第29話 絶対に断ることのできない、詩織のお願い
意味深な言葉だけを伝え、詩織はぼくから離れ次の部屋へと向かった。
特別展はその一部屋だけで、あとは普通の絵画や彫刻を観賞するだけだった。しかし特別展の衝撃が強く、その後の美術品の記憶はほとんど残っていない。
美術館の後半に差し掛かると、詩織の態度がさらに積極的になってきた。
「創太君、正直に言ってください」
人気のない展示室の奥で、詩織がぼくと向き合う。
「佐伯さんのことが心配なんですよね?」
もう隠しても意味がないと感じた。
「……ああ、そうだ。佐伯さんがどこにいるのかわからなくて」
「やっぱり」
詩織が満足そうに微笑む。
「創太君って、本当に正直で素敵です。でも……」
詩織の表情が急に真剣になる。
「あの子のことばかり考えていたら、目の前にいる私がかわいそうだと思いませんか?」
「詩織……」
「私だって、創太君に愛されたいんです」
詩織の瞳に涙が浮かんでいる。しかし、ぼくにはそれが演技のように見えた。
「でも、創太君の心は私にはないんですね」
「そんなことない」
ぼくは慌てて否定する。
「君のことも大切に思っているよ」
「本当ですか?」
詩織の表情が明るくなる。
「それなら、証明してください」
「証明?」
「私に、あの子の居場所を教えてほしいんですよね?」
詩織の口調が少し変わった。まるで交渉しているかのような冷静さがある。
「実は、私は知っているんです。佐伯さんがどこにいるか」
ぼくの心臓が跳ねる。
「教えて、くれるの?」
「ええ。でも、ただでは教えられませんね。まずは最後まで美術館のデートをエスコートしてくださいね」
詩織がいたずらっぽく微笑む。しかし、その笑顔の裏には計算高さが隠されていた。
*
美術館の見学を終えると、詩織が提案した。
「せっかくですから、併設されているバラ園も見ていきませんか?」
バラ園は美術館の裏手にあった。色とりどりのバラが咲き誇り、甘い香りが漂っている。平日の午後、園内には他に人影がなかった。
詩織がバラのアーチの下で立ち止まる。
「創太君、ここ素敵ですね」
確かに美しい場所だった。しかし、人気がないことが逆に不安を煽る。
「詩織、みのりの居場所を教えてくれるって言ったよね?」
ぼくは単刀直入に切り出した。
「ええ、もちろんです」
詩織がバラに鼻を近づける。
「でも、その前に条件があります」
「条件?」
「私とキスをしてください」
ぼくは言葉を失った。
「き、キス?」
「そうです。私の唇に、創太君の唇を重ねてください」
詩織が振り返り、自らのピンク色をしたやわらかい唇に人差し指を当てる。その表情は真剣そのものだった。
「それができたら、佐伯さんの居場所を教えて差し上げます」
「詩織、それは……」
「プールでの一件以来、私はずっと悔しかったんです」
詩織の声に感情がこもる。
「あの子は創太君の最初のキスを奪ってしまった。でも、それは人工呼吸であって、愛のあるキスではありませんよね?」
詩織が一歩近づいてくる。
「だから、私が創太君の本当の最初のキスをいただきたいんです」
ぼくは迷った。みのりの居場所を知るためには、詩織の要求を飲むしかない。しかし、それは彼女の思惑にまんまとはまることでもある。
「どうですか? それとも、あの子の安全はその程度の価値しかないんですか?」
詩織の言葉が胸に刺さる。確かに、みのりの命に比べれば、キス一つなど些細なことかもしれない。
「わかった」
ぼくは決断した。
「でも、約束は守ってくれるんだろうね?」
「もちろんです」
詩織が満面の笑みを浮かべる。
詩織がゆっくりと目を閉じる。薄く開かれた唇が、ぼくを誘っているように見えた。
ぼくは詩織に近づく。バラの甘い香りと、詩織の香水の匂いが混じり合う。
「詩織……」
ぼくの唇が詩織の唇に触れる。柔らかくて温かい感触。詩織が小さく身震いするのがわかった。
キスは短時間で終わった。しかし、詩織の表情は恍惚としていた。
「創太君……」
詩織がぼくの名前を呟く。その声には、満足感と征服感が混じっていた。
「これで、私も創太君とつながることができました」
詩織の言葉に、ぼくは微かな恐怖を感じた。まるで所有物を手に入れたかのような口調だった。
「約束通り、みのりの居場所を教えてくれ」
「ええ、約束は約束ですからね」
詩織が口を開く。
「佐伯さんは、駅前のコンビニでアルバイトをしています」
「コンビニ?」
「ええ。『ファミリーショップ田中』という小さなお店です。夜勤のシフトに入っているようですね」
詩織が続ける。
「そして、寝泊まりは隣にあるネットカフェ『サイバースペース24』です」
「ネットカフェに泊まっているのか?」
「そのようですね。お金がないから、一番安い料金プランで個室を借りているようです」
詩織の情報は具体的で、間違いないように思えた。
「どうしてそんなに詳しく知っているんだ?」
「ふふふ、それは秘密です」
詩織が微笑む。しかし、その笑顔には何か不気味なものがあった。
「でも、創太君」
詩織がぼくの手を握る。
「あの子に会いに行くのは構いませんが、くれぐれも気をつけてくださいね」
「気をつけるって?」
「小鞠ちゃんと舞美ちゃんも、あの子の居場所を探しています。もし創太君があの子に会っているところを見られたら……」
詩織が言葉を濁す。
「きっと大変なことになりますよ」
ぼくは背筋が寒くなった。詩織の警告は脅しなのか、それとも本当の心配なのか。
「詩織、君は他の二人にみのりの居場所を教えるつもりはないのか?」
詩織が意味深に微笑むと、そのままバラの小道の奥へ歩き出す。
「それは、創太君次第ですね」
立ち止まり、くるりとぼくの方を振り返る。風に舞いスカートの裾が広がる。
「私を裏切ったりしなければ、秘密は守って差し上げます」
人差し指を艶のある唇に当て、かがみこむように上目目線でぼくを見つめる。
先ほどのやわらかい感触を思い出し、ぼくは顔を赤くした。
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あとがき
詩織の考えている作戦とは?急展開が続く『絶コメ』今後の展開にご期待ください。
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小説完結済み、約15万字、50章。
毎日午前7時頃、1日1回更新!
よろしくお願いします(≧▽≦)
* * *
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