星屑のカケラ

神田川 散歩

第1話 ありきたりな失恋

 僕は今、黴臭かびしゅうのする部屋の薄い布団の上でうっすらと汗をかいて寝転んでいる。初めて来たその部屋は、部屋自体が湿っていてもうすぐ10月だと言うのに空気が生暖かい感じがする。そして、僕の隣には法子が背中を向けて肩で息をしている。彼女もまた背中にうっすらと汗をかいているのが解る。ぼーっとした頭で何故こうなったのかを考えていた。

 先ずは時計を今から4時間ほど戻す。行き付けのスナックのカウンター。ママと法子が入って居たが、なぜか法子が元気がない。終始うつむき加減で、ママが耳元で何かを言っている。常連である僕をチラ見したママは、小さくいらっしゃい。と言いながら、法子に何かを話している。僕が席に着くと同時に少し声を張って「ね、判った?」と法子を諭していた。その後おもむろに僕に向き直り、キープしてあったボトルを出しながら、水割りのセットを用意した。いったん奥に引っ込んだ法子が、赤い目をしてミネラルのボトルを手に現れた。暗い表情の彼女に「どうした?何かあった?」とさりげなく聞くと、横からママが「痴話げんか。犬も食わないってやつよ」と眉間に皺を寄せながら言った。「へえ、のりちゃん彼氏いたの?そうだよな、可愛いもん、居てもおかしくは無いよな」と独り言のように僕が呟く。ようやく喉の奥から絞り出したような声で「いらっしゃい」と一言だけ発した。

僕は水割りのグラスを受け取って口に運ぶ。表情の浮かない彼女に「飲んだら?」と声を掛ける。その瞬間、法子は顔を上げ少し驚いた表情で僕を見ながら「今夜飲んだら、絡むかも」と冗談とも本気ともつかない返事をした。自分のグラスをだして、氷を入れる。ボトルを僕は手に取りキャップを開け、彼女のグラスに1フィンガーだけ入れる。「飲め、飲んで忘れてしまえ」と僕が勢いをつける。ふざけて言っている訳ではなく、失恋には深酒と自分でも経験しているからそんな気持ちで法子に言った。

暫くして外は雨が降り出し、お客が全く来ない。「看板の12時には少しあるけど今夜はもう閉めるわ」とママが言い出した。「そうか、じゃぁタクシー呼んでもらおうかな?」と言うとママが、「ねぇ清水君、通り掛かりだから一緒にタクシーでのりちゃん送ってくれる?」「えっ?俺で良いの?」と二人を交互に見詰めた。ママは勿論のこと法子も強張った笑顔で「お願いします」と言って来た。「うん、まあいいけど。知らないよ、送りオオカミになっても!」と言うと2人は大爆笑。「言わないよそんな事。何十年前のセリフ?」

 それから少ししてタクシーが到着した。僕が先に乗り込み、先に降りる法子が後に続いた。駅裏のマンション名をドライバーに告げると、ドアを閉めたタクシーは勢いよく走りだした。雨は思ったより強く、ワイパーも激しく動かしている。程なくして法子が「ねぇ、清水さん。飲み足りなかったでしょ?ごめんね。」「うん、まあ仕方ないよ。」と言うと「うちくる?私一人でいたくないし、もっと飲みたいし。」「まじかっ」「ねっ、来て。」と言いながら上着の袖口を引っ張る。「まあ、変な事にはならないだろうから、良いか」と了承をしてしまった。

タクシーを降り、狭い路地を抜けてマンションに向かう途中で結構、雨に濡れた。

古いマンションの入り口にある蛍光灯は、幽かな光を放ち蜘蛛の巣だらけなのが妙に不気味だった。

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