第6話 忘却プログラム


「この学校には、“名前を消す”仕組みがある」


湊のその言葉に、三枝澪と西条真琴は黙り込んだ。


放課後の視聴覚室。普段は使われていないその部屋に、3人はひそかに集まっていた。

プロジェクターには、学校の内部ネットワークに接続された古いUIが表示されている。


「これは……何?」


澪が画面を覗き込みながら聞いた。


「生徒情報管理システムの裏にある、非公開の管理者画面。生徒会の副会長権限でもここまでは入れなかった」


「じゃあ、どうやって?」


「……図書室の旧端末。10年前の古いパスワードが、まだ生きてた」


湊が表示しているのは、学校の中枢データベース。

“名前”というフィールドを抽出して表示すると、その中に奇妙な空欄が浮かんでいた。


「ここが、雨宮鈴音のあった場所……?」


「うん。識別IDは残ってる。でも、名前も履歴も全部がnull。完全な“空白フィールド”になってる」


「まるで……最初からいなかったように?」


真琴が呟いた。


だが、湊は別のウィンドウを表示させる。


「このID、削除されてない。“非表示化”されてるだけだ」


「非表示化……?」


「内部的には存在する。でも、検索してもヒットしない。教師の管理画面からも、通常のアクセスからも閲覧不能」


湊は表示されたコードの中から、ある一文を指差した。


if(name == "雨宮鈴音") then visibility = false;


「“雨宮鈴音”って名前を入力した瞬間、表示がゼロになるようにプログラムされてる。つまり、“名前を呼ばれることを拒絶するコード”だ」


澪が息を呑んだ。


「そんなの……人間の記憶にも影響を与えるの?」


「直接は無理。でも、教師や生徒がこのシステムを使って名簿や資料を参照する限り、“彼女の存在”はどこにも出てこない。“目に映らない存在”は、やがて“記憶からも消える”」


「まさに……“忘却のプログラム”」


真琴が低く呟いた。


「でもこれ、誰が書いたの? こんなコード、教師がいじれるものじゃないでしょ」


「理事会……あるいは、その中でも特別な権限を持つ一部の人間。少なくとも、椿先生だけの判断じゃない」


そのとき、視聴覚室のスピーカーから、“ザーッ”とノイズが走った。


「……っ、何?」


澪が驚いて振り返る。


スクリーンに表示されたログが、自動的にスクロールし始める。


【未承認アクセスを検出しました】

【セキュリティ・プロトコル起動】

【生徒情報:一時遮断】

【アクセス者識別番号:───】


「これ、誰かが遠隔からログを見てる……!」


湊が即座にケーブルを引き抜いた。

画面が真っ黒になる。


室内に残るのは、沈黙だけだった。


「……気づかれたね」


真琴が静かに言った。


「でも、確信した。雨宮鈴音の“存在”は、意図的に隠された。それも、学校の中枢で、システムレベルで」


「つまり、彼女の“名前”は、本当に誰にも呼ばれなくなっていた……」


澪はぽつりと呟く。


「でも、逆に言えば。呼べば、思い出せば、彼女は“戻ってくる”」


湊はそう言って、手帳を広げた。

鈴音が残したメッセージの断片が書かれている。


『名前だけは、忘れないで』

『誰かひとりでも、思い出してくれたら』


「俺は、この声を無視できない」


湊の言葉に、ふたりもうなずいた。



夜。

湊のスマートフォンに、またもや非通知の着信が入った。


『忠告はしたはずだ。やめるんだ、これ以上は』


「あなたは誰ですか。……鈴音を、なぜ消したんですか」


『消した? 違う。彼女は“いなくなった”んだよ。自ら』


「嘘だ。自主退学なんて、彼女が望むはずない」


『なら、証明してみなさい。彼女が“ここにいた”ことを』


通話は一方的に切られた。



その翌日。

湊の机の上に、匿名の封筒が置かれていた。


中に入っていたのは――


“雨宮鈴音の生徒証”だった。


だが、裏面のバーコードは塗りつぶされていた。

そして、付箋に一言だけ書かれていた。


『そのカードを、“あの部屋”のリーダーにかざして』


「あの部屋……?」


湊は思い出す。旧校舎、鏡の奥にあった金属扉。

一度だけ開けようとしたが、カードキーが必要だった場所。


「そこに、彼女の“最後の記録”がある」


湊の背筋が凍る。


(行かなきゃならない。……もう一度、あの場所へ)

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