第12話 GATE技術

橘所長はお茶をひと口含んでから続けた。


「坂崎君、君が今まで見ていた科学の常識というのは、全て物質ありきの法則であり、定理であり、実験結果なんだよ。3次元世界でオブジェクト ––物体を見る角度を変えると違う形に見えるように、全ての事象は視点を変えて見ると世界の仕組みそのものが違って見えてくる。まさに常識をひっくり返すくらい劇的にね」


「常識をひっくり返す……。学生の頃に習った科学知識は全て間違っていたってことですか?」


「この世界で目に見える事象は、既存理論でもほぼ正しく表現出来ているわけだから間違いとまでは言わない。しかしそれは、立方体の1面に過ぎず、残り5面が説明不能な不完全なものだっただけの話だ。科学の良いところはね、不完全な理論を新たな理論で再構成出来るところなんだよ」


「物事が2次元でしか見えていなかったと?」


「まぁ、そういうことだ。もちろんGATE理論でも説明がつかない部分もあるから、立方体ではなくて正12面体が正解かもしれないけれどな。 坂崎君、さっきから目が泳いでるぞ。大丈夫か?」


「あ、はぁ、続けて下さい」


「心許ない返事だな。だが、ここからが本題だ」


 こんな調子で始まった橘所長の説明がひと段落したのは、1時間ほど経った後だった。

俺の脳みそは最初からオーバーロード状態で、いつ耳から煙を吹いて倒れてしまうかとヒヤヒヤしていたのだが、煙が出る直前に解説を終わらせるとは、やはりこの人は天才なんだと畏敬の念を抱いたことは言うまでも無い。


 俺が理解した内容はこうだった。


 GATE技術が実用化されていなかった25年前は、従来型スーパーコンピュータから2桁超の高速処理が可能な量子ハイブリッドコンピュータが実用化され、これ以上は高速化が難しいと言われていた。

当時、研究所を起ち上げてすぐだった橘所長が率いるチームによって、処理時間という尺度は取り払われることになる。

 橘所長が開発したのは、あらゆるスーパーコンピュータを凌駕し処理時間をゼロにするというGATE技術だったのである。


そのGATE技術を初めて搭載したGATEコンピュータが『天玲』だ。


 『天玲』は2台の量子ハイブリッドコンピュータをGATE技術でリンクしたユニット単位で構成される。

1台目はタチバナ研究所の敷地内にあるが、2台目は信じがたいことに平行宇宙にある地球とよく似た環境の惑星に設置されているという。

 これまでの理論では、ブラックホールの相互作用で作られる不安定なワームホールを抜けて、運任せで平行宇宙に行くしかなかったのだが、タチバナ研究所は安定的に再現性のある接続を地球上で可能とした。


 コアな技術は次の3つだという。

1.膨大なエネルギーを生成する技術

2.生成したワームホールを安定化する技術

3.接続座標を特定する技術


 次元の壁を超えるための膨大なエネルギーは時空のゆらぎから得るという。

極めて周波数が高い高エネルギーのガンマ線レーザーを円周上に配置し、焦点をらせん状に収束させながら打ち込むと、時空間と共振して歪みが生じる。

 時空の歪みは、地面をスコップで掘った穴に雨水が集まるのと同様に周囲のエネルギーを集め、集まったエネルギーはさらに時空間を歪ませて深い穴になり、最終的には時空の井戸へと発展する。

井戸が深くなるに従ってガンマ線レーザーの周波数を変調させて井戸を狭くすると、井戸に落ち込むエネルギーが溢れ余剰が生まれる。

そのエネルギーをフィードバックし動力源に充当することで、エネルギーコストを下げつつ井戸を深くすることが出来る。

 井戸は最終的に時空を貫通し、反対側が隣の宇宙に接続するワームホールが形成される。

ワームホールを安定して維持するためにはエネルギーを与え続けることと並んで、遮蔽シールドで余計な時空のゆらぎから受ける影響を遮断する必要がある。

遮蔽シールドの仕組みはノイズキャンセラと同様で逆位相のゆらぎを与えれば良いだけだという。


 オペレーションルームでは、目の前の空間が渦巻き状に歪んでいくところが見られるというが、ワームホール自体は光も電磁波も全く反射しない、見た目が真っ黒な遮蔽シールドに覆われていて見えないそうだ。


 ワームホールの接続先は平行宇宙にある『天玲』2号機なのだが、平行宇宙は、この世界の5倍の速度で時間が流れているという。

こちらの世界で1分経つと、向こうではすでに5分が過ぎている計算になる。


 5倍という時間差を利用して処理の高速化を図っているのだと思ったが、橘所長から「それでは処理時間ゼロにはならないよ」と指摘され初めて気が付いた。

 ワームホールの接続は平行宇宙の3次元座標ではなく、時間も含めた4次元で指定すれば、処理が終了した時間に接続することが出来る。

だから処理時間はゼロになるそうだ。


 では、2号機の処理終了をどうやって把握するのか?

処理が終わるであろう時間を大雑把に予想して接続すれば同じ結果は得られるかもしれないが、それでは効率が悪い。

なぜなら、制御する時間が未来になればなるほど必要エネルギー量が膨大になるからだ。



 無駄を省いた4次元座標の特定には1号機、2号機間で、量子もつれを利用した量子ビットを使う。

1号機と2号機はGATEを通した時空間通信 ——GATEネットワーク—— で接続し、2号機に処理をリクエストしてからワームホールを閉じる。

2号機は受け取ったリクエストを処理し、結果が出たら、経過時間を量子ビットにセットする。

平行宇宙との接続が断たれた状態では時間の概念がなくなることから、ワームホールを閉じた直後に量子ビットが接続座標を返してくる。

1号機は処理終了時刻を加味した4次元座標に接続して結果を受け取るため、見た目処理時間ゼロを達成しているわけだ。



「今さらこんな質問で申し訳ないんですが、処理時間がゼロになるってそんなにすごいことなんですか?」


「どんなに複雑で時間のかかる処理でも即回答が得られることのメリットが何か。本当に今さらな質問だな。コンピューターの進化の歴史は全て処理速度向上が目的と言っても過言では無いのだよ。例えば、無限の組み合わせが考えられる素材開発では、優位性がありそうな素材の物性シミュレーションだけで年単位の時間が必要だ。それが処理時間ゼロなら、どれだけのメリットがあるか。身近なところでは、気象予測などの環境シミュレーションだ。雨が降るかも?なんて心配しなくて済むだけでなく、農業プラントの消費エネルギー削減にも絶大な効果を発揮している。今の世の中、GATE技術無しでは成り立たないくらいなんだがな」

あきれたような言葉とは裏腹に、橘所長の目は実に楽しそうだ。


「ちなみに、ワームホール生成に関する技術を応用すれば重力制御も可能なんだよ。だがね、現時点ではまだ連続時間の精密制御は困難だ。制御が困難というよりエネルギーが維持出来ないと言った方が正確だな。100年前のアニメにまだ現実は追い付かないということになるのだが」

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2025年12月19日 07:00
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美雪とミューキー よしなし つづる @wildtext

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