ルミリアの為の牡蠣ご飯と、タケノコとワカメのお吸い物

 とうとう開店の日がやってきた。ルーベンス指導の下、全ての火気全般の調理器具が揃い、霧島が必要な雑貨も全て揃った。

 開店時間はルイーダ時刻のAM10時。一般のレストランにしては早い方だろう。その一時間前。ゴンドラに乗って、中央左辺地区に立ち並ぶ王城を眺めているのはルミリアであった。今日もとても良く晴れており清々しい青空が広がっている。

 ゴシック方式と似た王城の空には白の鳥が飛び交い、朝を告げるのには丁度いい。

 中央のグレンセール広場にある大鐘からはカーン、カーンという鐘が鳴り響き、そこでルミリアはふっと広場の方を眺めた。

「もう九時ですか……」

 定期的な時間に打たれる鐘の音を聞いてそう言ったルミリアだが、そこで先頭に次の降り場で降りる事を告げると、先頭は畏まりましたと深く頭を下げた。

 船着き場でルミリアは姿勢を保ち、先頭の手を掴んで降りた。場所は霧島が店を構える中央商業地区。風がはらりと舞い、白色のドレスを身に纏ったルミリアを凪いだ。

 おしとやかと思えるドレスには、控えめなフリルやレースがドレスにはあしらわれており、落ち着いた街の情景に溶け込むように、ルミリアは絵画を想像させた。

 ルミリアは透き通る髪に手をやりながらぶつりと独りごちる。

「早く着きすぎたかしら」

 何事も早く行動してしまう自分の事を少しだけ恨めしく思える。仕事の時にはしっかりと時間とタイミングを計るのだが、どうもオフの時の自分はそのたがが外れてしまうようだ。

「おはようございます。ルミリアさん」

「おはようございます」

 花屋の娘のイザルメが花に水をやる手を止め、ルミリアに挨拶する。ルミリアもイザメルへと挨拶すると、イザメルは敬礼する。

 歩を進めて、カフェーの前を通り過ぎると、その店の娘のモモが掃除の途中なのか手を止めてルミリアに挨拶をする。

「おはようございます」

「おはようございます」

「おう、おはよう」

 ルミリアとモモの挨拶を聴いて、向かいの店でパン屋をしている主人が店から顔を出し挨拶をする。

 爽やかな朝だとルミリアは思う。良き住人に良き街と天気。そんな中をルミリアは歩き、霧島の店の前へと着く。

 店の前でルクソワールはドレスの裾を地面につけながら、花に水をやっている。ルクソワールは淡いピンクの唇へ指をやると呟く。

「良い天気」

「良い天気なのは分かりましたから、ドレスは地面につけない」

「あー、ルミリアさん」

 ルミリアの声を聞いて、ルクソワールはドレスをたゆたわせながら、立ち上がった。貴婦人の振る舞いをルミリアから受けたルクソワールはまさにそれに見えなくもない。

 ルミリアの声を聞いたフランカはレストランの扉を開け、急ぎ足で出てくると大きくお辞儀をする。

「おはようございます。ルミリアさん」

「おはようございます。そして走らない」

「すみません……」

 村での感覚が取れないのか、ルクソワールもフランカもつい不作法な事をやってしまうことが多いが、そういう些細な事も、この王都で店を構えるからには注意していかなければならない事だ。

 でも、とルミリアは腰に手をやると溜息をつくと、でも何事も急には無理ですから慣れは少しずつですかねと呟いた。

「少し早かったかしら?」

「い、いえとんでもないです。ささっ」

「ささっ」

 ルミリアの問いを聴いてルクソワールは手に持っていた水やりを持ち上げる。それを見ていたフランカがルクソワールを手で制し、フランカがメイド服を翻しながら手を扉の方へと向けると、真鍮のノブに手をかけて、ドアを開きながら深く頭を下げた。

「ようこそ、ラ・ラファエルへ」

「はい」

 フランカの促しをうけて、ルミリアは店の中へと入っていく。そんなルミリアの背を見守るようにルクソワールは深く頭を下げるのだった。

 ルミリアが店内へと入ると、落ち着いた店内に一つの花が咲いたように見えた。更に今ではどこかのご令嬢と、そのメイドと化したルクソワールとフランカが混じる事によって、幻想的な雰囲気を感じさせられる。

 厨房から霧島が出てきて、ルミリアに深く頭を下げると、おはようございますと挨拶をする。

「おはようございます」

「おはようございます。少し早かったでしょうか?」

「いいえ、そんな事はありませんよ。今朝、朝食は食べられましたか?」

「い、いえ……」

「?」

 ストレートに聴いた霧島にルミリアは顔を背けると頬を朱色に染める。

 あなたの料理が楽しみで、食べてません、とはとても言えない。い、いえという言葉で食べていない事が解った霧島は、それではお待ち下さいと言うと厨房へと戻っていく。

「ささっ、どうぞ」

 ルクソワールはドレスを揺らしながら、ルミリアを席へと案内すると、ルミリアは優雅な動きで席へと移動すると椅子に座った。

「では、そうだな。今日はあれで行くか。朝食に丁度かもしれない」

 厨房から聞こえる霧島の声をルミリアは聞いて、小首を傾げる。あれと言われてもなにがなんだか解らないからだ。

 ルミリアはおいしい物が好きだ。休みの日には友達と旨い物巡りをするほど。でもなにを食べてもルミリアにとってはいまいちだと毎回思っていた。

 ルミリアの友達は多岐に渡り、メイド仲間や街の住人、更にはゴンドラの女性船頭などがいる。

「……そういえばあれを食べてみたいな」

 ルミリアは小さな頃に連れて行かれた村を思い出す。家族と共になんの用だったか忘れたが、その村で食べた名前も知らない幸が凄く美味しかった事を思い出す。

 村の漁師である小うるさいお爺さんが出す、とても美味で頬が落ちてしまいそうな食材を思い出し、ルミリアはあの味を口内で再現してみるが、できる訳もなかった。

 どうも海に潜らないと取れない物らしく、貴重な物なんだぞということを、そのお爺さんが熱く語っていたが、自分は食べる事に夢中で正直お爺さんの話は全く聞いていなかった。

「名前なんでしたっけ」

「うん?」

「いえ」

 独りごちたルミリアにフランカは服を揺らしながら振り向くと、膝に手を置きながらフランカに言った。

「いえ、昔ですね。家族と一緒に行った村で食べた物がおいしくて夢中で食べた記憶がありまして」

「なに村ですか?」

 勘定台の椅子に座っていたルクソワールが衣服を翻して歩みながら訊いてくるが、ルミリアは顎に手を当てるとうーんと唸る。

「なに村か、全く覚えてないんですよね。本当に小さな頃に行ったものでして。そこで食べた魚介類、いえ貝がおいしくておいしくて、なんか小うるさかったお爺さんの話を全く聞かずに食べていた覚えがあります」

「小うるさいお爺さん?」

「ええ、陽気な人だったという印象はあります。名前も知りませんが」

「まさかね……」

 うるさい、そして陽気な人という言葉を聞いてフランカは頬に手を当てると、そう言えばトマスさんも言い方が悪いがうるさく、陽気な人だったなと思う。

「トマスさんのような人ですね」

 ルクソワールはにっこりと笑いながらそう言ったが、ルミリアはトマスさんって誰ですかとルクソワールへ聴いた。

「あのですね。お魚にとてもうるさい人で、味にもうるさい人です。ずっーと喋っている感じの人です。特に笑い声が……」

「だねえ、おねえ。うふふ」

「私はその人が笑って喋っているイメージしか想像できません。懐かしいな……」

 小さな頃の事を思い出し、ついルミリアは微笑んでしまう。小さな頃は大変失礼な事をしていた物だと。

 一生懸命に喋るお爺さんに、無我夢中で美味を貪っていた自分。それでも豪快に笑い、どんどん食べろ的感じで美味を進めてきたお爺さん。

「懐かしいけど、謝りたいなと思います。なんの話をしているのか真剣に聞いておくべきだったと」

 ルミリアそういうと若干後悔を混ぜた笑みを浮かべる。会話をしている最中、ルミリアの鼻孔に磯の香りが入ってくる。なにか甘酸っぱい爽やかな香りの中に磯の香りが含まれており、ルミリアはなんだろうと思ってしまう。

「なんだか懐かしい香りのような……」

 厨房から聞こえてくるのは、今度は流水が流れる音。ついルミリアはその音に反応する。厨房からカランという音が聞こえ、その中になにかが入れられる音がする。

 暫く時間が流れ、ルミリアがなんどか厨房へと振り返る。ふんわりと厨房から蒸気が出ているのが分かるほどに温かい。そんな蒸気には僅かな清酒の香り、そして甘い、そう例えるなら醤油となにかの出汁が煮詰められているような良い感じの香りがする。

「なんだろう、この良い香り?」

 なんだかわくわくしてしまい、一瞬香った香りをルミリアは憶測してみる。だが次の刹那、食堂内へある香りが満たす。

 それは磯の深い香りであった。蒸気にまざって入ってくるその甘美な香りを嗅いで、ルミリアはごくりと喉を鳴らしてしまった。

 貝類が煮詰められ時に出る、ほのかでもあり、濃厚な香りがルミリアの鼻孔を通じて胃を攻撃し始める。

「良い香り」

 つい立ち上がって、その香りの正体を確かめたい気持ちに駆られたルミリアだが、そこで膝に手を置いて我慢する。

 ほのかに香る磯の香りを嗅いで、ルミリアは懐かしい感覚を覚える。この香りには既視感がある。

 その時は焼いたときの香りだったが、今は煮たか、蒸したかのような薫り高い香り。まさかとルミリアは口に手を当てた。

「そんな、まさか。この香りは……」

 ルミリアは立ち上がっちゃいけないと思いつつ、ついに立ち上がってしまい。顎に手を置いてうろうろと食堂内を歩いてしまった。

 いつもな平静なルミリアを見ていたフランカとルクソワールはえ? とルミリアの行動をみて口をあんぐりと開けてしまった。

 そんなルミリアの鼻孔に新たな香りが入ってくる。それはふんわかとした白磁の蒸気を上げ食堂の中を満たしてくる。

「こ、この香りは。まさか米を炊いているというの……」

 秦国に長期間滞在していたルーベンスは米をたまに食べる事がある。そうまさにこれは米の炊いた香りに違いない。

 でもなにかが違う。同じ米を炊いた香りでも上質感が溢れるこの香りはなんなのかと思い、ルミリアは唾液を嚥下する。

 ルミリアは燻る湯気の後を追うように、足がステップを刻んでしまい、気がつくと厨房の前に居た。

「もう少し待って下さいねルミリアさん」

「い、いえ」

 カウンターから中を覗くルミリアを見て霧島はわずかに笑うと素早く手を動かした。はしたないと思いルミリアは両頬にぱんと手を当てると、なんどか厨房を振り返りながら席へと戻っていく。

 席へ戻って幾分かの時間が流れ、その間には出汁と白米、そして磯の香りのなにかが優美な香りを放ってルミリアの正常心を奪っていく。

「ううう……」

 厨房から湯気と共に甘美な香りが溢れ、ルミリアはその香りを目で追っていたが、厨房から霧島の声が聞こえた。

「できましたよ。ルミリアさん」

「ま、待ってなど……待ってなど、い、いませんから。じゅるり」

 自分の口から溢れ出たはしたない唾液を啜る音に、ルミリアは目を丸くして俯いてしまった。

 そんな事など知りようがない霧島は、厨房から歩んできて、ルミリアの席へと歩んでくる。ルミリアの席で止まると、霧島は深く一礼し、お盆に乗った料理をテーブルへと並べていく。

 恐る恐るルミリアが目線を上げると、目がくわっとした状態で見開いた。口はわなわなと震え、喉の奥から絞り出すような唸る声を出した。

「こ、これは、あのときの貝……」

「牡蠣ご飯と、タケノコとワカメのお吸い物でございます」

 磯の香りをふんだんに香らせていた正体は牡蠣であった。牡蠣を見てルミリアはごくりと喉を鳴らす。

 真珠のように煌めく、ぷるんとした白色の身の縁には食欲をそそる黒。そんな牡蠣ごはんはアートのためか、外面は黒色、内面は白色と言った土鍋に入った状態で彩られており、そのアートを見るだけで、きゅっとお腹が鳴るくらいだ。

 牡蠣は真珠のように白色でありながらも、縁だけが黒い。そんな牡蠣を見てルミリアは芸術だと思ってしまう。

熱い湯気を放つ牡蠣の隙間には、頂きを目指すようにしっかりと立ったご飯が敷き詰められており、牡蠣と同様に湯気を放つご飯は、調味料によって、僅かながらに茶褐色へ変化しているのがルミリアには分かった。

 そんな牡蠣ご飯の上には、細かく刻まれた爽やかな緑を保つせりが少々乗っており、アートを更に昇華させたエレガントと思わせるにふさわしい。

 熱い湯気を出す透き通った泉のようなお吸い物に目をやってみる。薄い茶系のタケノコというものは正直なんなのか分からない。食べた事がないので未知な物に感じる。

 そんなタケノコに纏わり付くように、新鮮な海の恵みを受けて育ったワカメがふんわりと浮いているのを見て、ルミリアはお腹が空いてしまい、目がくるくると回りそうになる。

「本当はお吸い物にも、もう少し緑のアートが欲しかったのですが、今回は入荷してないそうで、残念です。でも味は保証致します」

 ルミリアの横顔を見ながら霧島は力強い声を出した。ルミリアはそんな霧島の顔を横目でちらりと見ると、お盆に置かれている小刻みに震える手で持った。

「ううっ……」

 幼い頃に無邪気にむしゃぶりついた牡蠣というものを思い出す。震える手で土鍋の中に入った牡蠣をスプーンで掬い取る。

 掬い取る事によって、ぷるんとした弾力を持った身が跳ね、ふんわりと磯の香りと湯気が漂う。ルミリアは牡蠣を目の前に一度持ってくると、目を細めて口の中へと入れた。

「はふ、はふ……はふん、うううううううう――!?」

 この磯の味とコクのある風味。そしてこのぷるんとした感触。噛むことによって牡蠣の身が解れ、汁がじゅわりと口内で溢れる。

 そうこの味は幼い頃に食べた味。口をきゅっと締め、目を瞑って天井へ顔を向けた。温かい味に頬が紅潮していく、口とは裏腹に頬が緩むのを止められない。

 ほのかな清酒の味や醤油、昆布、塩が牡蠣と混合するように口内へ染み渡りルミリアは手をぷるぷると震わせた。

「――うきゅっ――!?」

ルミリアは声でもない声を上げ、今度は恐る恐るとした感じで、うっすらと茶色になった頂きに向く米と牡蠣を同時に掬って口へと入れた。

 これが破壊的な味だった。白米に染みこんだ調味料と、元よりある白米の味が絡みつき、更に旨く炊かれた弾力のある米とが見事な調和を満たしている。

 更にそこへ牡蠣の芳醇な味が流れ、口内で混ざり合い事によって美味へと化している。

「もぐもぐ……ふわー」

 牡蠣が王女なら米は王。調味料はその王と王女を守る衛兵。そんな王と王女を頂くことに至福の幸せを感じる。

 そして、とルミリアはお吸い物に目をやるとスプーンを中へと泳がせる。泳がせると中からお吸い物とタケノコとワカメを掬い取って息で冷ました。ルミリアはこれは一体どんなスープなんだろうと思い口の中へと入れた。

 ふんわりと出汁の効いた味が口内へ広がり、牡蠣ご飯の味を洗い流すかのような錯覚を覚える。そのお吸い物たるや騒ぎすぎた王女と王を窘めにきた元老院のような錯覚を覚えた。

 お吸い物のタケノコのほのかに甘い味と芳醇な香り、そしてワカメの爽やかな味が口内へ満たし、今の自分の幸せさを感じる。

「し、幸せ……」

 そう言いながらルミリアは童心に返ったかのように、牡蠣ご飯とお吸い物を食していくのだった。

 食べ終わったルミリアは、一度ごほんと咳払いをして、今日の事は、そのー、見なかった事にとばつの悪そうな表情をした。またやってしまったと、どうして自分は美味しい物を食べると、こうも子供のようになってしまうのだと自虐めいた思いを浮かべたが、そんなルミリアの顔を見ながら霧島は一礼しながら言った。

「私たち料理人は、そのお話に出たお爺さんも含めて、料理をおいしいそうに食べてもらえる事がなにより嬉しいんです。例え黙っても、無我夢中でも。だからお爺さんは話を聞いていないと言って不機嫌になったり、怒られたりしましたか?」

「い、いえ。頭を撫でられました」

「私たちにとっては、それほど嬉しい事なんです。そうお爺さんにとってもその牡蠣には誇れる思いがあったのでしょう」

「キ、キリシマさん」

 心の中で僅かな後悔があったルミリアの心を見抜いてか、霧島は柔和な微笑みを浮かべながらそう言ったのを聴いて、ルミリアは一度目を瞑ると

「はい……」

 と、長年思ってきた気持ちに終止符を打つように、きゅっと服の袖を掴みながら頷くのだった。

「でも、仕事の時とオフの時のギャップが見れて楽しかったことも事実ですが」

「……それは言わない」

 霧島は顎に手を置きながら笑うのを見て、ルクソワールもフランカも笑みを浮かべて笑う。そんな一同、いや霧島の手をぽんと叩くと色っぽくルミリアはそう言うのだった。

 こうして恩返しの為の料理が終わった。

 

 後日。

「たのもー! たのもー!」

 と店内の前で騒がしく、霧島を呼ぶトマスを窘めようとルミリアが扉を開けてルミリアは目を丸くする。何故なら――

「あなたは……あのときのお爺さん」

「うん? どこかで会ったかの?」

 という電撃的な再会を果たしたのはまた別の話だ。

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