひとりの女の子。

 白のブラウスに、淡い水色のスカート。

 銀髪はサイドで軽くまとめていて。


 それはもう、見慣れた制服姿とは別人みたいだった。


 過去に息を詰めたまま、ここまで来たけど、詩乃の姿を見た瞬間、やっと息を吸えた気がした。



「あれ? 詩乃、なんか……やばくない?」


 開口一番、それしか出てこなかった。


 詩乃は足を止めて、少しだけ顔を赤らめた。


「や、やばい……って、変ですか?」


「いや、違う。なんつーか、想像の五歩くらい上をいかれたというか」


「五歩?」


「うん、あと三歩進んだら惚れ直すとこだったわ」


「あの、もうちょっとだけ進んでもらっても、いいですか?」


「え、こっちが照れるんだけど」


 軽口を交わしながらも、

 詩乃は、ふわりとした笑みを浮かべていた。


 さっきまでの重たい再会が、遠い夢みたいに消えていった。


 ああ、やっぱり俺の今の現実は、こっちなんだ。

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