第26話 絶対ヤバイ!ファーストキス
滑り始めた途端、体が宙に浮いた。あまりの急角度のため滑るというよりほとんど落下しているようだ。
滝のような勢いで流される水流で周囲の景色も見えない。鼻から口から大量の水が押し込まれ、息を吐くこともできない。意識がもうろうとしてきたとき落下は唐突に終わった。
下のプールに到着したようだ。着水の覚悟を決める暇もなかったぼくの体はプールに深く沈む。
このまま気を失うわけにはいかない。気力を振り絞り何とか意識を保つ。
そうだ、佐伯さんは!
水の中で周囲を見渡すと、みのりがプールの底に沈んでいくのが見える。
ぼくは方向を変えて彼女の元へ水中を潜り、何とかみのりを捕まえる。
彼女はぐったりとしたまま動かなかった。すでに意識がない。急いで浮上しないと、ぼくも息がヤバイ。
最後の気力を振り絞ってみのりを連れて地上へ浮上する。
「みのり!」
彼女を抱き上げ何とか水面に顔を出す。やはり、みのりは意識を失っていて、呼吸もしていないようだった。
慌ててプールサイドにみのりを引き上げる。
「だ、誰か救急車を」
叫ぶが、周囲のやじ馬は藤巻に状況を観察しているだけで誰も動こうとしない。このプールの客はぼくら以外は、全員NPC。クラスの男子と同じように決められた動きしか行わない人形だ。
このままみのりが死んでしまった場合、ほんらいモブである彼女がゲームの中でどのように扱われるのかはわからない。しかしそれをみのりで試してみる気にはもちろんならない。
ぼくはみのりの様子を確認した。脈は微弱だが生きている。しかし呼吸は止まっていた。
「人工呼吸をしなきゃ……」
ためらっている場合ではない。ぼくはみのりの顎を上げ、気道を確保してから、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
息を吹き込み、胸の動きを確認する。何度か繰り返すうちに、みのりが小さく咳をして、水を吐き出した。
「よかった……」
みのりがゆっくりと目を開ける。
「神代君……?」
「大丈夫、もう安全だから」
だんだんと意識を取り戻してきたみのりが、目を見開いてぼくを見つめる。
「神代くん、もしかして私に人工呼吸、しましたか」
まだやや紫に染まった自分の唇に指をあて、みのりは震えながら訪ねた。
「あ、ああ、ごめんね。佐伯さんがおぼれて息をしていなかったんだ。だからしかたなく……」
ぼくの言葉にみのりはさらに恐怖の表情を険しくした。
彼女のぼくを見つめる視線が近づいてくる人影に移り、「ヒィッ」と小さな悲鳴を上げた。
ぼくが振り返るとそこには、スライダーをおりて追ってきたヒロインたちがそろってみのりを睨んでいた。
「大丈夫?佐伯さん、あぶないところだったわね」
言葉はみのりのことを心配しているようだが、詩織の目は笑っていない。
「ホント、あの程度のスライダーで怖がって溺れちゃうなんて、みのりちゃんって怖がりだね」
あはは、と笑いながら話す小鞠。ゲームの中とは言えあのスライダーは安全性というものが皆無だ。たぶん現実にあったら普通に死ぬ。
「ねえ、創太、その子に人工呼吸したの?」
冷たい声で舞美がぼくに尋ねる。
「あのままでは命の危険があったんだ、すぐに応急処置をするのは当たり前だろう」
「……そう」
舞美の声は氷のように冷たかった。その一言だけで、彼女の感情の変化がはっきりと伝わってくる。
「人工呼吸って、つまり……キス、みたいなものよね」
詩織が静かに呟く。普段の上品な笑顔は完全に消え失せ、代わりに底知れない何かがその瞳の奥で渦巻いている。
「あー、そっか。創太の初キス、佐伯さんが奪っちゃったんだ」
小鞠の声は相変わらず明るいが、その笑顔がどこか歪んでいる。笑顔の中で瞳だけが全く笑っていない。それはまるで壊れた人形のような、不自然な表情だった。
三人の視線が一斉にみのりに向けられる。
みのりは恐怖でガタガタと震えながら、ぼくの後ろに隠れるように身を寄せた。
「でも仕方なかったのよね? 創太」
舞美が一歩近づいてくる。その足音が妙に重く響く。
「そうそう、人命救助だもんね。でも……」
詩織も歩み寄りながら、唇に指を当てる仕草をする。
「みのりちゃんってラッキーだなぁ。まさか神代君の唇を独り占めしちゃうなんて」
小鞠の声がだんだんと低くなっていく。
三人の表情は表面上は冷静だが、体からあふれ出す嫉妬・妬み・怒りなど抑えきれない感情が周囲の空気をも変えていた。
みのりはぼくの手を握りしめ、小さな声で呟いた。
「神代君……本当に私に人工呼吸したの?」
あまりの真剣な表情に驚きながらもぼくはうなずきで肯定をかえす。
それを見たみのりの顔色がさらに真っ青に変わる。
「わ、わ、私、今日はもう帰りますね!」
「え、佐伯さん!まだ安静にしておいた方がいいって」
ぼくが引き留めるのも聞かず、みのりは逃げるように更衣室に向かって駆けて行ってしまった。
いったい何なんだっていうんだ。危なく命を失う所を助かったっていうのに。
不思議そうにみのりの後ろ姿を見送るぼくに、どこに行っていたのか今頃になって現れたヨシオが声をかけてきた。
「あ~あ、やっちまったな」
「何をだよ」
いらだちを隠せず、声を荒げるぼくにヨシオが憐れむような表情で説明を返してきた。
「本来ならエンディングで正規のヒロインとするはずのキスを、こんな場面でしかも、ただのモブキャラ女子とやっちまったんだ、もうバッドエンディング一直線だろ」
今度はぼくの顏からも血の気が引いていく。そういうことか、
「プールイベントの攻略は、本来ならほかのキャラに無理やり最強コースを勧められ怖がるヒロインを助けて、二人用のペアスライダーで滑って好感度アップってのが基本ルートだったんだ」
「そんな、止める暇なんてなかっただろ!」
「仕方ないさ、今回はヒロインたちが邪魔者を排除するためにこのイベントを利用しようとしていたんだ。彼女たちはゲームシナリオから逸脱した行為はとることができない。だから一人の好感度を上げ過ぎた場合に発生する、『人工呼吸に嫉妬した他のヒロインが一番のヒロインを殺害する』というバットエンドにみのりを誘導してこの状況を作り出したんだ。あの様子だと佐伯さんも人工呼吸がバッドエンディングにつながることは知っていたみたいだな」
たしかゲームを始める前に、隼人が「嫉妬に狂ったヒロインが殺しあうルートがある」と言っていた気がする。これがその一つなのだろう。
彼女たちがわざとそのイベントが発生するように誘導してきたっていうのか?
「ヨシオ!知っていたならなんで止めてくれなかったんだよ!」
「何言ってるんだ。俺はもともとお前に『ヒロイン以外にかかわるな』って言っておいただろ。シナリオにとって邪魔なファクターは取り除かれるのは当たり前じゃないか」
ぼくは絶句する。
プールサイドに立つ三人のヒロインたちは楽しそうに逃げ去ったみのりのことを見つめている。まるで枷を外された獣のように、獲物を追い詰める悦楽に浸っているようだった。
「さあ、ここで現状の好感度を発表だ。三人とも不満度はすっかり解消されているぜ、さらにお前への関心度も最低限に下がっている。今はみのりを排除するというのが一番の行動目標となっているんだ。さて、あのモブキャラはいつまで逃げ切ることができるかな」
ヨシオが楽しそうに現在のパラメーターの解説をした。
そんなヨシオの姿を見て、確信する。
違う。やっぱりこいつは隼人ではない。あいつはいつも周りの人間や視聴者を大切にしていた。いくらモブ女子だったとしても、現実の人間かもしれない可能性がある彼女を見殺しにしたりするはずはない。
「ヨシオ、お前の目的は何なんだ?」
「目的?そんなもの、主人公である神代創太がきちんとシナリオを進めてハッピーエンディングに行くのをサポートすることに決まっているだろ?」
お茶らけた口調は変わらないが、目は笑っていない。
あくまでもぼくをヒロインの誰かと両想いに持っていこうとしている。
「ぼくは神代創太じゃない!桜木翔だ!この世界はただのゲームだ!この世界のルールに縛られてたまるか!ぼくは……」
そこまで行って言葉に詰まる。ぼくは佐伯みのりとどうなりたいのだろう、彼女のことが本当に好きなのか?単に同じゲームにとらわれた仲間として助けたいだけなのか?
「創太、その先の言葉を発するのは注意したほうがいい。ここでは彼女たちも聞いているぜ」
ヨシオが小声で注意する。後ろでは事の成り行きを見守る三人のヒロインの姿がある。
「今おまえがみのりへの好意を口にすれば、彼女たちを止めるすべはなくなる。お前がみのりを助けたいなら、うまく立ち回って彼女たちの意識をもう一度お前に集中させなくちゃな」
ヨシオはぼくの横でヒロインズに聞こえないようそう言うと、肩をポンポンとたたいてその場を去っていった。
「がんばれよ」
ぼくのみのりへの気持ちが何なのかはまだわからない。だが、彼女を守るには詩織・小鞠・舞美の意識をそらす必要があるということだ。
「いわれなくても頑張ってるさ……」
ぼくは気持ちを切り替え、三人のヒロインの元へ向かった。
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あとがき
プールのスライダーでイベント発生!今後の展開にご期待ください。
楽しんでいただけたなら、☆で応援よろしくお願いします!
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小説完結済み、約15万字、50章。
毎日午前7時頃、1日1回更新!
よろしくお願いします(≧▽≦)
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