『ザ・リアルぐんまちゃん・チャレンジ2025』

kareakarie

◆第1章|リアルぐんまちゃん狂騒曲

国道沿いのドライブイン『ピットイン赤城』の窓は、排気ガスと油膜でうっすらと曇っていた。その窓際の席で、瀬呂杏里(せろ あんり)は古びた伝票の裏に、意味もなく馬の絵を描いていた。客のいない午後の時間帯は、大抵こうして過ぎていく。店内に流れる有線放送の、妙に明るい歌謡曲が、やけに遠く聞こえた。


「ねえ、アンリ聞いた? アレ、やるんだって」


カウンターの向こうから、同い年のバイト仲間である出村璃子(でむら りこ)が、スマートフォンの画面を杏里に向けながら言った。璃子の声は、この店のくたびれた空気には不似合いなほど弾んでいた。画面には、極彩色でデザインされたバナー広告が表示されている。『ザ・リアルぐんまちゃん・チャレンジ2025、ついに開催決定!』という扇情的な文句が躍っていた。


「……またそれ?」

杏里は描いていた馬の絵から顔を上げずに応えた。耳には入っていた。この数週間、地元のテレビも、フリーペーパーも、その話題で持ちきりだったからだ。優勝賞金は破格の三千万円。それに加えて、一年間の「リアルぐんまちゃん」としての活動権が与えられるという。活動内容の詳細は不明。その曖昧さが、かえって人々の想像力を掻き立てているらしかった。


「またそれ?じゃないよ! これ、すごくない? 雅川義夫プロデュースだよ? あのミヤビさんだよ?」

「ミヤビさんね」

「反応うっす。とにかく、私これ出るから」


璃子はそう宣言すると、カウンターに両肘をつき、夢見るような目つきで天井を仰いだ。

「もし優勝したらさ、賞金でしょ、それにテレビとか出まくって、インフルエンサーになって、自分のブランド立ち上げて……。ヤバくない? 人生変わるって」

「ぐんまちゃんになって?」

「そう、リアルぐんまちゃんに」


杏里は、ようやく顔を上げた。璃子の言葉には、一片の疑いも、皮肉も含まれていない。その純粋さが、杏里には少し眩しく、そして少しだけ滑稽に見えた。ぐんまちゃん。ポニーをモチーフにした、あの県の公式マスコット。その「リアル」に、どうしてこれほど熱狂できるのか、杏里にはまるで理解できなかった。


「……あんたが馬のかぶりものするわけ」

「そういうことじゃないんだってば。ぐんまちゃんのスピリットを体現するの。優しさとか、おもてなしの心とか、そういうのを競うんだよ、たぶん」

「たぶん、ね」


杏里は言いながら、窓の外に目をやった。国道を走り去っていくトラックの列。その向こうには、灰色の雲に覆われた夏の空が広がっている。この退屈で、何も変わらないように見える風景が、杏里にとっては世界のすべてだった。リアルぐんまちゃん。その言葉が持つ奇妙な響きだけが、この灰色の風景の中で、やけに色鮮やかに浮き上がっていた。


店のドアが、カラン、と乾いた音を立てて開いた。入ってきたのは、見慣れない若い男だった。派手な柄のシャツに、色落ちしたジーンズ。髪は明るい茶色に染められ、耳には銀色のピアスが光っている。男は店内を面白そうに見回すと、カウンターに座る璃子に気さくに声をかけた。


「ねえ、お姉さん。この辺で一番イケてる店って、やっぱここ?」

璃子は一瞬、目を丸くしたが、すぐに満面の笑みで応じた。

「えー、わかる? そうだよ、多分ね!」

「だと思った。なんかそういうオーラ出てるもん。俺、城戸寛(きど ひろし)。この町の空気を吸いに来た、ただの旅人」


城戸と名乗る男は、そう言ってウインクすると、杏里が座っているボックス席に何の断りもなく腰を下ろした。そして、テーブルの上の馬の絵を覗き込む。


「上手いじゃん、これ。ぐんまちゃん?」

「……ただの馬」

杏里はぶっきらぼうに答えて、伝票を裏返した。

「ふーん。そっちの子はノリいいのに、君はクールだね。名前は?」

「……」

「アンリ。瀬呂杏里」

カウンターから、璃子が助け舟のように言った。

「アンリちゃんか。いい名前。で、アンリちゃんは出ないの? その、リアルなんとかってやつ」

城戸はテーブルに肘をつき、面白くてたまらないという顔で杏里を見つめた。

「興味ないんで」

「マジで? 賞金三千万だよ? 俺だったら、秒で出るね。馬の着ぐるみ着て、四足歩行で町内一周だってしてやるよ」

「……あんたみたいなのが出ればいいんじゃない」

「俺はさ、出る側より、見てる側の方が好きなんだよ。人間が、金とか名誉とか、そういう下らないもののために必死こいてる姿って、最高に面白いじゃん?」


城戸の言葉には悪意はなかった。ただ、純粋な好奇心と、悪趣味なまでの人間観察への欲望が滲んでいた。杏里は、この男が自分と同じ種類の人間かもしれない、と一瞬思った。この馬鹿げた騒動を、一歩引いた場所から冷ややかに眺めている人間。だが、城戸の目には、杏里にはない種類の熱が宿っている。それは、この騒動を積極的に楽しもうとする者の熱だった。


「まあ、見てなよ。この町、これからもっと面白くなるぜ。なんたって、仕掛け人があのミヤビさんで、審査員にはヒイノタカシまで呼んだって話だからな」

「ヒイノ……?」

璃子が聞き返す。

「▒▒▒▒▒▒だよ。知らない? あのオッサンが審査員やるってことは、ただのほのぼのイベントじゃ終わらないってことだ。きっと、ぐっちゃぐちゃにしてくれる」


城戸はそう言って、心底楽しそうに笑った。その笑い声が、有線放送の歌謡曲と混じり合って、ドライブインの気だるい午後に奇妙な不協和音を生み出していた。杏里は再び窓の外に視線を戻す。灰色の空は、相変わらずそこにあった。だが、その下に広がる見慣れた町が、これから何か得体のしれないものに塗り替えられていくような、そんな予感がした。

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