カリブソング~カリブの風が吹いている

ゴンドウウコン

プロローグ

 ついに、海津無頼に会える…


 コンドウシゲオは、興奮を抑えられなかった。まさか…海津無頼に会えるとは。


ーーーーー


 雷に撃たれたようなショック 

 それでも痛みは感じない

 それが魂のミュージック

 いつでも聴こえるカリブSONG


 心臓が撃ちぬかれたショック

 まったく痛みは感じない

 それが魂のミュージック

 永遠に響くカリブSONG 


 終わらない雨が降っても

 いつも笑っていよう

 涙の味は知ってるから

 さあ起ち上がれ何度でも


 カリブの風が吹いている

 魂に響くミュージック

 もっとミュージックをくれ

 カリブSONGは終わらない


ーーーーー


 198X年6月、目黒区東が丘。

 シゲオはこの春から、数々のヒット作を持つ大物マンガ原作者…“御大”が主催するマンガの塾に通い始めていた。

 とはいえ、“御大”が原作を書いたマンガはTVドラマ化された時代劇こそ知っているものの、これまで一度も読んだことはなく、どちらかといえばその“御大”が「大兄」と呼びかけたもう一人のビッグK…センセイカジワラのマンガばかり読んでいた。

 そんなシゲオが、その塾に行ってみようと決心したのは、2年前に読んだあるマンガがきっかけだった。


 2年前の冬…。

 シゲオはその前年に都内で一人暮らしを始めたものの、生活はすぐに破綻し地元に戻っていた。それでも母や、決して折り合いは悪くはなかったが…母と再婚した義父との生活、地元の空気がどうにも居心地悪く感じ、図々しくも高校時代の友人…ヒロキのアパートに転がり込み居候生活をしていた。ヒロキは地元の眼鏡屋の跡継ぎで、神楽坂の眼鏡屋に就職…というより眼鏡屋2代目としての修行をしていた。新宿区の上落合にアパートを借りていたとはいえ毎週土曜日の夜に新幹線で地元に帰る、いわば単身赴任のような生活で、さすがに図々しいシゲオといえどもヒロキのいない日にアパートにいるのは遠慮して金曜日の夜には地元に帰っていた。

 そのころ、居候中に始めた運送屋のバイト…拘束時間は長いわりに1日5千円にも満たない日当だったが支払いが日払いだったのと、そこで劇団員を目指しているというサワキさんと知り合い、サワキさんのアパートが下落合だったので、早朝待ち合わせて代々木にある会社まで一時間掛けて歩いて行ったり、仕事が終わると一緒に食事をし、やはり一時間掛けて歩いて帰ったりなど親しくなったことから非効率なバイトとは思いつつ何となく続いていた。

 シゲオは新幹線を利用する御曹司のヒロキとは違い、地元に帰る際は最も安いルートである小田急線を利用していた。その際、およそ2時間かかる車内での暇つぶしにと、『東スポ』とマンガ雑誌を買う。

 ある金曜日、新宿から小田急線急行に乗り込み席を確保すると、この日初めて買った『別冊アクション』というマンガ雑誌を読み始めた。


 それは不思議な感覚だった…


 シゲオは幼少の頃からなぜか、刑事や探偵が描かれた子供向けの本ばかり読んでいた。だが、その『別冊アクション』に掲載されていた探偵マンガはそれらとは違い、殺人など犯罪が起こるわけでもなく謎を解くこともない。ただ、探偵事務所のリアルな日常…私立探偵の生活だけが描かれていた。

 それから数日後、たまたま入った古本屋にその探偵マンガの単行本が置かれていた…シゲオは思わずそれを手にした。不思議な感動と興奮に包まれた。


 雷に撃たれたようなショック…


 古本屋で買ったのは単行本の①③巻のみで、すぐに本屋に行き②巻を手に入れ、繰り返し幾度となく読み返した。

 『ジョー』や『列伝』などのカジワラマンガを読んでいたため、マンガのストーリーを書く原作者という存在は知っていた。その探偵マンガも作画と原作に分かれている…ストーリーはこの原作者が書いたのだ。 


 シュ、シュブ…!?カリナデ?


 だが、まるで四字熟語のような難解なペンネームをその時はまだマトモに読むことさえ出来なかった。


ーーーーー


 春になるとシゲオはヒロキのアパートでの居候生活から脱却し、地元のラーメン屋でバイトを始めた。時給500円だったが10時から20時の仕事の間に2食が付き、また経営者夫夫婦と夕方や日曜日にやはりバイトの女子高生が一人入る程度で煩わしい人間関係もなく、夏頃には生活も安定し地元でアパートを借り再び一人暮らしを始めた。

 あの探偵マンガを読んでから、これまで毎週買っていたプロレス誌の『週プロ』や『ファイト』はもちろんのこと、隔週で発売される『別冊アクション』も買い始めた。さらに『ビッグコミック』や『ビッグコミックオリジナル』色々なマンガを読むようになった。

 シゲオが『別冊アクション』の読者ページでその原作者の難解なペンネームの正しい読み方を知ったのはその頃だ。


 カイヅブライ…


 そこには、カリブ海出身の伝説的ミュージシャンがその由来であることも書かれていた。さらに『漫画アクション』でも別のマンガを連載していることを知った。ボロアパートに住む3人のギリギリの『ボーダー』ラインの男たちの姿を描いたその物語は、探偵マンガとはまた違う作風だったが。


 そこには

 カリブの風が吹いていた……


 やがて、シゲオが16才だった頃…木曜深夜の“ANN”を楽しみにしていたように『漫画アクション』が発売される毎週火曜日が待ち遠しくなった。やはり同じようにボロアパートに住み、就職もせずアルバイトで食いつなぐ自分の姿を重ね合わせていたのだろう。

 秋になると、平日のラーメン屋でのバイト時間を減らした。収入は減ってしまったがシゲオは家賃と公共料金がきちんと支払え、月に一度プロレス観戦に行って食べられるくらいのお金があればそれで良かった。

 年が明け、『ジョー』や『列伝』の原作者・センセイカジワラが亡くなり、海津無頼が書いた原作マンガがシゲオも好きな俳優が監督主演で映画化され、さっそく観に行ったが何となく期待外れに終わった…。


 そんな冬のある土曜日の朝。シゲオは得体の知らない違和感に襲われた。それは、16才の頃…突如として学校に行きたくなくなった感覚に似ていた。外に出て公衆電話に向かうと、ラーメン屋に電話してオバさんに体調が悪く休むと伝える。シゲオは仕事に対しては意外とマジメでこれまで休むことや遅刻すらなかったが、その日初めてズル休みをした。


 ヤツが…目を覚ました


 それは、海津無頼があの探偵マンガの中で“暴れ馬”と名付けた『イレギュラー』な衝動。シゲオは自らの心の奥底にも、その“暴れ馬”が眠っているいることを自覚していた。それはシゲオの中に流れる、家庭を壊してまでも”女のみち“を貫いた母の、忌まわしき…憎悪しながら愛おしくもある『悪い血脈』だった。

 探偵マンガの主人公・土岐は、“暴れ馬”を眠らせるために破滅を求めた。


 破壊せよと、あの人は言った…


 シゲオは生活費として残してある有り金のすべてを握り締め、最寄りの駅からターミナル駅に向かう。私立探偵・土岐に倣い、ギャンブルこそ破滅の近道…と考え、東京・水道橋の後楽園場外馬券場に行くのだ。ホームの売店で缶ビールとつまみを買って新宿行きのロマンスカーに乗り込む。

 シゲオは、すべてを破壊するつもりだった。


 だが

 そこに

 探しているものはなかった


 探しているものが

 いつも見つけられない…



 最終レースが終わり、場外馬券場を出て橋を渡り水道橋駅に向かう。後楽園ホールでのプロレス観戦のあとに何度か通った道だ。そこに何もないことは、最初からわかっていた。それでも、そうせざるを得ないのがシゲオの悲しい習性だった。

 水道橋から新宿、新宿からロマンスカーに乗り込み帰路に着く。アパートの最寄り駅に着くと、辺りは暗くなっていた。駅を出ると安いだけが取り柄のチェーン店の居酒屋の暖簾をくぐる。一人で居酒屋に入るのは初めてだった。誕生日こそ迎えてなかったがシゲオはその年、成人式には参加しなかったものの、満20才の成人になったばかりで、堂々と飲酒出来る年齢に達していた。いっぱしのオトナになったつもりでカウンター席の端に陣取り、新宿駅の売店で買った『東スポ』と『ビッグコミック』を傍らに置きメニューに目を通す。

 シゲオの脳裏に、あの歌が聴こえてきた。。


 お前と会った 仲見世の

 煮込みしかない 鯨屋で

 夢を語った 酎ハイの…


「とりあえず…もつ煮と酎ハイください」

「ハイ…喜んで」


 カウンター内の厨房にいる店主の威勢の良い返事が返ってきた。ロマンスカーの中で読んだ『東スポ』に、もう一度目を通しながらもつ煮と酎ハイを待つ。プロレス界では長州力の新日Uターンが噂されていた。ほどなくして酎ハイとお通しが来て、すぐにカウンターの中からもつ煮も出された。夢を語る相棒などいない。

 シゲオはとことん呑んで酔うつもりだった。2杯、3杯…酔えない、自分でも意外なことに酒が強かった…いや、決して酒が強いワケではない。幼少期からさんざん見てきた、酒を呑むと酔った勢いを借り人格が変わり父や叔父のような醜態を人前で晒す…そんなオトナにだけはなりたくなかったのだ。

 

 日本酒…

 この甘ったるい

 アルコールは苦手だ

 確実に悪酔い出来る…


 それは、あの探偵マンガの一節だった。


「日本酒ください…熱燗で」

「ハイよ」


 やがて『東スポ』の文字が、二重に見えてくる…ようやく酔いが回ってきたようだ。


 俺は

 居心地のいい場所にいる

 おまえが

 許せないのだ


 フラフラした足取りでアパートに戻り、ベッドに横たわる。

 『ビッグコミック』で“何か”を見た気がする。朦朧とした意識の中、『ビッグコミック』を開いた。読者ページの囲み記事に、それはあった。

 「劇画塾・塾生募集」


 ここに、行ってみよう…


 ようやく“暴れ馬”が眠った気がした。


ーーーーー


 カリブSONGが響いてる

 いつだって幻聴のように

 カリブSONGが聴こえる

 遠いレゲエビートが


 終わらない雨が 降っても 

 いつも笑っていよう

 涙の味は知ってるから

 さあ起ち上がれ何度でも


 カリブの風が吹いている

 魂に響くミュージック

 もっとミュージックをくれ

 カリブSONGは終わらない

 カリブSONGは終わらない


『カリブSONG(New Remix)』

https://note.com/gondo_ukon/n/nbdef003d53ed


ーーーーー


 シゲオは、すぐに“塾”のパンフレットを取り寄せた。数日後、それは届いた。

 そこには…ドレッドヘアーの海津無頼の顔写真と、その独特の文章スタイル…海津節の“塾”のPR文が載っていた。海津無頼もこの“塾”の出身者だったのだ。


 遠くから呼ぶ声あり…!



『カリブソング~カリブの風が吹いている』

「プロローグ」END

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