言の葉、斬り結びて。―言えなかった「好きでした」に、刃を添えて
四十川
第1話 夢の続き
ぽっ、と花開く、線香花火のような恋だった。
今でも思い出す、あの夏の日。
ひぐらしが鳴き始めた夕暮れに、投げられた言葉。
「大きくなったら、およめさんにしてください」
腰まで流れる黒絹のような髪を、夏の湿った空気が揺らして。暑さに火照った頬を隠すこともせず、あの子は笑った。
わたしはなんと答えただろう。
「ああ」だったか、「それは無理だ」だったか。
――思い出せない。だが、たしかな想いが、胸の中にあった。
◆
けたたましくなるアラームの音で、目が覚めた。
なんだか懐かしい夢を見た気がする。
もしかして、今日から
何歳の頃だっけ、あの町に住んでいたのは。ああ、そう、たしか五歳くらいの時だ。
近所のお兄ちゃんに、よく遊んでもらったなあ。いつも木刀を持ってた、不思議な男の子。
きれいな白髪してたっけ。
ノスタルジックな感覚に苛まれながら、時計を見る。時刻は朝の六時をすこし回ったところ。
ええと、これから対言所に顔を出して、引っ越しの業者待って、神渡町に行って……。
うん、夜から見回りできるかな。
「……よし」
ひとつ声を出して、未だに眠いと訴える脳に活を入れる。
さ、忙しくなるぞ!
夕暮れに染まる神渡町は、昔とまるで変わっていなかった。
古びた駅舎の木造の骨組みは、時の流れに擦れてなお、誇らしげに立っていた。
小さな改札を抜けた途端、すこし煤けた空気と、石畳の匂いが鼻をかすめる。
カン、と革靴のかかとが石を打つ音が、やけに澄んで響いた。
通りに出れば、細い路地が網の目のように広がっている。
白い漆喰と木枠の看板が連なる商店街には、古道具屋、仕立て屋、それに「珈琲処
店のガラス戸の奥では、ブリキのポットが音を立て、着物姿の女性が新聞を読んでいる。
モダンガールの粋と、町娘の素朴が、なんの違和感もなく並んでいる。
頭上では、黒鉄のガス灯が等間隔に灯っていた。
橙の仄明かりが揺れていて、現実の輪郭が、淡くぼやけるようだった。
……ああ、こんな町だったっけ。
小さな頃はわからなかった風情や色気が、今になってじんわりと胸を打つ。
胸元で揺れる対言所の識別札が、妙に浮いて見えた。
こんな町に、“
でも――。
「……だから、来たんだよね。私が」
そっとつぶやいて、胸の奥で灯った小さな不安を押し込めるように歩き出す。
その背後で、ガス灯の灯りが、まるで誰かの目のように静かに瞬いた。
ともかく、聞き込み。どこでなにが起きているのか、しっかりと把握しろと上司が言っていた。
カラン、と喫茶店の来店を告げるベルが鳴る。
「こんにちは〜……」
私の小さい挨拶に、店の奥から初老の店主が顔を出した。
「いらっしゃい。初めて見る顔だね」
「言霊対策局のゆかりと申します! 今日からこの町担当になりました」
「へえ、対言所の……」
店主がちらりと、胸元の識別札を見る。その目はあまり歓迎しているとは言い難い色をしていた。
「お上がこんなところになんの用だい? 見ての通り、みんな平和に過ごしているよ」
「えっと……怪異が出るところには、対言所の斬り人がつかなきゃならなくて……」
「そんなもん必要ないさ。なんたって、この町には
「斬言士……?」
斬言士……、聞いたことがない。言霊怪異に対応できるのは対言所の人間が持つ刀でなければいけないはず。
対言所が必要ない、一体どういうこと?
「で、でも、その方がいるってことは、この町には怪異が出ているということですよね?」
「……まあ、ね。でも大丈夫さ。事が大きくなる前に斬ってくれるからね」
なんだか取り付く島もない……。
周りのお客さんからも、冷ややかな目線をもらっている気がする。
完全に、アウェイだ。
「そ、そうですか。ありがとうございました……」
お辞儀をして、店の外に出る。
どうしよう、いままで担当してた町とか区域と全然違う。こんなに歓迎されてないのは初めてかもしれない。
夜まで聞き込みしてみたけど、結局有力な情報はなかった。
聞く人みんな「斬言士がいるから大丈夫」と取り合ってくれない。
こうなると、その斬言士という人に会ったほうが早いかなあ。
仕方なく、宛もなく見回りを続けていると、井戸端会議に花を咲かせるマダムたちの声が耳に入った。
「二丁目に言霊怪異が出たらしいわ、でも
「まあ怖い……。でも香雪さまがいるから安心よね」
“香雪さま”? 話の流れ的に、その人が斬言士?
「あの!」
「……あら、あなたその札……」
「対言所のものです! その、香雪という人について、教えていただけませんか?」
「いいけど……」
そこで聞いたのはこうだ。
なんでも神渡町の地主のような一家があり、その七代目当主が「香雪」さん。
そして当主は代々“斬言士”と呼ばれ、まるで影のように言霊怪異を斬っている、と。
「……そんな人、いるんだ」
マダムたちと別れ、網の目のような路地を歩く。
そのときだった。
風のないはずの通りで、ひとつ、紙片がひらりと舞った。
それを皮切りに、視界の端がじわじわと滲み始める。
耳鳴りのような声が、どこからともなく聞こえてきた。
「――かえして、くれ……あのときの、約束を……」
これ……まさか!
肌に粘つくような圧がかかる。空気が変わった。
明らかに、“言霊怪異”の出現反応だ。
即座に刀を抜く。
対言所から支給された、言霊に干渉する銀色の刃――“
「……はやく消えて。あなたの言葉は、もう届かない」
空間の歪みから、ぼんやりと人の形をした“なにか”がにじみ出る。
溶けかけた兵隊のような影、ぐずぐずとした顔の中心には、ただ“口”だけが笑っていた。
「ゼッタイに……かえってくるって……いったのに……っ」
視線が、合った瞬間。
「く――ッ!」
地面が爆ぜ、怪異の“叫び”が衝撃波となって私を襲う。
咄嗟に刀を前に出して受け流すが、思った以上に力がある。
距離を取って仕切り直そうとするが、空間そのものがねじれ、足元がまるで泥のように沈む。
「こんな……ひとりじゃ、押さえきれない……!」
息を切らし、汗が額をつたう。
次の瞬間、怪異が手を広げてこちらに迫った。口が裂けるほどに笑う。
くる……間に合わない――!
その刹那だった。
――すう、と、風が走った。
それは空気を断つ音。
風鈴のように軽く、それでいて背筋が凍るほど鋭い、静寂の音。
怪異の身体が、何かに斬られたように、音もなく崩れ落ちた。
「……ッ!?」
思わず振り向く。
そこにいたのは、白髪を高く結い上げ、漆黒の外套をまとう剣士。
姿勢は、居合の抜き打ちを終えた直後の型のまま、微動だにしていない。
抜いた気配すらなかった。刀は、鞘の中のまま――なのに、怪異はもう崩れていた。
ただ、その背中だけが、異様なほど静かだった。
白い髪が風もないのに揺れて、橙色のガス灯の下、まるで夢の中の幻のように美しかった。
「……おまえ、対言所の人間か」
振り返らぬまま、低い声が問う。中性的に聞こえたけど、たしかに女性の声だった。
その声に、なぜか胸がぎゅっと締めつけられる。
「……っ、はい、斬り人です」
「――そうか。なら、斬れるようになってから来い。今のままじゃ、おまえが死ぬ」
そう言って、その女性は静かに歩き去ろうとする。
「あ、あの……!」
引き止めようとした瞬間、彼女の振り向いた横顔が視界に映った。
白い髪。鋭い黄色の瞳。昔見た、あの“お兄ちゃん”によく似ている。
でも――いや、まさか、そんなはず――。
「……っ」
思わず言葉が詰まり、私はその場に立ち尽くした。
その背中はもう、暗がりへと消えていく。
まるで、夢の続きを見たような気がした。
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