『貴方だけの一番に』
夏の蒸し暑い風が吹いている屋上で、彼女は待っていた。
「……ねえ、あのさ、なんで君、あの子と話してたの?」
「え?いや、普通に生徒会で、、、、ってどうしたんだ?」
「いや、別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、ちょっとだけ気になっただけ。気になって、考えて、頭から離れなくて、夜眠れなくなって、ご飯の味も分からなくなって、指の皮を剥がす癖がまた出てきちゃって、気づいたら制服の袖が赤く染まってた、っていうだけ。うん、本当にただの好奇心。ねえ、そんなに大した話じゃなかったよね? あの女、なんて言ってたの? 君が笑ってたのが気になって。どうしてあの時、私じゃなくて、あの子に笑ったの? 笑い方が違った。私のときと、ちょっと違ってた。歯を全部見せるような、そんなふうに笑ってた。あれ、好きな人に見せる笑顔だよ。……ちがう? ちがわない。だって私はずっと見てるんだよ。誰よりも君の表情に詳しいんだよ。授業中も、休み時間も、下校中も、SNSの投稿も、家の灯りの点く時間も、全部、私は知ってる。知ってるのに、君は私を知らないふりをする。
悲しいなあ。
こうして、今日も一緒に屋上に来てくれて、嬉しいと思ったのに。
君が「いいよ」って言ってくれたとき、本当は、飛び跳ねたいくらいだったんだよ。でも我慢した。怖がられたら困るから。だから普通の顔をした。「ありがとう」って普通に言った。内臓が全部沸騰してるみたいだったけど、ちゃんと抑えた。だって君に嫌われたくないから。我慢するよ。君が望むなら、私はどこまでも普通でいる。普通の、静かで、控えめで、少しだけ個性的で、でも誰にも迷惑をかけない、理想的なクラスメイト。そういうふりなら、いくらでもしてあげる。だから、お願い。見ていて。私を。ずっと。
……君はさ、優しすぎるんだよね。誰にでも。だから困るんだ。みんなが君に勘違いする。みんなが君を好きになる。私が、どうやってそれを見てると思う? 心臓の形が変わる音、聞いたことある? 私はあるよ。君が誰かに向けて笑うたび、私の心臓が変な形になるんだよ。痛いの。物理的に。ぎゅって締めつけられて、呼吸できなくなる。胸を叩いても治らない。ナイフで切っても治らない。どうすればいいの? 答えは簡単だよね。――君が他の人を見なければいい。そうすれば、全部解決するのに。どうしてできないの? 君は、誰のものなの?
違う、ちがう、そんな顔しないで。責めてるんじゃない。私はただ、君の“正解”になりたいだけ。君の「一番」でいたいだけ。君が疲れたときに、無意識に探す名前が、私のものであってほしいだけ。誰かに傷つけられたとき、真っ先に頼る人間でありたいだけ。君が目を閉じて眠るときに、最後に思い浮かべる顔になりたい。それだけ。簡単でしょ? それだけなのに、君はどうして私のことを、そうやって「その他大勢」みたいに扱うの? 無意識なら、なお悪い。意図的に避けるより悪質だよ。無意識の優しさほど、残酷なものはないんだから。
君が今日、私と屋上に来てくれたのは、偶然? たまたま? 暇つぶし?
……やっぱり、そうなんだ。ああ、でもいいよ。今だけでも、こうして隣にいてくれるなら。例え全部が嘘でも、私はそれでも幸せ。君の隣で嘘を信じていられるなら、私はそれでいいの。真実なんて、どうでもいい。私だけが信じてる世界の中で、君が私のものだと錯覚していられるなら、それで十分なの。でも――それでも、やっぱり、私の名前を呼んでほしいな。一度でいいから。誰にも聞こえないくらい小さな声でもいい。私の名前を、君の声で呼んで。それだけで、生きていける。
私は弱いよ。惨めで、情けなくて、臆病で、卑屈で、でも君のことになると、狂える。変われる。歯を剥けるし、爪を立てられるし、誰でも傷つけられる。どんな罪でも、犯せる。君が好きだと言えば、殺人すら美しい芸術に昇華される。人の命だって、君の微笑みには敵わない。誰かの悲鳴と、君の「ありがとう」、天秤にかけてごらん? 君の一言が重すぎて、他の全部が吹き飛ぶよ。私はそういう生き物なの。狂ってるって言われることに、もう何の抵抗もない。むしろ誉め言葉だと思ってる。だって、普通じゃここまで君を想えないから。みんな「好き」の軽さに慣れすぎてる。本当の愛は、脳が焼けるほど重くなきゃ意味がない。
ねえ、君には誰が必要なの? 本当のことを言って。怖がらなくていい。私は、たとえその答えが私じゃなかったとしても、微笑んで許す。……嘘だけど。そんなこと言われたら、まずその名前の人間を探して、声帯を潰して、顔を焼いて、爪を剥がして、二度と君の視界に入れないようにする。君の過去の写真からも、その人を全部切り取る。記憶の中に潜む存在も、夢の中に現れるシルエットも、私が殺す。脳に残った微かな残像まで削ぎ落とす。君が、私しか知らなくなるまで。
でも、もし「君に必要なのは私」って、君が言ってくれたら、私はもう、何もいらない。世界中の人間が私を罵倒しても、軽蔑しても、殴っても、刺しても、それでも笑っていられる。君が私を選んだ、ただその一点だけで、私は世界の勝者になる。君の「好き」が、私の存在価値のすべてになる。
あ……チャイム、鳴ったね。そっか、もう休み時間、終わっちゃうんだ。
行かなきゃ、だよね。でも私は、もう少しだけ、ここにいたいな。君の匂いがまだ、この場所に残ってるから。君の温度が風に消えるまで、私はここにいる。……ああ、ねえ、最後に一つだけ、いいかな?
“好き”だよ。ずっと、ずっと前から。これからも、これ以上も、これ以下もなく、私は君だけを見てる。見続ける。もし君が歩き去っても、他の人と笑い合っても、誰かと付き合っても、結婚しても、死んでも、私は見てる。ずっと、ずっと、見てるからね。
覚えてて――“私だけが、全部を知ってる”ってこと。」
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