アリスの為のカツレツ1

 力強く、そして決意を表情に表したモモ。そんなモモの瞳を見て霧島は一度目を瞑ると、こくりと首を縦に振った。

 メルエは食事の余韻を残しつつ、そんな健気な少女の願いを聴いて、クスリと笑った。

「そういえば、私は反対されてゴンドラ乗りになったな……」

「え? メルエ様は反対されていたのですか?」

 勘定台で支払いをしようと歩を歩めていたメルエは、衣服を靡かせてくるりとイザメルの方へ向き直ると、僅かな微笑を浮かべる。

「あなたも分かると思うけど、小さな体ではなにかと難しいのよ。でも困難を克服したいと願うのは誰でもじゃない。特にそれが夢なら」

 メルエの思いを聴いて、イザメルはその言葉の意味が痛いほどに分かった。誰にでも人に劣る部分や勝てない部分があるが、それを乗り越え夢を叶えた人は多い。

 大先輩のメルエはそんな人の一人。そして自分もこれから、そうなって行かなければならない者の一人だ。

「私だって負けちゃいられない」

 自分の前に、これから目指すメルエの姿が浮かぶ。だからイザメルは活を入れるように胸の前へ手を置くと、深く深呼吸する。モモと霧島は今後のなにかを喋っているが、モモと霧島の姿を眺めるように見て、メルエは勘定台に座るルクソワールへと言葉を投げかけた。

「お幾らかしら?」

「え? キリシマさんの支払いじゃないのですか?」

「ふふっ。冗談だったんだけど、どうも本気にされたようで。でね、こうなんかめでたいじゃない。だから3人分私が払うわ」

 そのメルエの言葉を耳ざとく聴いたイザメルとモモは、メルエの元へ駆け寄ってきて、制止の言葉を言った。

「私払います。メルエ様にお支払いをさせるわけには」

「そ、そうですよ。そんなんじゃ申し訳ないです」

 イザメルとモモの言葉を聴いたメルエは、そこで軽く肩を軽く竦め

「お姉さんがめでたいから払いたいと言っているのだから、言うことは聴きなさいな」

 と、メルエはからからと体には似つかわしくない程の豪快な笑いをして、財布を取り出したが、そんなメルエを見てルクソワールはなにかを考えるようにして顎へ手を置くと、ふむと言葉を吐いた。

「ふむ……めでたいからか……そうですね、お弟子さんのお話もありますし、今後のイザメルさんの期待も込めて、今回は出世払いと言うことで。ビックになられたらシェフ特製のスペシャルメニューをお頼みくださいませ」

「おねえも、なんていうか甘いな……まあ、それがいいところなんだけどもね」

 メルエ達の食器を片付けながら、フランカはその顔に微笑みを浮かべてルクソワールの声を聴いた。

「あら、甘いわね。そんなんじゃ駄目よ」

 しかし、そこで引くメルエでもない。ルクソワールへ忠告の言葉を言ったが、ルクソワールは目の前で指を振り、メルエに言葉を返した。

「甘くなるのは特別な日だけです。甘い物は別腹というではありませんか。うふふ」

「あなたも本当に面白い子ね。うん、ますますこのお店が気に入ったわ。私が全力を掛けて宣伝に取り組むわ」

「ありがたい限りです。とまあこんな感じの話になりましたが、キリシマさんは泣きそうなんですが」

「多分、財布の中身が辛かったのね。冗談は真面目な人にいうもんじゃないわね」

 ルクソワールとメルエは互いの顔を見合わせて可笑しそうに笑った。霧島は本当に目に涙を溜めて泣きそうになっているのを見て、メルエは溜息を吐くと霧島の方へ振り向き、霧島に向かって手をふらふらと振り、店外へと出て行った。

 その後霧島とモモと少しばかり今後の話をする事になる。霧島は手透きになった時間を見計らってモモに説明する。

「俺はパティシエ専門じゃないので、教えられる事には限界があります」

「そうなんですか」

「うん。だから基礎と作り方は教えられる。でも俺の知っている知識の全てを教えたら」

「ら……」

「その後は自分でその道を究めなければならない。俺も尽力はしますが、限界はあります。それでもいいですか?」

 正直意外な言葉だった。モモは霧島の才能には限界はないものだと思っていた。あんなに凄いフルーツタルトを作って見せた霧島から限界の声が聞こえたからだ。

「料理には大きく分けて大別があります。有名どころで言えば、日本料理、フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、ドイツ料理、ロシア料理、インド、中華、エスニック等々。でもねパティシエは西洋料理でありながら、専門はお菓子のみという専門の職人なのですよ」

 そう言うと霧島はにっこりと笑って昔の修業時代を思い出した。

「俺は今の時代はフレンチだけで行くべきじゃないと初めて学んだ師匠である、綾野梢に言われまして、一通りの事は全てやれと。いやね、俺も全ての料理が好きで興味もあったので、喜んでやりましたが。いや、なんとも女性とは凄いものだと思わせる程の凄腕シェフでしたよ先生は。そういえば折原の奴は元気にしているのだろうか」

 途中、聞き慣れない外来語が混じったが、霧島は記憶喪失という噂があるので、その関係の話かなとモモは思うので深く突っ込まない事にした。

「は、はい」

「いや、話が逸れて失礼しました。なんだかモモ君を見ると昔を思いだしましてね。で話に戻りますが和菓子、洋菓子、アイスクリーム。それに合うお茶、そして見事に見せる飾り付け。それらが全て一体となる必要性がある難しさがあります。だからこそコックとパティシエ、そしてソムリエなどが別れているんです。個々に特化した能力とも言うべき感じでしょうか」

「ソムリエ?」

 またしても聞き慣れない外来語にモモは首を傾げ、疑問口調で霧島に聞き直した。

「どの料理に最適なお酒が合うかという事を極めなければならない高度な職です。俺も一応どのワインがどの料理にあうかという研究をしましたが、それでも本職じゃない。でモモ君が極めるのは、説明した通りパティシエです」

 霧島はコック帽を外し、少し息を吐いてモモに説明をした。この時点でモモは霧島がなにを言いたいのか分かった。そう霧島はコックと言われる職に属する人なのだと。だからモモはこくりと首を立てに振ると頷く。

 そうパティシエが専門職ではないのだと。だから最後の道は自分で極めなきゃいけないんだと。

 得心したようなモモの表情を見て、霧島は顎に手を置きながらこう言った。

「それと教えられる時間ですが、閉店後の数時間、そして俺が料理の研究をしていない休日でもいいですかね。出来ればモモ君が日頃から作ってくれて味見させてくれると嬉しいかな。それを元に助言はできますからね」

 霧島は腰に手を置き、柔和な微笑みを浮かべるとモモに最初の助言をする。自分の味見をしてくれるのが嬉しくてモモは、はい! と大きく頷くのだった。

 これから自分には輝ける未来が待っているとモモは思うと、心が躍り、恋する少女のように胸がときめくのだった。

 だが……それから四日した辺りだろうか、ある異変が訪れた。それは……

「キリシマさん」

「ん?」

「昨日モモさんが来なかったですね。どうしたんでしょうか」

「うーん。具合でも悪かったとか。隣なんだから見に行けばいいのだけど」

 そう言いながらも霧島は言葉を言い淀んだ。二日前にみたモモと今朝喫茶店の玄関を掃除していたモモとは様子が明らかに違う。

 言うなれば非常に気まずい雰囲気であり、霧島を見るとなぜかモモは目を逸らし、店内へと逃げてしまうのだ。

 これはただ事ではないと霧島は思っている。昨日まで可愛く、純真な様子で少女らしい笑みを見せていたモモ。

 でも今朝のモモは違う。なにか思い詰めている様子で、そして悲しい感じのする女の子へ様子代わりをしていた。

 原因は分からないが、あの落ち込み様は生半可な物とは思えない。

 これ以上来ないようであれば、一応の原因は聴いてみようと霧島は思っている。それで悩みを振ってくれるのであれば相談ぐらいは乗ることはできる。

 相談に乗った上で独力で解決できない問題であれば、些細ながら力になりたいとも思っている。

 師匠と弟子の関係だが、それでもコックとパティシエを目指す者としてはなにかと通じ合う物がある。

「ふむ……どうしたものか、どうもこちらから行かない方がいい気がする」

 霧島はルクソワールの瞳を見つめながら、呟くようにそう言った。霧島の言葉に、ルクソワールは小首を傾げて疑問顔をするが、霧島はいやこっちの話だからと言葉を濁した。

「さて、どうしたものか」

「というかさ、キリシマさ、さっきから手止まってるんだけど。おねえも勘定をさっさと回す」

 二人とも考えている場合ではなかった。メルエの宣伝のおかげか結構のお客さんが来てくれている。注文順に料理や勘定を行わなければ間に合わないぐらいだ。

 とりあえず、全てを片付けてから考えようと霧島は作業へと戻るのだった。

 そしてお客さんが大分空いてきた夕日が少し下がり始めた夜に事が起きた。

 それは……。

 門扉を潜り、レストランの中へモモが駆け込んできた事だ。モモはとても慌てている様子で、自分の背後をなんども振り返る有様だ。

「はあ、はあ。師匠……」

 息を切らすモモ。きっと走ってきたのだろう。そんな切羽詰まった様子のモモに一同が駆け寄ると、霧島はモモの顔を心配そうに覗き込みモモへと声を掛けた。

「どうしたんですか……」

 ただ事ではない様子のモモを見て、霧島は言葉に詰まった声を出した。まずは落ち着かせる事が第一と思い、霧島とルクソワールはモモを席へと促す。

 力ない足取りで歩くモモ。一方フランカは、モモがなにかに追われているのかと思い、店外へと出ようとするが、それを霧島は制止した。

「出ちゃだめだ。フランカちゃん!」

 これだけ慌てているのだ。ひょっとすると不審人物の可能性もある。だから霧島はフランカの勇み足の行動を制止した。

 霧島にそう言われ、気がついたのかフランカは店内へと逆に引っ込む。

「うぐっ……えぐっ……」

 席に促され、泣いてしまうモモ。顔を手で覆い、その顔は見えない。でもモモはその幼さの残る声からこんな言葉を漏らした。

「師匠……私はどうしたら……」

 モモの肩に手を置いた後に、霧島はモモの対面へと座り訳を訊く。

「とりあえず、なにがあったんだ? それを訊かないことには分からない」

「そ、それが母がパティシエ、いえお菓子職人を目指す事は許さないと……花屋と継げばいいと言うんです」

 霧島の顔を見て、瞳から大粒の涙を流しながらそう言うのを見て、霧島は心の中にある疑問が解消された。

 それはモモの様子ががらりと変わった理由だ。家から反対されると、年頃なモモには反抗する術はない。

 しかし、反抗する術はないと言っても、それは家の問題であるので、自分がしゃしゃり出る事もできない難しい問題だ。

 しかしとは言っても、反対している理由ぐらいは訊かないといけない。ひょっとしたら自分が解決できるかもしれない問題の可能性もあるからだ。

「モモ君、どんな理由で反対されているんだ?」

「それは……」

 モモが口を開こうとした瞬間に、またしてもレストランの門扉が開かれる。フランカがその人物へと目をやると、綺麗なご婦人だった。

 見ようによってはモモに似ていなくもない様相から垣間見えるのは冷めた目線。その目線は霧島に向けられており、霧島はなんとなくだが、この人がお母さんなんだろうなと直感で分かった。

 だからこそ霧島は決して目を逸らす事はない。むしろ逆にその目を見返す。相手も冗談の欠片もない程に真剣だからだ。

「モモ、家に帰りなさい」

「いやよ。私はパティシエになりたいの」

「まだそんな事を……」

 母の言葉にいやいやと首を振り拒絶するモモ。モモの母、アリスは僅かに顔を歪め歯を噛みしめる。

「どうしてお母さんの気持ちが分からないの? 内の花屋を継げば安泰だというのに」

「確かに安泰だわ。でも私には職業を選択する条件はないのお母さん」

「他の道ならまだ寛容になったわ。でも……」

「でも?」

 その話に割って入ったのは霧島。でもと言い淀むモモの母の言い分が聞きたくて仕方がない。他の職業は寛容になるが、なぜ料理はだめなのだろうか。

 アリスは少し目を細めると霧島へこう言い切った。

「美味しい料理なんて作れる訳がない。いえ、この世界にあるわけがない」

「……」

「私が料理の道へ行くのに反対するのには理由があります。過去にこの王都でおいしいらしいと評判になったレストランがあります。私は興味津々でその店に行きましたが、でも実際に食べて見たら美味しくもなんともなかった」

「……なるほど……」

「みんな分かったんでしょうね。美味しくない料理だったと。何故ならその店は直ぐに潰れてしまったんだから。ここで私は思うようになりました。美味しい料理はまやかしだと。そしてそんな直ぐに潰れる店を持つ世界に入って欲しくはないと」

 アリスは霧島を見下ろすようにして吐き捨てるように言ったが、そこで霧島は何故か笑みを浮かべると肩を竦ませる。

「ふむ……では美味しい料理を食べたこともないのに反対していると言う訳ですね」

「反対もなにも、この国に美味しい料理なんて……」

「では、俺があなたを認めさせる美味しい料理を作った場合はどうなります?」

「私も商人の娘です、モモは自由にさせましょう。もっとも美味しい料理なんて……」

「作りますよ、食べた事もないのに決められるのは正直面白い話じゃないです。世界を巡れば料理人が努力して出来た美味しい料理があるかもしれないのに。それではここの席へどうぞ」

 霧島は自分が座っていた席へアリスを促すと、アリスはモモと対峙するように対面へ座る。

 正直な話だが、霧島がこの勝負を受けて得をする事はなにもない。だが、食べた事もないのに決めつけた言葉を言ったアリスに少し苛立ちを覚えたのは確かだ。

 そんな凝り固まった考えで娘の将来を決めてもいいのかと。この話はモモ為でもあり、自分の為でもあるのだなと霧島は思うと厨房へと入っていく。

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