田舎に扮する異常モノ
平和に温泉を
田舎に扮する異常モノ
窓から入り込んでくる空気のにおいが秋を知らせてくれる。都会に住んでいた時では感じられなかったことだ。周りは田んぼだらけだが、それが俺を落ち着かせてくれる。舗装されていないでこぼこな田んぼ道に揺さぶられながら軽トラで走っていく。
ここに住んでもう五年が経とうとしていた。それまではサラリーマンとして働いていていたが、都会に流れる時間の変化についていけず、今こうして時間がゆったりと流れる縁もゆかりもないこの田舎で暮らしている。最初は右も左もわからず、周りの人間に助けてもらいながら生活していたが、今ではもうこの生活と環境に慣れて、とても気に入っている。
周りが暗くなり始めてきたため、そろそろ車のライトでもつけようとその時に、一匹の犬が佇んでいるのを見つけた。
「おーい、そこにいるとあぶねーぞ。どこの子や?」
犬はベロを出してそのまま佇んだままだった。仕方がなく軽トラから降りて、その犬に近づいた。しゃがんで手を犬の頭の方へ撫でてみる。見た目は柴犬と何かの雑種であるようだった。近所でこの犬を飼っている家は確かいなかったはずだ。
「なーんだおめえ、迷子か?じゃあうちに来るか?」
冗談交じりに話しかけると犬は「わん!」と吠えた。俺は振り返って軽トラへ戻ろうとすると犬はついてきた。仕方がない、家に連れてくるか。
「ほら、乗れよ。腹減ってんだろ?家に帰って飯にすっか」
犬は何のためらいもなく、助手席に乗り込んだ。この犬賢いな…。
家に着くまでの間、犬はじっと前方の方を眺めていた。ここまでおとなしくて人に慣れているのは、どこかで飼われていても不思議ではない。念のために明日、仕事中に近所に聞いて回るか。
家に着き、犬に食べさせるものを探す。栽培していた野菜を収穫したときに売り物にならなかったものがあった。自分で消費するつもりだったがそれでいいだろうか。鮮度のいい野菜たちを取り出す。犬を玄関に待たせ、野菜をさっと洗い、食べやすい大きさにして、適当に皿に盛りつける。だが、ありつけようともしない。でもいずれ食ってくれるだろう。俺も簡単に野菜をいためて食べるか。
ある程度腹を満たした後、犬の様子を見ると冷たい床であるにもかかわらず、地べたに横たわり眠そうにしていた。少し悩んだが、犬を家に上げることにした。
「飼い主が見つかったらそこでぐっすり寝れよ」
犬はそのまま死んだように眠りに入った。風呂に入り、テレビを見ながら晩酌をする。程よく眠くなってきたので、片づけをしてそっと布団に入る。寝ている犬を見ながらそっと深い暗闇に包まれていくのを感じる。
生ぬるい風と独特のにおいで目を覚ます。犬と目が合う。そうだ、こいつと一緒に寝てたんだ。スマホに手を伸ばして時間を確認すると朝の4時半だった。ちょうどいい時間に起こしてくれたな。犬の頭をなでて、起き上がる。都会に住んでいた時より、起きる時間が早いが、当時に比べたら全然苦ではなかった。あの頃は、ただ人ごみに紛れて、感情を押し殺して、ただ無心に日々を過ごしていた。
外に出ると少しずつ空が明るくなってきている。今日は犬を一旦、留守番させることにした。聞き分けがいいとはいえ、畑作業を邪魔されては困るからだ。
軽トラを走らせ、午前中にやることを済ませて、野菜をおすそ分けするついでに町中の家に犬のこと聞いて回ることにした。しかしながら、誰もその犬のことを知らないという。きっと野良犬だろうとみんなは口をそろえて言う。にしては聞き分けが良すぎる気もするが。
買い物を済ませ、昼飯の準備をするために家に戻る。犬もきっと腹を空かせていることだろう。あと飼い主がいないのなら俺が飼って名前を付けなければ。
昼飯を食べている間、横にいる犬の名前を考えていた。本当は外で放し飼いをしておこうか迷っていたが、またどこかにいなくなってしまうことも考えて、基本、家に居させることにした。名前は…そうだな…「ジン」にするか。会社員時代、住んでいたアパートの近くでうろついていた猫にも「ジン」とつけていた。理由は特になく、その場でつけていた。
そういえば、あの猫はどうしているだろうか。引っ越し間際の時にはもうすっかり見なくなっていた。
「ジン、今日からお前の名前はジンだ。いい名前だろ」
ジン、と言う言葉に反応したのか、俺の方に振り向いてじっと見つめる。
「お、気に入ったか?この名前。いい名前だろ」
わしゃわしゃとジンの頭をなでる。ジンは「わん!」と勢いよく吠えた。
昼飯を食べ終えて、午後も仕事をする。ついでにジンも助手席に乗せて連れまわすことにした。名前を付けてしまうと急に愛着が湧いてしまうものだ。運転している間、ジンは家に連れ来た時と同じようにじっと前の方を見たままだった。移動中、一つの物陰が横を遮った。車を止め、ドアを開ける。
「おおーロンじゃねえか!元気か?」
黒柴が元気に畑道を走り回っていた。ここら辺に住んでいる吉田さんのところのロンだ。こいつも人懐っこいが、いたずら好きでも有名だ。よくそこら辺の畑に行っては小便をしまくる面白いやつだ。
「ロン!新しい友達連れてきたぞ!ほら、ジン、お仲間だ」
軽トラから降りて、ジンが降りるのを促す。ロンは相変わらず走り回っては小便をしている。ジンは降りるが、そのまま動こうとしない。しばらくすると吉田さんが近寄ってきた。
「あー吉田さん、お疲れさんです」
吉田さんは軽く手を上げて反応する。吉田さんは確か70代後半だが、そうとは見えないほどに背筋がスッと伸びている。
「今日もいい天気だね。こないだに比べて気温もだいぶ落ち着いた気がする」
雲一つない空を見上げたまま言う。真夏の時に比べて気温が低いとはいえ、まだ残暑を感じる。額に滲んだ汗を首にかけていたタオルで拭く。
「ほら、この子が前に話していたやつです。飼い主が見つからんかったんで、家で飼うことになったんです。名前はジンにしました」
そばで佇んでいるジンを見ながら言う。吉田さんはちらりとこっちを見て、すぐにロンの方へ視線を戻す。
「…そうかい、その子がね。で、最近はどうだい調子は?もうこっちに来てからどのぐらい経ったんかいな」
「ええ、最近は暑さも弱くなったし、すこぶる調子がいいですよ。まあ、でもこの前に来た台風で畑がだいぶやられちゃいましたけどね。でももう、こっちに来てから五年ぐらい経っているんで、慣れましたけどね。ここまでやれたもの吉田さんのおかげっすよ」
実際に吉田さんがいなければ、こののどかな田舎でも暮らすことはできなかっただろう。いわゆる村八分…とまではいかないが、部外者に対してどこか蔑んでいるところがあった。それでもここの暮らし方については吉田さんが手取り足取り教えてもらい、この町に馴染むことができた。
「元気そうならよかった。くれぐれも体調崩さないようにね。ここに来たときみたいにグズグズされても困るからね」
吉田さんはロンを呼んでそのまま家に帰っていった。俺もジンを軽トラに乗せて、仕事に向かう。相変わらずジンは助手席で前を向いたまま座っていた。ところどころ機械じみた動きをしている気がするが、それはきっとこいつが今動いたら危ないということを理解しているからだろう。中々に賢い犬だな。
ジンとの生活が始まってもう一か月以上が経つ。ここまで時間が経つと、ジンとの生活で狂っていた日々の生活リズムもほぼ完全に整っていた。散歩する時間も仕事している合間に自由に走らせて、仕事が終わるころにはちゃんと俺のところに戻ってきていた。ほんとに野良犬だったのか怪しいぐらいだ。
今日は午前の仕事は少し遅めの予定だったので、ジンを連れて散歩することにした。俺の後についてくるジンは健気でとても可愛らしく思う。どれだけ歩いても畑か田んぼぐらいしかない道でも楽しそうに歩いている。そんなジンを見ているとやはりここの暮らしがあっているのだなと深く感じる。しばらく歩くと前に二人組でしゃべっている年配の女性がいた。洋子さんと美久子さんだ。よくここらへんで雑談している奥さん達だ。
「洋子さんと美久子さんじゃないですか。おはようございます」
そう言って会釈すると二人は訝しそうにこちらを見た。
「あら、おはよう。元気そうね」
「最近、犬を飼われたそうで?」
二人は表情変えずに言う。
「えーそうなんですよ。名前はジンって言います。ほら、俺の後ろについてきてかわいいんですよ」
「…あの、どこに?」
「え?いるじゃないですか俺の後ろに…」
振り向くと尻尾を振りながら足にぴったりとくっついているジンがいる、はずだった。
「あなた…、少し休んだ方がいいわ。そこに何もないわよ」
冷たい風が一気に吹き抜ける。秋を知らせる冷たい風だった。
「上田さんのところ最近、様子がおかしいんですってね。何もないところに話しかけては微笑んでいるらしいわよ」
「あの人の家から悪臭するなと思って一瞬のぞいて見たのよ。そしたらゴミの山でびっくりしたわ」
「確か、あの人がここに来た理由が精神病にかかったからでしたっけ。その時はもう目つきが怖くって怖くって。それでも良くしてくれたのが吉田さんだったでしょう?あの人ももの好きよね」
「またかかったのかしらね?」
「この前、大きな台風来たでしょう?あれで畑と田んぼが壊滅状態になっちゃったみたい。そのせいかもねー…」
その時、向こうから軽快に名前を呼ぶ声が聞こえた。
「洋子さんと美久子さんじゃないですか。おはようございます─」
田舎に扮する異常モノ 平和に温泉を @temmagnu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます