第3話 とりあえず、四重奏(カルテット)

 入学式にはお母さんと出席した。

 生徒は講堂に並んだ椅子にクラスごとに座り、保護者は二階席。

 なんと、一葉と同じクラスだ。うれしい! 私と一葉って、やっぱり運命?

 中三でクラスメイトだった女の子も同じクラスの列にいる。すごく仲がいいわけじゃなかったけれど、普通に話せたコだ。名前は綾乃。見た目は美しくもかわいくもないけれど、オシャレで、情報通で、おしゃべりが盛り上がっているところにはよく綾乃の姿があった。実は、一葉がどのアニメが好きなのかって情報も、私は綾乃のおしゃべりから拾ったんだった。

 綾乃も私に気づいた。笑顔で小さく手を振り合った。

 積極的に新しい友だちをつくるつもりは、もちろん、ある。だけど、緊張しないで話せる顔見知りがクラスにいるのは心強い。

 式はプログラム通りに進んでいった。来賓挨拶のところで、私は少し眠くなる。が、

「新入生挨拶。新入生代表、白鳥楓」

 という司会者の声で、目が覚めた。

 新入生代表は、入試でトップの成績をとった生徒がなる、という話だった。どんな生徒なのか、興味はある。

「はい」

 と、大人しめだけど明るい声を響かせて、前方の席でひとりの生徒が席を立つ。

 わ、同じクラスだ。

 後ろの方の私の席から、顔は見えない。でも、髪の長い女子生徒だ。新入生代表は長い髪を軽やかに揺らしてステージに上がった。壇上の校長に向かい合う。

「──私たち、新入生は、本日から始まる高校生活において、真摯に学業に取り組み、城東高校の生徒として誇りある生活を送ることを誓います」

 ……挨拶と言うより、選手宣誓みたいだったけれど、これがこの高校の伝統らしい。

「新入生代表、白鳥楓」

 へえ、きれいな名前だ。挨拶? 宣誓? を終えて、白鳥楓はふり向く。

 頭も良くてしかも美人──なんてことを期待したが、そんなことはなかった。前髪をあげておでこを出して、メガネをかけていた。ブスではない。地味だけど、普通。まあ、私の方がかわいいのは確か。

 だけど……ステージを降りてくる白鳥楓は、落ち着いた賢そうな表情をしていた。すっと背筋を伸ばした歩き方が上品で……あれ? だんだん美人に見えてきたぞ。

 こういうキレイなコもいるんだ、とちょっと感動した。顔のパーツが整っているんじゃなくて全体の雰囲気で、キレイだな、と思わせるコ。さらさら揺れる長い髪から涼やかな青いオーラがこぼれる感じだ。

 ……私は歩く彼女を目で追った。白鳥楓が自分の席に戻って、着席するまでずっと。他にすることもなかったし。

 椅子に腰を下ろそうとするとき、白鳥楓の目線がふっと横に動いた。つられて視線を追うと、一葉がいた。一葉も白鳥楓を見ていた。

 一葉が白鳥楓を見ているのは不思議じゃなかった。講堂にいる人のほとんどが彼女に注目しているはずだ。だって新入生代表なのだ。

 だから、私はそのとき、一葉がみんなと同じ反応をしているのが微笑ましくなっただけだった。



 新しいクラスで、私はさっそく四人グループのひとりになった。

 入学式で手を振り合った同じ中学出身の綾乃と私、綾乃と席が前後の結衣、結衣と同中学の日菜子──の四人グループだ。

 綾乃と結衣の席が近くだったから、という単純な理由からできたグループだけど、親しくなるきっかけなんてそんなものだよね。で、ふたりの話に日菜子と私が加わったら、綾乃と日菜子のオタク趣味が一致して場が一気に盛り上がって。

「帰りに、駅ビルのフードコートで何か飲んでいかない?」

 休み時間に四人で話しているとき、そう誘ってきたのは、日菜子だ。

 日菜子はクールな感じの美人だ。メガネが似合っていて、長い髪をゆるく背中で束ねている。同じメガネさんでも、白鳥楓とは見た目のレベルがかなり違う。結衣の話だと、頭もすごくいいらしい。新入生代表、白鳥楓じゃなくて日菜子がやった方が絵になったのに、と残念に思う。

「いいねー」

 と、日菜子の提案に笑った結衣は、すらっと背が高い以外は平凡な印象だ。でも、おっとりした笑顔や話し方が癒し系で一緒にいると和む。クセがあってまとまらないので髪をショートにしかできないのが悩みだそうだ。

 綾乃も私も、もちろん、賛成した。グループの仲を深める良い提案だもの。放課後は甘いものと女子トーク、って私が求めていた高校生活のひとつだしね。

 入学式から二週間くらいが過ぎていた。でも、私たちのグループは、まだ誰も部活には入っていない。だから、放課後は全員フリーだ。

 部活は、四月末までに入部届を出すことになっている。今は見学や仮入部の期間だ。──とはいっても、運動部に入る生徒は、ほとんどが入学してすぐに仮入部の届を出して練習に参加しているみたい。

 一葉も、そう。入学式が終わると体育館にハンドボール部の練習を見学に行って、次の日には仮入部届を提出して、練習に加わった。今日も、放課後は部活だ。

 休み時間に放課後の寄り道を計画している私たち四人は、高校で熱心に部活動するつもりのないグループということになる。

 日菜子と結衣は英語部に入るつもりでいるらしい。誘われて、一度四人で部活見学をした。綾乃は興味を持ったようだけど、私はややしり込みしている。英語はあまり得意じゃない。いや、この高校で私のレベルでは、どの教科もあんまり得意じゃないことになるんだけど。

 授業だけじゃなく、部活でも英語を勉強しようとする生徒なんて、みんな英語が得意なんじゃないかな。部員の英語のレベルが高くてひとりだけついていけなかったら、恥ずかしい。

 が、ほかにこれといって入りたい部活があるわけではなかった。文化部に入ろう──とは思っていたけれど、吹奏楽部はヘタな運動部より体育会系だし、楽器なんて鍵盤ハーモニカとリコーダーの経験しかない。美術部に入るほど絵はうまくない。科学部なんて、物理とか化学とか英語以上にマジでムリ……。

 駅ビルのフードコートでそれぞれ好きなドリンクを飲みながら、私たちはおしゃべりする。

 最初の話題は部活のことだった。英語部は活動日が週に二日で、個人のレベルに合わせて英検やTOEICを目指すということ、結衣も苦手克服のために英語部に入ろうとしているという話を聞いて、私も英語部入部に心が傾いてきたのだけど──。

「……話、変わるけどさ……」

 綾乃が不意に声をひそめた。

「私の右後ろのテーブル、ウチの生徒だよね?」

 そう言う綾乃はまっすぐ前を見ている。なんで前を見ているのに後ろがわかるの? と、思ったが、綾乃の視線を辿ると、対面の壁が鏡になっている。──なるほど。

 鏡の中で綾乃の後ろに映っているのは、城東の制服を着た男子生徒と女子生徒のペア。となり同士の席に座って楽しそうにおしゃべりしている。

「知ってるコ?」

「知らないけど」

「上級生かな」

「じゃない?」

「デート?」

「でしょ?」

 みんなで鏡を見て、ひそひそ話。結衣が、

「いいなー」

 と、心からうらやましそうに言って、みんなで笑った。四人とも鏡を見ているから、後ろのカップルに気づかれる心配はない、と思う。

「結衣は、カレ、いないの?」

「いないよー。いたこともないよー。カレシいない歴イコール年齢だよー」

 綾乃の問いに、結衣が笑ったまま答えると、綾乃は次に日菜子を向いた。

「日菜子は?」

 答えが返る前に、一拍、沈黙があった気がした。結衣が何か言いたそうにちらっと日菜子を見た気がした。が、日菜子はさらっと言った。

「いた、かな」

「いた?」

「過去形。中学のとき、いた」

 綾乃と私が、おおっ、となった。日菜子は面白くもなさそうに続ける。

「すぐ別れちゃったけどね」

「別れちゃったの? なぜ?」

 遠慮のない綾乃の問いに返ってきた日菜子の答えは──。

「カレと話しているより、女の子同士で二次元の話している方が楽しかったから」

 え、日菜子ってそっち方面の人だったの。いや、綾乃とゲームの話で盛り上がっていたのはこの目で見ていたけれど。

「やばっ。でも、わかる。やっぱり二次元だよね!」

 速攻レスポンスした綾乃は腐女子を公言している。通学用のリュックには美形キャラの二頭身チャームがいくつも揺れている。

「わかる? わかるよね!」

 しばし、綾乃と日菜子のディープなトーク。そのあと、

「じゃ、この中でリア充なのって、真凛だけかー」

 綾乃が、にやにやしながらわざとらしくため息をつき、私の顔を見た。日菜子と結衣が私を見る。

「真凛、カレシ持ちだったの?」

「同じ高校だったりする?」

「ていうか、同じクラスだよねー」

「ちょっ……、綾乃ぉ」

 困ったように言いながら、内心は嫌な気分ではない。一葉とつきあっていること、宣伝するつもりもないけれど、隠すつもりもない。できたら早めにバレて公認になりたい気持ちも大いにある。

「同じクラス? 誰?」

 日菜子と結衣が聞いてきた。そうくるよね。もうしょうがないなあ、という表情をつくってから、私はその名前を口にした。

「多田」

「おお!」

 大きな声を上げたのは結衣で、あわてて自分の口を両手でふさいだ。

「多田か。いいじゃん。○○でいうと○○っぽい感じだね」

「あー、言われてみればそうかもー」

 綾乃と日菜子がふたりだけにしか通じない固有名詞でうなずき合う。アニメかゲームのキャラなんだろう。ふたりの表情を見るに、人気のあるキャラのようだ。ちょっといい気分。

 でも、三人ともそれ以上一葉とのことを聞いてくる様子はなかった。いつからつきあっているの、とか、どっちがコクったの、とか。

 綾乃はそんなこともう知っているからだろうか。日菜子は三次元に興味がないから? 結衣は……? 個人的なことを根掘り葉掘り聞かないくらいには大人だってことなんだろうか。

 ほっとしたような、物足りないような……。気がついたときには、自分から口を開いていた。

「でも、高校生になってから、カレとあんまり話せなくて」

 もしかしたら、しばらく前から、誰かに聞いてもらいたくなっていたのかもしれない。このごろ一葉とふたりで会ってない、話していない──って不満を。

 教室では毎日会える。だけど、教室じゃカノジョとカレらしい話はできない。一葉はハンドボール部に入ったから、放課後も休日も忙しい。デートの誘いもずっとない。

「それは、多田が部活で忙しいからでしょ」

 自分が考えていたのと同じ理由を綾乃が口にしてくれて、尖らせた唇が緩む。

「そうかな」

「望月が言ってたけど、ゴールデンウィークに、インターハイの予選があるんだって。三年生はそれで引退だから、練習、すごく気合が入ってるらしいよ」

 バスケット部に入ったクラスメイトの名前をあげて、日菜子が言った。それに結衣もうなずいた。

「課題も多いし、運動部のコはみんな大変がってるよね──部活と勉強の両立」

「メッセージ送っても、なかなか返事がこないのもあるんだけど、それで、かな」

 私は、もうひと押し、安心させてほしくて言ってみる。

 ばしっ、と肩が叩かれた。綾乃だった。

「やーねー。多田の方からコクったんでしょ? 部活とかいろいろ忙しいんだよ。多田が落ち着くまで待ってあげな」

「そうかな」

 同じ言葉を繰り返しながら、私は緩んだ口もとをしっかりと笑顔に変える。遠慮なく叩かれた肩は、結構痛い。

 そうだよね。新しい生活にまだ慣れていないんだよね。私だって、満員電車での通学と大量の課題で少しお疲れモードだ。一葉はさらに部活がある。新しい生活のリズムをつくるのにいっぱいで、余裕がないんだよね。

「でもねー、メッセージの返事くらいはもっとちゃんとしてほしーなー、って」

「そんなリア充の悩みはわからないです」

 結衣がテーブルに頬杖をつき、綾乃が笑う。

「カノジョなんだからさ、どん、とかまえてなよ」

 何だかオバサンくさい。けれど、私も笑った。励ましてくれているんだろうから。

 ドリンクを飲み終わるころには、四人で英語部に入る相談がまとまっていた。

 その夜、一葉が部活を終えて帰宅しただろう時間を見計らって、メッセージを送った。

『英語部に入ることになったよ』

 綾乃たちも一緒に入部することや、フードコートでデート中らしい城東生を見かけたことも送った。『デート中の城東生』の部分は、そろそろ私たちもデートしない? という暗号のつもりだったんだけど。

 返ってきたのは、

『いいんじゃない』

 これだけ? しばらくスマホの画面を見ていたけれど、新しいメッセージは届かない。

 ため息をついて、スマホを机の隅に置いた。やりかけの数学の問題集に目を戻す。

 あっ、ひらめいた。一葉も課題中なのかもしれない。部活で帰りが遅い分、私より短い時間で集中して勉強をやらなければならないんだ。運動部のコはみんな大変がっている──そう結衣も言っていた。

 それにしたって、もう少しメッセージを送ってくれてもいいんじゃないかな、とは思う。インターハイが近くて練習が大変なら、部活が忙しくて会えなくてごめん、とか、インターハイが終わったら会おう、とか。

 カノジョなんだからどんとかまえてろ、なんて綾乃の意見もあったけれど。

 あんまりかまってくれないと浮気しちゃうぞー。……なあんてね。

 私はもう一度息をついた。今度はため息じゃなくて、気持ちを切りかえるため。さあて、課題、課題。

 自分の学力が城東の生徒の中で底辺レベルなのは自覚している。それもあって、忙しい部活に入るのは避けたのだ。

 授業をちゃんと聞いて、課題はきちんとやって、せめて赤点は取らないようにがんばろう。

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