第12話 外の生活

 長い長い乗車時間を睡眠でほぼ潰し、目覚めさせたのは車体の揺れであった。衝撃でシートベルトに締め付けられる感覚が、少し癖になりつつある。


 対面に座るノンはカーテンで閉じられた窓をただ見つめていた。レース素材でもない布の壁は、その内を完璧に隠している。運転席とも隔絶され、何の景色も見えず椅子に座っていなければならないのが鈴が早々に眠った理由であるが、ノンはずっとこの布を眺めていたのだろう。眠る前まで、彼女は同じ姿勢でいた。

 隊服ではない、普通の女性らしい恰好をした彼女を見ていると不思議な気分になってくる。服が与える印象というのは馬鹿にできないようで、普段の人を寄せ付けない雰囲気が少しだけ和らいでいるように思えた。


 窓の外が見えないため今が何時かも不確かであったが、それが心地良く感じるほど穏やかな時間だった。

 

 そうして車の扉が開く。

 

 コンクリートを踏み締めたとき、鈴はやっと自分が基地を出たことを実感した。

 背の低い家々と小さな公園、遠くに見える山々。滑り台に並ぶのは小学生くらいの子供達だ。隊服を着た者も、飛び交うドローンも見当たらない、郊外にある住宅街の風景だ。


 ノンは電話で話していた。相手は基地にいる隊員のようで、時間になったらまた車をよこしてくれるそうだ。この暑い中を冷房の効いた車でひとっ飛び出来るのは嬉しいが、少々窮屈に感じられる。彼女等の会話に耳を立て、公園に作られた時計を読んだ。

 6時間、それが鈴達に与えられた猶予であった。


 ワゴン車が去ったのを見届けると、不意にノンが袋を投げて来た。その雑な扱いに中身の程度は知れていたが、地面に落とすわけには行かない。慌てて受け取り中を確認する。


 ヒラのついた帽子に、首巻きタオル、折りたたみ傘。奥にはペットボトルの水が詰め込まれ、それらを包むようにしてカーデガンが入っている。


「……これは」

「代理とはいえ、担当する時災者を熱中症で倒れさせるつもりはない」


 自分のハンカチで顔と、それから腕時計を外した手首を拭きながらノンは答えた。

 有り難く鈴は首にタオルを巻き、特殊素材と思しきカーデガンに袖を通す。照りつける日差しの中、天使の息吹のような冷気に思わず目を瞑った。


 と、足元に何かがぶつかる感触があった。見ると、弾力のある──子供用だ──サッカーボールが転がっていた。道路脇の公園から飛び出てしまったのだろう、鈴は砂のついたそれを手に持ち、手を振る少年達に返してやる。


「子供、見たことがありませんでした。サッカーも。あんなに楽しそうに遊ぶんですね、可愛いです」

「基地には居ないからね。公園でサッカーなんて珍しい光景だけれども……君も混ざって来たらどうだ?」

「ご一緒して頂けるのでしたら、ぜひとも」


 首に巻いたタオルを持ち上げ、朗らかに笑いかける。ノンは仏頂面で無視し、そのまま道を歩き出した。


「20年もあれば住人の入れ替わりも少なくない。だけど幸いなことに、この辺りは昔からファミリー層が集まっていて持ち家が多いらしい。当時を知っている人もいるだろう」


 絶対目立つなよ、と。

 そう釘を刺して、彼女は早歩きに行ってしまう。鈴は帽子を落としかけながら、その背を追うのだった。


 ********************** 


 最初に目をつけたのは、道のベンチに座る老人だった。手に持ったリードに繋がっているのは、芝生に寝転がる柴犬。散歩の休憩中だと見えた。

 高齢者を狙ったのには訳がある。20年前の時点でこの町に住んでいて、それから離れていないだろう人に話を聞くためだ。

 鈴はノンの指示通り、彼の右脇からゆっくり、事前に視認する時間を長くして近づく。


「可愛い犬ですね。名前は何というのですか」


 ベンチに座る老人と同じ目線になるよう屈み、口角を上げて柔和な感じを演出する。発音は落ち着いて、一音一音をはっきりと。


 自分よりも君の方が相手の警戒心を解きやすいかもしれない、というのはノンの談である。実際、鈴は人に受け入れられやすい顔立ちであった。下がった眉としっかり開いた瞳。態度といい容姿といい、親しみやすさという点で優れているのは鈴の方だ。

 鈴自身そのことは鏡を見たり人と接したりすることで自覚はしていたため、あえて分かれて聞き込みをするべきだという彼女の意見に文句をつける気はなかった。


 間近で覗く老人の茶色い瞳は、僅かに青みがかっている。彼は突然話しかけられたことに戸惑ったのか、一度周囲を見渡し他に相手がいないことを確かめた。


「マルだ。何か?」

「ジャーナリストの風林です。この町で、過去に事件があったと聞きまして。話が聞きたいです」


 そうして老人に手渡した偽の名刺は、事前にノンが用意してくれたものだった。帰還協力隊の名前を出すことはできないからとのことだ。書いてあることの全てが清々しいほどの嘘であるが、彼女は何を考えながら作っていたのだろうと考えてしまう。


 老人は怪訝そうに顔を歪めてこちらを見る。

 こうも平和で楽し気な町の、過去の凄惨な事件のことなどそう聞きたくはないだろう。追い返される覚悟で鈴は話を聞いていたが。


三草みつくささんの?」

「……えぇ。未解決の強盗殺人事件。ご存じでしたか」

「こんな田舎町であんな事件はそう起こらん。今更聞きに来る人がいるとは驚いたが、何が聞きたいんだ」


 意外にも好意的な反応に鈴は軽く目を見開く。


「事件そのものというよりも、当時について聞きたいんです。そうですね、同時期に行方不明になった人の話とか」

「行方不明? んなものは知らん。あったのか?」

「いやあそれが分からないですね……全く知らない?」

「あぁ。全く。一体あんたは何をしにきたんだ」


 老人はベンチから腰を上げ、散歩を再開しようとしていた。転がった柴犬が驚いたように頭を上げている。

 鈴は慌てて老人を呼び止めた。成果を出さなくてはノンについてきた意味がない。


「久井さんを知っていますか? 久井明くいあきらさん。何か知っていることがあれば教えて頂けるとすごく助かるのです」


 老人は上がっていた腰を止め、手に持ったリードを下ろす。


 久井とは、書き込み主が事件の犯人であるという人物だった。ノンの事前の調べでは実在しているかも分からないという謎の人物。失踪者について分からなければ彼のことについて調べてほしいと頼まれている。


「そいつが、事件の犯人だって?」

「あ、いや、そういう訳ではないんです。わたしは……あぁでも、はい。疑っている……?」

「まぁ知っているけどよ」


 ベンチに落ち着いた彼は、まるで子供をあしらうような顔つきで言った。


「本当ですかっ⁉ 詳しくお話を伺いたいです」

「9年前に死んだよ。馬鹿みてえな量のウイスキー飲んでな、ありゃほとんど自殺みたいなもんだと思うけどよ。最後に返すもん返したのは良かったが……あのクズの面白い話なんか一つもない。あんた強盗事件について記事書いた方がいいぞ」


 メモ帳の上で動くペンを、彼は指さして笑った。口元の髭がもわりと流れる。


 老人は久井の死に対し、どこも心は痛んでいないように見えた。それどころかおかしく、嬉しいことのように話す。

 こんな相手は初めてだった。自分や人を傷つけることに無関心な人達と遭遇した経験はあったが、嬉しがるなんて人を鈴は見たことが無かった。察するに久井は人格的に優れた人物ではないのだろうが、こうも悪し様に言われるなんて。


 どこか落ち着かないのを態度に出さぬよう、極めて冷静な声で鈴は尋ねる。


「バカみたいな量のウイスキー、というとひょっとして急性アルコール中毒ですか。詳しくお願いできますか」

「なぁあんた怒っているのか? ジャーナリストさん。言っとくが俺は記事ネタ選びを批判した訳じゃあなくて、ただお勧めしただけで」

「とにかくお願いします。でないと日が暮れてしまう」

 

 老人の言葉を遮り、鈴はペンの頭を彼に向けた。


 彼は何も言わず、ジャケットのポケットからスマートフォンを取り出した。鈴が持つ物よりも数世代前の機種だ。通報でもされるのだろうか、と身構えていると、目の前にその画面が突き出される。

 

 地図アプリが開かれていた。画面中央のピンが指すのは、この町に立つアパートのようだ。

 老人はそのアパートの画像に、波のような皺のできた指を添えた。


「ここにあいつの弟が住んでる。詳しく聞くならそこだな」

「……ありがとうございます。とても助かりました」

「ここ数年会ってねぇからどうしてるか知らんが、俺以上に久井のこと嫌っているからなあいつ。客観的な意見を聞こうとはするなよ」


 よっこらせ、と呟き老人は立ち上がる。リードを軽く引っ張ると、柴犬が低く唸った。

 

 その時だった。鈴の袖にぽつりとシミが出来る。それは段々と数を増やし、瞬く間に布を侵略していった。

 鈴は急いでメモ帳を仕舞い込み、辺りを見て雨宿りのできそうな場所を探す。と、すでに喫煙所に背をつけて佇んでいるノンの姿を認めた。


「まずい、雨か」


 老人は柴犬を抱き抱えると、そのふさふさした首元に手を入れる。それから何かの音がした。丁度、寮の部屋の照明を付けたり消したりする時と同じ音だと鈴は思った。

 途端、先程まで唸っていた柴犬の声が止む。それどころか体全体の動きが止まった。眠る時のような力を抜いた感じも、何かに驚いて硬直したような感じもなく、動画を一時停止したみたいに動かない。機械は生物として振る舞うのを止めたのである。


 水滴は毛を伝い、犬がびしょ濡れになっていく。


「……凄い」


 雨音にかき消されそうな声で鈴は呟いていた。

 柔和な瞳は、柴犬を模した機械をそれが去るまで観察し続けた。


 ********************** 


「既に亡くなっていた、か」


 雨水でしわしわになってしまった手帳を読みながら、ノンは目を伏せた。

 その手にはつい先ほど二人でコンビニに寄り買ってきたビニール傘がある。鉛色をした空は厚く、当分降り続けると思われた。残念だが、折角用意してもらった熱中症対策グッズの効力が発揮されることはないだろう。

 

 濡れたカーデガンは腰に巻き付けてある。鞄にそのまま突っ込む訳にもいかず手に抱えていたところ、見かねたノンがアドバイスしてくれたのだ。


「ノンさんの方はどうでしたか」

「残念ながら手掛かり無しだ。そもそも事件自体知っているという人がいなくてね」

「……書き込み主は、久井さんが亡くなったことを知っているのでしょうか」

「知らないだろうね。久井の死は9年前のことなんだろう? 基地の調べでも分からなかったんだ、こっちに来てからでは知ることができない」


 返された手帳を受け取り、鈴は己が書いた内容をもう一度読む。


 20年前に起きた強盗殺人事件。三草という三人家族の一軒家に忍び込んだ空き巣犯が妻とリビングで鉢合わせ、そのままナイフで刺し殺害する。一緒にいた当時高校生の息子をその凶器で切りつけた上で現場から金品を持ち出し逃走。今なお犯人は見つかっていない、未解決事件である。

 この1人を殺し1人に軽傷を負わせた犯人を、書き込み主は同じ町に恐らく住んでいたと思われる久井だと書き込んだ。彼は実在人物であり、町の評判も悪かったのを考えると、真実はさておき犯人に仕立て上げるには相応しい人物だと言えるだろう。


 書き込み主は本当に犯人を見たのか、それとも個人的な恨みでもあって久井を犯人に仕立て上げたいだけなのか。

 

「話が本当だとしても、どうしてインターネット掲示板で告発したのでしょう。タイムトラベルしてきた時点で、隊員の方々に言えば良かったのに」


 鈴が納得のいかぬ顔でいると、ノンはため息交じりに首を振った。


「隊員に言えばどうにかなるって訳でもない。他に出せる証拠があるならともかく、タイムトラベラーの目撃情報なんて警察に突き出すこともできないはずだ。にしてもあの書き込みはどうかと思うけど」

 

 それもそうですね、と頷いている内に目的地へは辿り着いていた。なお、ここに来るまでにすれ違った町の住人達へ聞き込みはしていたが、事件そのものを知らないという人が大半であった。20年も経てばそういうものなのかもしれないが、なんだか寂しいことのように鈴は思えた。

 ノンは立ち止まり、すぐそばの建物に視線を移す。


 二人が徒歩で目指していたのは老人に教えてもらった、久井の弟が住むというアパートだ。町の外れ、帰還協力隊で事前に伝えた行動範囲のぎりぎり内側といった具合の場所にある。

 寮よりも規模の小さい二階建てのそれは最近作られたものではないらしい。一つの家が何個も連結したような作りで、駐車場に生えた雑草がベランダに侵入し、塗装は剝がれている。ガラス張りの壁はくすんでいて、変色しているのが分かった。

 基地の最新式で清掃された建物に慣れてしまった身としては、入るのに多少の勇気が必要な家だ。


「綺麗好きか?」

 

 敷地に入るのに一歩足が踏み出せなかった。それをノンは見逃さなかったらしい。

 彼女は鈴を追い越し駐車場に立つ。皮肉げに笑った顔はビニール傘に隠れてよく見えなかった。


 もう少し屈託のない笑顔を見せて欲しいと思うのは、勝手な押し付けであるのだろうか。


「えぇ、綺麗なものは好きですよ」


 右足を敷地に入れ、境界線を越えた。

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