⑥人体実験について

 最早日課となってしまった資料室でエータ星人について調べるという行為の最中、真っ青な顔をしたハロルさんが緊急事態を告げた。

 あの基本的に慌てるとは無縁のマイペースなハロルさんが緊急事態と言うとは、相当なトラブルがこのBASEに起きたに違いない。確信した僕は説明を聞かぬままハロルさんに現場となっている大人部屋まで走った。

 大人部屋内は床から天井まで飛び散った血で真っ赤に染まっており、部屋の至る所に人間の皮が残っていて辛うじて人間の断片だと分かる肉塊が転がっていれば、人間の体のどこかとしか例えようの無い臓器も床に散らばっていて赤い水たまりが出来ている。鼻が曲がる様な強烈な血と臓物の臭いが充満している室内で、グロテスクな光景を目の当たりにして少しえづいてしまう。

「うっ、これは……惨い」

「今朝、餌を運んだ研究員がこの現場を発見しました」

「原因は判明していますか?」

「死体がここまで損傷してしまっているので、推測に過ぎませんが考えられる原因は一つ。投与していた我々の遺伝子の量を増やした事かと思われます」

 投与する遺伝子量を増やすようハロルさんに指示したのは僕だ。僕が大人部屋に居た人たちを殺したんだ。軽い気持ちで言った言葉がこんな結果を招くなんて思いもしなかった。もっと慎重に検証するべきだった。こんな大罪どう償えば良いのか分からない。

 足元から崩れ落ちる僕の手を握りハロルさんは励ましてくれる。

「この事態を引き起こしたのは京一さんではありません。今までお伝えしていませんでしたが、我々は物資補給の為に一度エータ星に帰らねばなりません。実験の成功を焦っていました我々は京一さんの指示した量よりも多く遺伝子を増やしました。その結果がこれです」

 ハロルさんの手を放して、僕は血まみれになったズボンのまま立ち上がって大人部屋を出る。

 もう二度とこんな事態を引き起こさないため、僕は知る必要があった。早歩きで僕は製薬室へ向かう。

 通路には慌てふためく研究者達が右往左往している。彼らに声を掛けながらハロルさんは僕について来てくれている。

「エータ星に戻るのはいつ頃ですか?」

「一年後です」

「エータ星と地球との往復帰還はどれぐらいかかりますか?」

「およそ四十年です」

「そのころ、僕はおじいちゃんになっていますね」

 僕のペースに合わせて早歩きで付いて来るハロルさんが、少し俯いたように見えた。

 この一年間を逃したら、僕の協力を得るのが難しくなる。だからハロルさんは初めて会った時から焦っていたんだ。

 こんな知識の無い虚言にまみれた僕を必要としてくれるのは嬉しいが、もっと専門的な知識を持っている人の方がハロルさんの力になれたに違いない。

 もし、この場に居るのが僕じゃ無かったらと考えると罪悪感が胸に込み上げてくる。

 製薬室に着いた僕は研究員の人達から、現在大人部屋と子供部屋に投与している薬の資料を一式貰うと同時に、大人部屋の製薬中止を命令した。

 きっと僕の言葉だったら聞かなかっただろうが、僕の背後にハロルさんが居たため研究員達はすぐに了承した。

 今後も地上から入って来る大人達は間違いなく居るのだ。そんな彼等をすぐに死なせてしまうリスクは無くすべきだ。

 もう絶対にこんな事態は引き起こさない。

 そして、僕はあと一年でエータ星に適応した人間を開発すると心に誓った。


 経過観察という名目で、僕は子供部屋に顔を出すようになった。

 本能的な部分で人間と人間に変装しているエータ星人の違いが分かるのか、子供達は少し会話をすると僕に心を開いてくれるようになった。

 子供達の薬は今までご飯に混ぜる形で服用させていたが、大人部屋で投与していた薬の成分から新しく入って来た大人達での実験を繰り返し、急激な遺伝子増加による破裂をしない程度でより多くの遺伝子を取り込めるように調整した薬を注射にて投与するように変更した。

 注射を嫌がる子が多かったが、注射後にお菓子のご褒美を与える事で頑張る子も増えた。

 注射する現場には僕も立ちあったが、今でも体調の不良を訴えてくる子は居たが破裂する子は一人も居なかった。

 子供達と遊んでいると、子供達は僕にしきりに聞いて来る。

「おじさん。ここはどこ?」

「ここは地下にある大きなお家だよ」

「僕達はいつお家に帰れるの?」

「いつか必ず帰れるからね」

「僕アニメが見たい」

「ごめんね。もう少しの辛抱だからね」

 僕は駄々をこねる子供達の正当な訴えに、謝る事しか出来なかった。

 子供部屋には白衣を着た他の研究員達も居るが、僕にしか話し掛けて来ない子供達の様子から、エータ星人達は子供達の言葉を無視し続けていたのだろう。

 それはそうせざるを得ない。エータ星人にとって人間は未知で脆い存在なのだ。自分達の発言一つで死んでしまうかもしれない。そう考えると安易に会話など出来ない。

 散々破裂してるのを見てると、そう考えるのも無理は無い。


 投薬を注射に変更してから、しばらくして子供達に変化が現れた。

 最初に変化が現れたのは七歳の男の子だった。

 子供部屋で子供達と遊んでいると、室内で「あつい!」と悲鳴が聞こえた。悲鳴の方を見ると男の子が指を抑えて泣いている。

「一体どうしたの。おじさんに見せてくれる?」

 泣いている男の子の指を見ると、軽い火傷をしている。付近を見渡すが火元になるような物は無い。摩擦で火傷したとしか考えられないが、自分でそんな事をするだろうか?

 しばらく泣き続けた男の子が落ち着くタイミングを見計らって、男の子に尋ねる。

「どうして熱くなったか、分かるかな?」

「遊んでたら、指から火が出て、熱かった」

 との事だったが、意味が分からない。僕はハロルさんに報告して火傷した男の子の治療と観察をお願いした。

 数時間後、ハロルさんは「火傷の原因が判明しました」と言って、映像端末で子供部屋に設置してある映像を見せてくれた。

 映像には僕も映っている事から、あの子が火傷する少し前の映像という事がすぐに分かった。しばらく見ているとあの男の子が一つも嘘を吐いていない事が分かった。

 言葉通りだった。遊んでいたら男の子の指先から何の前触れも無く小さい火が出て、男の子が悲鳴を上げると同時にその火が消えた。

「これは……超能力」

「我々の遺伝子を投与し続けた結果だと思われます」

「エータ星人はパイロキネシスが使えるんですか?」

「いえ、我々にもそのような力はありませんが、異星間の遺伝子を掛け合わせた事による突然変異としかまだ言えません」

「では、この少年はエータ星の環境に耐えられるかもしれないという事ですか?」

 僕の質問にハロルさんは首を横に振った。

「残念ながら、検査した結果それは不可能なようです。まだ特殊な能力が使える程度のただの人間としか言えません」

 それはもうただの人間じゃないのでは? という野暮な言葉を飲み込んで、僕は今後も子供達の経過観察を続けた。

 驚く事に、発現する能力には個人差があった。

 パイロキネシス少年の次は、飛行能力を持つ子供が現れた。次から次へと様々な能力に発現していき、子供部屋は瞬く間にエスパーキッズ集団となっていた。

 子供達に新しい能力が発現する度に僕はその能力の危険性を考え、全員にそれを伝えた。

 超能力を手にした子供達は、自分達が能力に目覚める選ばれた存在だと考え始めて表情が明るくなっていく。次第に帰りたいと言う子供も減ってきた。

 子供達との遊ぶ時間は能力トレーニングに変わっていった。遊びと称して能力を使い、使い方に慣れていく。そんな時間を過ごして居ると子供達は僕に外に出すように求め始めた。

 子供心に自分が特別である事を沢山の人に見せたいのだろう。

 勿論、そんな事をすれば大事件になるのは間違いなく、下手したらこの研究所の存在もバレてしまうので絶対に許容できないが。

 しかし、子供にそんな都合は関係なく、僕に子供達を止める術は無い。かと言って子供達が逃走する事に対して不安になるような事も無かった。

 何故なら、子供部屋には僕の他に研究員が三人は常に居るからだ。人間には超能力キッズが手に負えなくても、エータ星人にとっては別だろう。

 彼等エータ星人はその技術力も凄まじいが、そもそもの生物としての格が人間とは明らかに違う。超常的存在と言っても過言ではない。

 子供部屋に居るエスパーキッズ達が全員で襲い掛かっても、たった一人の研究員で無力化出来るに違いない。

 現に大人部屋に新しく入って来た大人達も子供達同様、超能力に目覚めたと報告を受けたが脱走出来ていない事が何よりの証明だろう。

 まぁ、それ以前に子供部屋に居る子供達は外に出たいと口では言っても、脱走なんてしないだろう。

「仮面ライダーみたいなヒーローになって、僕はここに居る皆を守るんだ!」

 一人の男の子が言っていた言葉を今でも覚えている。

 ここに居る子達は長い時間を共に過ごして居る。時には喧嘩もしただろうが、基本的にはみんな仲が良く助け合っている。

 だから、出る時はみんな一緒にと考えているに違いない。

 その時と言うのは、この実験が成功する。または一年が経ってハロルさん達がエータ星に帰った後のどちらかだろう。

 今の内から未来の事を考えておかないといけない。超能力者達が生きていける社会というのを僕が、率先して作るべきなんだ。

 子供部屋の中で超能力を使って遊ぶ子供達を眺めながら、僕はそんな事を考えていた。

 超能力に開花した後も投薬を続けていき、被験者達は人間からエータ星人よりの肉体へと変化を見せ始めた。

 変化と言っても骨格などの外見は人間のままで、肺や皮膚などの器官がエータ星の過酷な環境に耐えられるような頑丈な物に変化していた。

 このまま順調に行けば、という時は大体上手くいかないもので、その脳を揺らすような激しい警報音は突然鳴り響いた。

 こんな非常警報、大人部屋が全滅した時ですら鳴らなかったのに、一体何が起こった!

 BASE資料室内に居た僕は、慌てて駆け込んできたハロルさんが息を切らしながら言った言葉に耳を疑った。

「京一さん、脱走です! 子供部屋に居た子供が三人脱走しました!」


 けたたましいサイレンが鳴り響くBASE内は、脱走した子供を探す研究員達が慌ただしく行き交う。その中で僕は最初に子供部屋に向かう。

 三人が脱走したとハロルさんは言っていたが、そんな事信じられなかった。もし本当だとしたら何か想定外なトラブルが起きたに違いない。他の子供達の安否が気になる。

 子供部屋に入ると、室内の所々が真っ赤な血で染まっていた。中には怯えて泣き喚く子供達と監視する五人の研究員。

 血。一体誰の血だ?

 子供部屋でも最年長の男の子に僕は尋ねる。

「一体、ここで何が起こったんだ?」

「分からない! あの人達に注射されたらブクブクって膨らんで、みんな怪物になっちゃった」

「この血は、誰かその怪物に襲われたの?」

「ううん。それは怪物になっちゃった子の血。凄く苦しそうに、助けて。痛いよって。僕、何も出来なくて」

 思い出して泣き出す男の子の背中を擦って落ち着かせる。

 注射を打たれて怪物に変わった? 遺伝子の許容量を超えて、肉体も変化してしまったという事だろうか? それは脳まで変化させてしまい、子供部屋から出てしまった。

 他の子供達に危害を加えなかったのは、本能的な部分で覚えていたのだろうか?

 この僕の発案したエータ星人の遺伝子を摂取する方法で、エータ星に適応した人間を造るのは不可能かもしれない。

 だとすると、今から別の方法を模索していては一年後には間に合わないだろう。

 結局、僕は何も成せないまま、むやみやたらに人を殺しただけだ。

 最悪な研究者に違いないが、最悪なのは罪悪感が日に日に薄れてしまっている事だ。僕は人間が人間だと認識出来なくなってきている。エータ星人の考えに脳が侵されてしまっているに違いない。

 人間は自分と同じ種族の生き物という事は理解しているが、実験の過程で死んでしまった人達を可哀想と思うだけだ。

 昔はもっと色々な感情で思考がグチャグチャになっていたのに。嫌に冷静な自分が嫌だ。

 黒い感情に思考が呑み込まれていく中、施設内に設置されたスピーカーから研究員の一人らしき声が響く。

『脱走者二名は確保。残り一名は地上へ脱走。繰り返す。脱走者二名は確保。残り一名は地上へ脱走。脱走予想地点は――』

 地上に脱走という言葉を聞いて、サッと血の気が引く。

 子供達の言う怪物がどんな姿かは分からないが、明らかに地球外の遺伝子が入った見た目をしているのは間違い無いだろう。

 そんな存在が急に現れたら地上は当然パニックになる。最悪、このBASEの存在もバレてしまうんじゃないだろうか?

 現在時刻は午後二時。エータ星人達が地上に向かおうと、一度でも地上に出てしまえば目撃者は必ず居るだろう。SNSが発達したこの時代で全ての証拠を消す事なんて不可能だ。

 どうする? どうすればいい? 考えろ。思いつかなくても思考を止めるな。

 何か良い手があるはずだ。

 地上へ上がる昇降機に向かう途中、必死に考えたが何も浮かばない。

 他の研究員達と共に僕は昇降機で地上へと出た。

 地上に出ると、そこは地獄のような光景が広がっていた。

 ビルや住宅は破壊され、所々に火災も起きている。昔見た第二次世界大戦当時の映像を思い出してしまうような、蹂躙された美波浜市内では住民達がパニックを起こしていたがこの惨状を作り出した存在は見当たらない。

 僕の適当に言った一言がこの惨状を作ったという事実で、その場に膝から崩れ落ちそうになるが、周囲に居る研究員達の存在がそれを許さない。

 研究員達と手分けして辺りを捜索していると、一際建物の損害が酷い。というよりかは強い衝撃で吹き飛ばされたかのように建物が一切なく、クレーターのようなものが出来ていた。

 クレーター内部には複数人の人影が確認できる。体格の良い男性が多いがその中に一人、白衣を着た少女を僕は知っていた。

「ニシキさん一体ここで何があったんですか?」

 声を掛けると、ニシキさんは僕を見た途端に険しいからから嬉しそうな顔に一転させた。

「Dr.前橋! 一体どうしてここに? 住人への避難勧告をしていたはずなのですが」

「ああ。どうしても気になってね。状況を教えてくれるかい?」

「突然現れた怪物はこの私率いるPHDが駆除したのです。既に怪物の遺体は回収

済み。これからじっくりと調査をするのです。そうだ! Dr.前橋も一緒に」

「駆除…………まだ、子供だったんだぞ」

「Dr.前橋?」

 怒りを隠しきれない僕にニシキさんは、疑うような視線を向ける。

 そして、何かに気付いたニシキさんは小声で僕に耳打ちをする。

「場所を変えましょう」

 僕はニシキさんの案内で、彼女達の会社が持っている戦闘用車両の中で二人きりになった。

「突如地上に現れた怪物。あれは明らかに地球外の存在なのです。しかし一部、顔や四肢に人間の子供と思われる箇所が見受けられたのです。アレを造ったのはDr.前橋なのですか?」

「ああ」

 僕の返答に今まで温厚を装っていたニシキさんの顔を引きつる。

「一体何故あんなものを造っているのですか! 貴方は正義の発明家では無かったのですか! 何故あんな女に協力しているのですか!」

「全部嘘だったんだ?」

「僕は君が思っているような発明家じゃない。頭も悪ければ才能も無い。何も生み出せないただの妄想癖のある痛い大人だ。だけど、宇宙人に協力すれば何者かになれると思った。嘘を本当に変えられる技術がそこにはあったんだ。出来れば、君のように僕に憧れてくれている人を失望させたく無かったけど、これが現実なんだ。僕には君のような才能も資金も無かったんだ」

 心の底からの自供に、ニシキさんは言葉を失った。

「…………嘘なのです」

「残念だけど、本当なんだ。今回の出来事のきっかけは、人体実験に取り組んでいた二人がたまたま僕の投稿からヒントを得て、それが実現出来てしまった事だけだ。本当に偶然の出来事だったんだ」

「全て、嘘だったのですね」

「君の事は騙していて悪かったと思っている」

 そう言い残し、車のドアを開けようとした僕をニシキさんは呼び止める。

「待って欲しいのです。確かにDr.前橋。貴方は嘘を吐いていただけの妄想癖のある痛いおじさんだったのかもしれないのです」

「ですが、地球上の誰よりもあの怪物を生み出している宇宙人に詳しいはずなのです。奴等の潜伏先や数、弱点。知っている事は何でも教えて欲しいのです」

「まさか、エータ星人と戦うつもりなのか?」

「逆に問うのです。奴等は侵略者なのですよ? どうして見逃せるのですか? 確かに今の人類に勝ち目は無いかもしれないのです。しかし、Dr.前橋。貴方が協力してくれるのなら、可能性はあるのでは無いですか?」

 確かに資料室でエータ星人についての文献を読み漁っていた僕は、一般的なエータ星人よりも彼等について詳しい自信はある。彼等を殺す方法もある。

 ニシキさんにそれを伝えるすなわち、それはハロルさんを裏切るという行為で。

「単刀直入に問います。貴方は人類の敵なのですか? 返答次第では殺しますので」

 ニシキさんの問いに対して、僕には三つの選択肢がある。僕の運命を変える選択肢だ。


① ハロルさんを裏切れない。

② ニシキさんに協力して、共にエータ星人と戦う。

③ 今後一切、どちらにも関わらない。フリーターに戻る。

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